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シンキング・フローティング事件

『JBさんってどこで釣具買ってるんですか?』

い駒さんとびめしが出逢う少し前のこと。びめしから上記のようなLINEが飛んできました。

『ああ、俺も最近行き始めたばかりなんだけど渋谷駅からすぐ近くに結構大きい釣具屋があるんよ。雑居ビルの中なんだけどね』

『行ってみたいです!』

『いいよ、今度仕事終わったら行こうか。渋谷駅西口待ち合わせで』

いつものようにとんとん拍子で会話が進み、仕事を急ぎで終わらせた僕は19時頃に渋谷駅でびめしを待ちます。

「JBさん、お疲れ様です」
「お疲れー!」

喧騒が響く渋谷駅でもよく通る声で、すらりとしたスーツに身を包んだびめしが速足で歩いてきました。思えば私服通勤がまだ一部しか普及していなかった頃です。


「行きましょう。方角はどっちですか?」


「そこに見える歩道橋を渡ると見えてくるよ」


玉川通りに掛かる渋谷駅西口歩道橋を渡ると、やや寂れた雑居ビルの前に着きました。入り口では受付なのか警備なのかよくわからない年配の男性がぼんやりと椅子に座っています。


「えっ、こんなところですか?」


「俺も最初そう思った。エレベータで上がろう。ルアーフロアは2階だから階段でも良いんだけど」


ゴトゴトン、という不安げな音を立てて小ぶりなエレベーターがゆっくりと上がっていきます。乗るたびに故障しないか不安でした。


ガタン。


エレベーターの扉が開き、目の前の自動ドアを開けるとー



「いらっしゃいませー」


薄暗い1階としょぼくれたおじいちゃんの座っていた1階エントランスとは対照的に、蛍光灯に照らされた店内で元気よく声を張り上げる店員さん達と仕事帰りらしき多数のサラリーマン客。

そして所狭しとラックに吊り下げられたルアーや壁面に並ぶ高額なロッド、厳重に施錠されたガラスケースに格納された如何にも高級そうなリール。

ビルの外観からは到底想像もつかない盛況ぶりの落差を、釣りをしたことのない人達に伝わりそうな例えでいうと、映画ハリーポッターのダイアゴン横丁がわかりやすいでしょうか。


上州屋渋谷店。今はなき都心屈指の釣具屋でした。


「JBさん、このリール値段やばい。ステラ?10万とか誰が買うの笑」


入口すぐそばのガラスケースに並ぶ、最高峰リールを引き気味に眺めるびめし。彼が「ステラおじさん」を自称するほどにこのリールを買い集めるのはまだ先の話です。

「ステラねえ、道楽みたいな値段だよね。まあ俺らには関係ないから。ルアーコーナーへ行こう」


今日の来店目的はスズキ、もといシーバス向けルアーの購入です。これまでamazonで見かけたルアーを取り合えず買うというスタイルでしたので、一度釣具屋で比較検討しながら買ってみようという目論見でした。


「めっちゃあるんですね。多すぎるでしょ」


「そうだよねー、俺もまだまだ分からないからさ。色々見てみよう」

と先輩風を吹かしていますが、これまでのエピソードでお察しの通り、当時は本当にルアーフィッシングの知識はありませんでしたし、ましてやシーバスルアーの知識など皆無でした。

が、それは当時のびめしも同じこと。自信はなくとも何とかなるだろうと高を括っていました。

「とりあえずシーバスルアーといえばミノー*注だから」

注: ミノーとは?…最も一般的な小魚の姿をしたルアー。魚の口に当たる部分にリップと呼ばれるプラスチックを含む樹脂製の舌状部品が付いています(説明文はwikipediaを引用)


早速怪しげな知識を披露しながらミノーコーナーに行くと、これまた天井から床すぐそばまで犇めき合って並ぶミノー、ミノー、ミノー。正直各製品がどう違うのか皆目見当が付きませんでした。

「どれがおすすめなんですか?」

「取り合えずRapala製のが一番スタンダードだね。最大手だから」

「へえー、このCD9ってやつですか」

何年前かに書かれたネット記事のうろ覚えでルアーをお勧めする僕と素直にそれをかごに詰めていくびめし。



しかし僕はこの後に最大の知ったかぶりをかまします。


「JBさん、何かシマノのこのルアー、ぱっと見同じなのに『フローティング』って書いてあるのと『シンキング』って書いてあるんですけど」

「え?」

「どう違うんですか?」

やばい。まったくわからない。が、折角聞かれているのに知らないとも言えない。僕は思考を巡らせ何気ない様子を装いながら咄嗟に答えます。


「ああ、それはね。飛距離だよ。シンキングの方がよく飛ぶ。沈むからね」


「へー、そうなんですか!じゃあフローティングミノーは要らないですね」


「そうだねー、はじめはシンキング持っておけばいいんじゃないかな」

「わかりました!!」


これが後にびめしが向こう6年にわたって僕に対して擦り続けることになる「シンキング・フローティング事件」です。

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