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雨の日に思考の断捨離 考え癖を手放して頭も心も軽くする

車を運転している時、ラジオから聞こえた新しい生活様式に関する「熱が出たら自宅で安静にする」という言葉

従来の日本社会は熱が出ても風邪をひいても出勤して仕事することが称賛される空気感があったと思うけれど、それだけでもコロナ後(あるいはwithコロナ)の社会って変わったなーと思う

良い悪いではなく、良い面も悪い面もどちらも包括している

もっと言うと同じ出来事でもそれを「良い」とするか「悪い」とするか、自分にとっての影響は自分次第だから「自分にとって」の良い悪いは自分にしか決められない

どちらでもありどちらでもない、何について良いか悪いかはその「何にとって」によって変わるし、時間軸(どの時点で判断するか)によっても変わる

例えばもしコロナの影響である飲食店が閉店したとする
その閉店を機にその人が新しいデリバリーシステムを作ってたくさんの人の生活が助かったらそれは「良かった」ことになるとしても、店を閉めざる負えない辛い出来事は「悪かった」とも言える

そんな人ばかりではないとして、なら閉店して借金を背負って人生に絶望して社会を呪ってもうどうにでもなれ!と思って開き直ったら案外人生うまくいくようになったとか

どん底になったとしても、見放さない家族に感動したとか。それはそれでその時そこでしか見えない景色もある

でも自殺してしまう人もいるかもしれないし、全部が全部ではない。どちらの意味においても

でもそもそもこの「良い」「悪い」という言い方がマジックで、本当は良い悪いなんてない(如何様にも言えること)
「良い」は素晴らしくて「悪い」は駄目、良いは+で悪いはー、良いは善で悪いは悪、良いは成長で悪いは後退、良いは上昇で悪いは降下、そんな「良い・悪い」という言葉に付加されるイメージや感情、連想されるものの方が速度と影響力を持っていて、ただの出来事をドラマチックにしたがったり、悲痛なものであるかの様に誘導したり、純粋なただの「出来事」にいろんなものを付加したがる傾向が人にはあると感じています

色眼鏡ではなくそのままをできるだけフラットに捉えて、誰でもない自分で判断して、自分の決断として捉えていけばいいのだと思う。そしてそれは変えられないもの(一度決めたら変えてはいけないもの)ではなくその時に応じて変化するものであっていいとも思う

柔軟な頭と心を持って、ストレスの元を持たずに生きていっていいと思っています。どんな時でも自分を縛らずに、ね

「こうでなければならない」「そうあるべき」を断捨離。
モノ以外にも断捨離はできる。思考の片付けをしてもいいよね、雨だし

最後まで読んでいただきありがとうございます☺️

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about:つりタコ

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