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「何にフォーカスするか」で目の前の現実が変わる

4年ぶりの海外旅行から戻ること1週間。

2学期もスタートし、家族はすっかり平常モードな中、心は元気ながら体の疲労感がまだ抜けきらない私です。


日本は子育てしにくい?


数日前にコーヒーをテイクアウトしようとカフェに入ったときのこと。

小さな子連れのお母さんが、カウンター席しか空いていなくて困っている様子に気づいて

隣のテーブル席が空いたのを、自分の荷物でさっと確保して「ここ空きましたよ!」と声をかけている方がいて

「優しいなあ。(同じ小さな子供を連れている身として)ありがたいよね」

とほっこり・・すると同時に、そう感じている自分に気づいてハッとしました。


なぜなら私、ずっとどこかで「日本は小さな子連れ(特に母親)に手厳しくて、子育てしにくい」と思っていたからです。

運動面の発達がかなりゆっくりだった長男が小さな頃は、外に出るたびにちょっとしたことでも周りと比べられているような気持ちになったり

「子供の発達がゆっくりなのは、母親の育て方のせい」と言われているような気がして、なんとも言えない居心地の悪さを感じることが多々ありました。



そんな中、夫の赴任に伴って引っ越したバンコクでは、母親ひとりが全てを抱え込まずに、アヤさんと呼ばれるお手伝いさんやナニーさんに家事や育児を手伝ってもらうのがかなり一般的。

マンションのオーナーまでもが「四六時中子供と一緒にいすぎよ。たまには私たちに子供を預けて、夫婦ふたりで出かけてらっしゃい!」と言ってくれる=母親だって子育てだけじゃなく、夫婦の時間や友人たちとの時間を持って人生を満喫するのが当たり前、という環境で

長男のことも「ゆっくりなのも含めてこの子の素敵な個性だよ」と誰もが可愛がってくれたので

元来心配性な私も肩の力を抜いて、リラックスして子育てすることができていました。



そこから長男が年少さんの年に本帰国し、東京で幼稚園に転入すると

「これができない、あれもできない」と指摘される機会が再び激増(あくまで当社比ですが)。

「何事も周りの子たちと同じようにできるようにしなきゃ!」と焦り、長男の成長を無理に促そうと躍起になる・・という数年間の子育て暗黒期を経て、私の中ではすっかり「日本=周りと比べられて窮屈で、子育てしにくい環境」という思い込みができあがっていました。


同じ場所にいても、違う景色が見えるワケ


確かに、海外の方が概して子供たちにおおらかだったり、声がけがポジティブで、取り入れたいと思うことが多くあるのも事実。

けれど、現在1歳半の次男をここまで日本で育てていて、街中で「可愛い」と声をかけてもらったり助けてもらうことは多々あっても、困ったことってほぼなかったなと気づいたんです。

それは、ここ10年で私自身の神経が図太くなって、ちょっとやそっとのことは気にならなくなったからでもあるだろうし、頑張ってママ友を作って情報交換したり、同じくらいの月齢の子と遊ばせてあげなきゃ!という気負いがなくなったからでもあると思うけれど。


でも多分それだけじゃなくて、自分が日々何に着目しているか。

「できないこと」や「足りないもの」にフォーカスしていた頃は、そればかりが目についたし、周りからもそういうふうに見られているんじゃないかという出来事が起こった(少なくとも、自分にはそう感じられた)。

けれど、見知らぬ相手に声をかけるのは少し躊躇しても実は「大丈夫かな?」と気にかけてくれたり、必要とあらばすぐに手助けしようとしてくれる人たちがいて

どこでもトイレを借りられるくらい清潔で、子供がひとりでも学校や公園に遊びに行けるくらい安全で、手を伸ばせば利用できるサービスも様々あって・・

今置かれている環境の素晴らしい面にフォーカスしていると、不思議とその魅力がさらに目に入ってきたり、体感できるという好循環が生まれていく気がします。


もちろん「見方が全て」なわけでは決してないけれど。

同じ環境にあっても、心持ち次第で見える風景が全く違ってくることもある。

これを機に「日本は子育てしにくい」という思い込みをすっぱり手放して、日々当たり前のように受け取っているものの有り難さに気づいて感謝していこう、と思った出来事でした。

皆さんにとって、今いる場所は「心地よく過ごしやすい」ですか?