【レポ】五百亀記念館の小烏丸写し
2023年1月末。Twitterにおいてフォロワーさんが投稿していたことをきっかけに、愛媛県西条市にある五百亀記念館で開催中の企画展「彫金師・玉岡俊行展~鏨技~」に小烏丸写しとその拵が展示されていることを知る。
写しが展示されることは特に珍しいことではない。しかしながら、今回、精工な造りの拵があるということで、早速五百亀記念館にアポを取り3月1日〜2日に訪問させていただいたので、レポートとして詳細をここに残す。
五百亀記念館とは?
まず、展示の内容を紹介する前にこの記念館の簡単な概要を。
大正7年(1918年)、愛媛県西条市に誕生した彫刻家・伊藤五百亀を顕彰する館で、2013年8月にオープン。2階建ての造りで、1階には企画展のほか、彼の代表作品である「渚」や「うたかたの譜」をはじめ、制作に利用された道具類などが展示されている。
2階部分は市民ギャラリーと会議室となっており、筆者の訪問時には展示替えの最中で作品を見ることは叶わなかったが、西条市ゆかりの画家の作品展示のみならず、成果発表や研修の実施なども行われ市民の芸術・文化学習を支えている。
彫刻家の記念館であるが、今回の企画展のように彫刻以外の展示を行うケースも多いようだ。これは「愛媛県の伝統・文化を周知する狙い」であって、企画のメインである彫金師・玉岡俊行もまた、愛媛県指定無形文化財に認定された、誰も真似ができない超絶技巧を持つ彫金師である。
企画展「彫金師・玉岡俊行展~鏨技~」
伊藤五百亀の没後30年を記念した展示の締めくくりとして、2023年1月24日(火)〜3月26日(日)まで開催中であるのが、今回筆者が訪問した「彫金師・玉岡俊行展~鏨技~」だ。
彫金師・玉岡俊行氏が40年にわたり、技を磨き製作した鐔を中心とした刀装具の数々が、愛媛県の文化・歴史を中心として紹介されている。
特筆すべきなのが、玉岡氏が白鞘製作に携わった伊曽乃神社(愛媛県西条市)所蔵の御神宝である御太刀(切刃造りの直刀)や御鉾といった御神宝の全てを特別公開している。
ちなみに御神宝が伊曽乃神社を出て展示されるのは初めてとのこと。撮影禁止エリアのため現地訪問でしか確認できないものだ。
他にも、西条市が保有する国行の太刀や玉岡氏が公益財団法人日本美術刀剣保存協会の彫金の部「無監査会員」であることから、同じ無監査会員の刀匠の刀を展示するなど、彫金にとらわれない幅広い展示物を展開していた。
なんと今回の展示では刀装具・刀・御神宝や伊藤五百亀の作品など全て合わせて約120点が陳列されていてなかなか壮観な内容になっている。
矢野俊一が打った「小烏丸写し」
さて、今回筆者がお目当てとしていたのが、江戸時代後期、伊予西條藩のお抱え刀工で江戸四谷で作刀していた矢野俊一が打った小烏丸写しである。
刀身について
刀身の姿は非常に御物小烏丸に近い造りをしている。
長さは71.4cm、反りは0.8。御物の長さは72.7cm、反り1.3cmなので少々反りが少ない程度である。諸刃の部分が刃長の約3分の1程度なので控えめな印象はあるが(御物は2分の1が諸刃)、やや広めの穏やかな直刃で端正な造りであることが見てとれた。
少々残念なのは当時の製鉄技法がそうであったからか、肌には動きが少なく所々に見える程度で目を凝らさないとわからない。
俊一が活躍したのは新々刀の時期である。水心子正秀が古刀への回帰を示した「刀剣復古論」を唱えたことで、この時期の刀工は上古刀や古刀をお手本とする機会が増えていた。この太刀も恐らくその流れの1つだろう。
銘文は「西條臣矢野俊一作之 慶応二寅年二月於千住頭八切断之」となっており慶応2年(1866年)の作。写しとしてはかなり古いものに該当する。なぜなら写しが広く作られるようになるのは、宗重正によって明治天皇に献上された明治15年(1882年)ごろからであるからだ。
銘文の後半にある「千住頭八切断之」というのも気になるところだろう。この当時、千住には小塚原刑場(現・東京都荒川区)があった。
つまり、そのまま解釈すれば「罪人の首八つを断ち切った」と言うことになるのだが現地の学芸員に確認したところ、非常に良い状態のままであり実際に使用されたような痕跡がないとのことなので「これぐらいの切れ味はあるだろう」ということで刻んであるものと思われる。
また、後述の拵からも分かるように、血を不浄とする場面で使われる儀礼用の太刀が罪人切りに利用されるのは筆者もあまり信じられない。よって、できの良さを宣伝するための記述であろう。
展示ではこの銘しかわからない。だが恐縮なことに「熱心に調査されているのであれば」というご厚意で、展示ケースから出して鑑賞させていただいた。
実は展示されているのとは逆の面(佩表)にも銘があったのだ。
金象嵌で「生子丸」、「今田正祐帯之」となっている。
つまりこの太刀自体には生子丸という名前があり、今田正祐という人物が実際に佩刀として使用していたことになる。
生子丸の読みは実はよくわからない。「しょうごまる」と読めるが、茨城県坂東市の地名「おいご」や単純に生まれた子を指す「うまれご」とも取れるためだ。しかし、この刀の白鞘に付いていた登録証は茨城県であったから、「おいご」とする可能性は高い。
許可をいただいて、実際に刀身を持ってみたところ、確かに重ねが厚く重みもあるが、近現代の写しと比べると軽やかであった。
この辺り、矢野氏は今田氏が佩刀することも考えて打っていたのではないかとも感じられて興味深い。どんな思いで打ち、どんな思いで佩刀していたのか伺ってみたいところである。
拵と絵図の比較
拵も現地で見ると非常に凝った作りであるのがよくわかる。特に鞘の部分は鹿革できっちりと覆われており、金物部分(冑金・責金物・石突金物といった部分)もぴっちりとなぞるように覆っていた。
そして写真では分かりづらいかもしれないが、ベースは黒と深緑、アウトラインは型押しをした上に暗めの朱色を施してある。
実はこの模様部分は、御物小烏丸の拵と同じで色違いとなっている。この御物拵の絵図も今田氏の蔵書にあった。展示スペースの都合上企画展には出なかったが、こちらも特別に御許可のうえ拝見させていただいた。
「小烏丸太刀之圖」といい、早稲田大学図書館にも同様のもの(こちらは「小烏丸太刀図」)が保存されている。今回見た絵図はあくまで「図のみ」で小烏丸の伝来などは書かれていない。
見比べてみると面白いことに
・帯執や太刀緒の部分は異なる色柄
・しかし柄巻の部分の紐は同じ形式
・目貫と足金物の上部に「丸に桔梗紋」
・足金物は若干西洋風の唐草模様
と全体的にアレンジがされている。
「丸に桔梗紋」が散見されるのは恐らく所有者であった今田氏の家紋であったことが推測される。筆者も当初、鞘だけ色違いなのかと思っていたが、やはり全体的なデザインを考えた上で変更をしていたのだろう。
絵図の最後の部分には
といった文章が追記されており、これがどのような経緯で描かれたかの情報が分かる。
1行目にある伊勢貞丈は先の早稲田大学図書館蔵の絵図にも記載があり、明和5年(1768年)に原本を作成した人物。名前から分かる通り御物小烏丸を元々所有していた伊勢家の出身で有職故実を研究していた江戸中期の研究家である。
天明4年(1784年)に貞丈は死去していることから、その後すぐの天明6年(1786年)にこれを写したのが2行目に見える山辺正熙である。この人物の詳細な情報は不明だが宮内庁に残る「鎧着初之記」の編集者であることから、彼もまた有職故実を知り宮中祭祀の記録などに関わっていたことが推測される。
これを岩嵜氏から借りて3次的に写したのが3行目にある今田 勲の娘で13歳の人物である。とても13歳とは信じられないクオリティの絵と文字で驚きだが、丹念に写しとられ軸装まで美しくされている辺りに小烏丸に対する今田氏の並々ならぬ思いが見て取れる。
謎の人物・今田氏
拵を再度よく見てみると裏側の糸に多数の修復箇所があるのがわかった。
佩刀の状態を考えると太もも部分に擦れてしまいやすい箇所である。今田氏が何者なのか全くもって不明だが、使用の痕跡から見て単純な美術品・鑑賞品としてではなく、儀礼用として頻繁に佩刀していた可能性が高い。江戸時代後期〜明治初期にかけて何らかの宮中祭祀に関わっていたような人物だったのではないだろうか。
さいごに
今回の訪問では小烏丸写しを打った刀工とそれを使用した人物の姿が掴めただけでなく、予めアポを取ったことで、展示ケース越しではない刀剣の鑑賞という貴重な機会を得ることができた。過分なほどのご対応とご協力に心からの感謝を申し上げたい。
また、痛感したのは「展示品リストが公開されておらず、刀好きの面々がこの素晴らしい展示に気がついていなかった」という点である。聞けば所属する学芸員は1人のみで展示企画、広報、雑務も全てを担当しているというから、その作業量は察するに余りある。
地域に根差し、今に残る伝統文化や歴史を伝え、また消えてしまった文化についての保全と告知も目指すこの館の取り組みを稚拙ながらこのようなレポート記事を通して応援していきたいと願うばかりである。
ちなみに、この五百亀記念館のそばには「西条郷土博物館」や「愛媛民芸館」もあるので一緒に見て回れば西条市に詳しくなれること間違いなしである。
機会と時間があるという方は、ぜひ足を運んでみてほしい。
余談だが、筆者はちょうど「青春18きっぷ」が利用できる期間だったので京都から新幹線を利用せず、岡山〜伊予西条まで特急をオンして訪問してみた(通常、青春18きっぷでは特急列車は乗車不可なので別途、乗車券と特急券が必要になる)。
四国の大自然を感じながらののんびり旅もまたなかなか乙なものである。
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