私がモテないのはどう考えても私が悪い

突然だが、僕は恋人がいない。いない、というか、一度も恋人という存在がいたことがない。イコール年齢というやつだ。最近ではさほど珍しくもないようで、聞けば2014年のデータでは20代男性でお付き合いしたことない人は40%以上もいるらしい(リクルートブライダル総研調べ)。少子化が止まらない訳である。正直少子化であることと、世の男性が所謂草食化していることとは因果関係があるとは言えないと思っているがそれはまた別の機会に。

さて、思い返してみるに、僕は小中高大学と共学で過ごしてきた。小中時代は田舎に住んでいたこともあって女子の人数が少なかったという過去もあったが、それでも高校と大学はそれなりの数がいたし、何なら高校生とか大学生が一番恋愛に打ち込める時期なのではないかと思う。僕だって、高校生になったら彼女できるんだろうなってことを思ってた。でもできなかった。その次は大学生になったら彼女できるんだろうなって思ってた。以下同文である。社会人になったらなんてさすがに言えなくなってきた。望みがない。最近はもう期待すらしなくなってきた。恋愛に無縁すぎて、恋愛小説や恋愛映画をファンタジーとして楽しむほどだ。へえ、こんな世界があるのか。誰かを好きになって付き合うだなんて雲をつかむような話。机上の空論である。味わったことがないからたまに登場人物に共感できないときがある。悲しい。

性欲がないのか、と聞かれたらそれは否である。性欲はある。FANZAで今宵のおともを探す日々である。でも、性欲と彼女欲しい欲は別物なのではないかという気がする。性欲だけ満たすんだったらススキノだの飛田新地だの吉原でも行けばいい。最悪ティッシュとネット環境さえあれば慰めることはできる。ただ、僕は、一緒に映画をみたり、公園のベンチで語らい合ったり、レストランで一緒においしいものを食べたり、部屋でゆっくり過ごしたりしてみたいのだ。なんだか書いてるうちに泣きたくなってきた。

恋人、という存在は、家族でも、友達でもない、だけど自分を大切に思ってくれる存在である。そういう存在は必要だよな、とは思う。お涙ちょうだいドキュメンタリーとかで、人生最大の苦難に陥った時に支えてくれたのは恋人でしたなんてことはしょっちゅうだ。そういうのを見ると絶望する。僕にはそんな存在はいない。お前はそんな苦難に独りで立ち向かわなければならないんだぞ、と脅されている気分になる。でも結局、恋人がいた経験がないから、いない人生が普通になっているから、恋人がいることがどんなもんなのか分からず、それゆえに自分が本当に恋人を欲しているかどうかが分からなくなる。元々あるものを手にしていて、ある日それを失ってしまったときに初めて、自分にとってそれが大切なものだったかどうかが分かるというものだ。だから僕にはまだ恋人というものが自分にとってどんなものであるかというのが分からない。恋人を作ることに熱をあげようと思えない。
実家に帰ると、必ずと言っていいほど親から彼女できたか?と訊かれる。もはや呪詛だ。そろそろ嫌になってくる。その年齢ならもう彼女がいるはずなのに、なんでいないの?と責められている気分になる。今はそんな気になれない、と返すのでせいいっぱい。僕だって、なんでいないんだろう、って常々思ってる。だけどいないものはいない、それは覆らない事実。その事実に慣れてしまっている。だから親に訊かれるとき、そんなことではだめだ、と注意されているように思ってしまう。頼むから放っておいてくれ。

結婚はしたい。子供も欲しい。将来、社会人になって、自分の生活のためだけに働けるとは思えない。やっぱり、守るべき家族がいることで、働き甲斐があるというものではないか。
でも、若い時分に、とくに学生時代に異性と付き合う経験がないというのは、凄くマイナスである。失敗から学べる経験もある。きちんとした異性との接し方が学べれば、そして自分にどんな女性が合っているかということをお付き合いを通して理解できれば、結婚相手を探すときにアドバンテージになる。でも僕にはその経験がない。だから結婚をするにも苦難の道が待っているだろうことを考えてしまうのだ。八方ふさがり、四面楚歌である。

そもそもなぜ自分に恋人ができなかったのか。これはもう考えるまでもない。タイトルにある通り、自分が悪いのだ。何も努力せず、異性と接することを恐れ、避けてきた自分が悪いのである。お前らが悪いなんて口が裂けても言えない。
正直に言うと、自分には男性としての魅力がない、という思いから女性を避けてしまうところがある。こんな男と話す時間なんてあなたにはもったいないですよ、他の人と話すべきです、という思いが頭の中をぐるぐる回って離れなくなる。れっきとしたこじらせだ。思春期である中学生時代や高校生時代、あるいは大学生の時分、僕は女性から異性として好意を寄せられたことが一度もない。悲しい。面白いエピソードとしては、高校時代、僕と同じ苗字の男子が学年で3人いたが、その3人とも彼女がいた経験があり、同じ苗字なのにこうも違うのか、と笑ってしまったことがある(全然面白くない)。男友達のなかで、女子に好意を寄せられたことがない、という人は僕だけである。なぜだ。仲間がいないことの孤独さ。泣けてくる。一度、誰かに「自分で理由が分からないから恋人ができないんじゃないか」と言われたことがある。うるせえ、大きなお世話だ。叫びたくなった。そんなの堂々巡りというか、円環の理にはまってしまっている。女性が感じる男性の魅力を、男性である自分が理解できるわけがない。女性じゃないんだから。どうしろというのか。

基本的に、自分に自信がないのだ。女子と会話をするとき、めちゃくちゃ頭を使う。相手が不快な思いをしていないか、会話を楽しんでくれているのか、自分の話し方は気持ち悪くないか、どんな話題が適切なのか。頭も使うし気も遣う。というか考えすぎてしまうのである。普通の男だったらこんなことまで気にしないんだろうな、ってことも気にしてしまう。あ、今この人少し声のトーンが下がったけど、つまらないのかな。我ながら気持ち悪い。で、その日の夜一人で悶々と自己反省会をしてじたばたする。あのときこういう返しをしておけば、なぜあそこでああいう相槌を打っちゃったのか、あの話題もっと突っ込めばよかったか、とか。それが3日くらい続く。もう病気である。これが辛いために、女子とそもそも話さなければいいじゃん、っていう発想に至ってしまい楽な道へと突き進む。そしてさらに女子と話すのが苦手になる。悪循環。そうして僕はイコール年齢になった。
最近は頑張って克服しようとしている。が、やはり自己反省会してしまうのは治らない。どうしようもないのである。

恋をしたことは、ある。どれも、片想いで終わった。一人は想いを伝えないまま相手に恋人ができて終わった。もう一人は想いを伝えることができたけど、友達としか思えない、と言われ終わった。結局その子にも彼氏ができた。そこで自信がなくなった、と言ってもいいけど、彼女たちのせいにするつもりは全くない。単純に彼女たちにとって僕が男性としての魅力がなかった、ただそれだけのことなのだから。というか、失恋のために自信がなくなったというわけでもない。自信のなさは元からだ。そのせいで、というか、自信がないために、ある女子が自分を嫌っていないということが分かると、それだけで好感をもってしまう。そのうえで仲良くされたりなんかすると勘違いしてしまう。その結果失恋する。男というものは、本能で、女性が自分に好意を寄せているかどうかが分かるらしい。友達から、ある女の子に好かれてるみたいなんだけどタイプじゃなかったから態度で脈なしってことを伝えた、というような話を聞くことがある。でも僕にはそういった本能がうまく働いてくれないみたいだ。不思議なもので、恋愛小説なんかでこの登場人物が好きなのは誰なのか、であったり、現実でも、あの人とあの人は付き合ってるんだろうな、というのは勘づくことは大方できる。でも自分に対して女子がどう思っているのかを推し量ることができない。だから不安になる。必要以上に気を遣う。損なものである。

最近本当に恋をしていない。ここ5,6年くらい。片想いすること自体、相手の女性に迷惑なのではと自分の想いに蓋をするようになってしまっているのも事実。恋したいとは思う、でも思うだけで何もしない。自分から働きかけることがもう怖いのだ。相手から告白されるなんてことがない限り、たぶん一生僕が恋愛に積極的になることなんてできないのだろう。街中でカップルを見かけると、この人達凄いな、と思う。自分の好きという想いを成就させようとお互いに努力して、無事に付き合うことができているって、本当は凄いことなのだ。僕みたいに変なこじらせをせず大切な人と同じ時間を過ごすことができるというのはかけがえのないことなのだ。是非恋人たちにはその幸せを噛みしめて生きていてほしいと思う。


自分の言いたいことを書いていたらめちゃくちゃな文章になってしまった。もはや何を言いたいのかすらも分からない。これ後日見返したとき自分でドン引くのだろうな。
とりあえず自分の書きたいことは書けたと思うので、この話はこれでおしまい。もし同じようなこじらせマンがいたらコメント欲しい。切実に。


自分の想いをつらつらと文章に起こしています。本当に、サポートなんて、気が向いたらで構いません。読んでくださるだけでも感謝です。