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子宮筋腫の治療と2回目の救急車。

◇薬を変えたあと◇ 

 当初私は、7月に倒れたものが数週間で治ると思っていました。(自分でも考えの浅さに心底驚きます…)しかし、そうもいきません。長期に渡って蓄積された疲れとストレスは簡単には治らないものです。

「ジエノゲスト」から「レルミナ」へ変えて症状はだいぶ改善されました。煩わしいと思っていた生理が全く来なくなったのです。こんなに開放的になるものなんだ、と思いました。出血が止まった後は、体力を取り戻すために徐々に体調を見ながら、散歩をしたり、買い物へ行ったりしました。
 隔週で病院へ通い、骨盤周りのMRIも撮り、順調に快方へ向かっていた頃。何度か診断中に先生が、チラッと「手術はどう?」と言うことがありました。私は、その時(なんで言ってるんだろう?)と気にも留めていなかったのですが、あとから考えれば恐らく、自律神経が参って抑うつ症状があった私を気遣って、先生は強く手術を勧めなかったのだと思います。(かなり控えめに言っていたので、意味が私に通じなかった…)
 私は、「レルミナ」の服用でこのまま良くなると思っており、筋腫も5cmから3cmへ小さくなっていたので、すっかり安心しきっていました。特に今すぐ妊娠の希望も無かったので「手術をする」という選択肢が抜け落ちていました。

 そうして診察を受ける中で、(手術をしなくていい)と思っていた私と、先生の(手術をする気はないのだろう)という誤解が生じたのかと思います。長期服用ができない「レルミナ」から「ジエノゲスト」へ薬を戻すことになりました。
 私は前回の経験があるので(なぜ、またこの薬を処方されたのか?)と分かりませんでした。
 これも後に分かることですが、「レルミナ」と「ジエノゲスト」の間に該当する薬はなく、どちらかを選ぶしか無かったのです。
 そして、また「ジエノゲスト」の服用を始めました。

◇やはり…という展開◇

「ジエノゲスト」を服用し始めて約2週間した頃から出血が始まりました。10日間ぐらいは少量の出血。その次に2日間ほど一気に出血して焦りましたが、また少なくなったり。そうして過ごしていると徐々に増えていく出血量。そして、年末1週間あたりをピークに大量出血をしました。
 あまりの出血に耐えきれなかった私は、大晦日にH病院の救急へ電話をしました。その日の診療は終わっており「病院に先生がいない」とのこと。「次の日(元旦)は、朝早くには居るので、もしいらっしゃる場合は、朝9時までにお電話をください。」と言われました。
 ですが、朝にもう起きれない程の貧血になってしまっていた私。体も怠く、起き上がるのも面倒、そしてずっと立っていられない。
 結局、元旦に病院へ行けなかった私は、仕方なく病院の休暇が終わってすぐに向かうことにしたのです。あと5日。けれど、それがまた良くない判断でした…。

 とある夜。大量の出血がありました。私は1時間ほど格闘したあとに、ナプキンが底を尽きそうなことに気が付きました。出血が多ければ、2~3時間で何枚も取り替えなくてはなりません。これでは明日の朝まで保つか?という程度の買い置き分。(無くなってから大量出血が起こったらいけない!)と思い、症状が落ち着いてからドラッグストアへ車で向かいました。
 貧血でくらくらしながらも、買うものは決まっていたので、目当てのもの一直線で買い物をしていたら、立ち上がって歩いた反動からか、収まったはずの経血が大量に!!そして、それと共に動悸が始まりました。
 どうにかレジの前までやってきて、あとはお会計、というところでしたが立っているのがやっと。(お店の方に迷惑を掛けてはいけない)と我慢していたのですが、私のお会計が来た時、意識が朦朧として立っていられず、その場にすくんだ状態になってしまいました。
 息も上がって、顔面蒼白だったであろう私に、店員さんは親切に声を掛けてくれ、車までの移動も2人がかりで支えて手伝ってくださいました。救急車の手配も申し出てくれましたが(少しゆっくりすれば体の状態も戻ってくるだろう)と思い、丁重にお断りをし、しばらく車の中で寝ていました。
 しかし、症状は一向に改善せず。車で帰れるような状態ではありません。このまま寒空の中、車の中で意識を失うわけにはいきません。私は外出したのを後悔し、申し訳ないと思いながらも、また自分で救急車を呼んだのです…。

 次回へ続きます。

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