夢とパワハラの記憶
嫌な夢を見た。
夢の中で私は上司から様々なパワハラを受けていた。最初は従順に耐えていたが、そうしているうちに身体がどんどん動かなくなり、強烈な睡魔に襲われて起き上がることもできなくなっていく。そんな状態になっても上司は私に容赦なく仕事を言いつけてくる。
そんな夢だった。
私がうつ病になって仕事を辞めてから、2年が経つ。2年という年月が果たして長いのか短いのかわからないが、私は2年が経った今でも、こんな夢を頻繁に見て目が覚める。
私は、新卒で地方創生を担うベンチャー企業に入り、1年間働いた。過労とストレスでうつ病を発症し、1年しか働けなかったのだが、そこでの記憶は今でも強烈に私を襲う。まるで濡れた布を顔に押し付けられているかのように、じわじわと呼吸を奪っていく。
どうして私は、自分を壊してしまったのだろう。
何がいけなかったのだろう。
この2年間、何百回も考えてきたことだ。
答えは、よくわからない。もしかしたら、この会社にいなかったとしても、遅かれ早かれこうなる素質が私にあったのかもしれない。もしかしたら、子ども時代から徐々に溜まってきたものが現れただけで、会社での出来事はその引き金にすぎないのかもしれない。
けれど、私が新卒の1年で経験したことに、自分自身がものすごく傷ついたのは確かだ。
一番怖いと感じるのは、私自身が「あれはパワハラだったのだ」と気付いたのが、会社を離れて随分経ってからだったということだ。
私がいた会社で行われていたことは、誰から見てもわかりやすい「はっきりしたパワハラ」ではなかった。でも、ちょっとした「あれ?」というのは働き始めた初日から感じていた。徐々に積み重なっていった「あれ?」は、目に見えないところで風船のように膨らんでいき、ある日一気に、はじけた。
細かいところを指摘すれば、山のように出てくる。この際、全部書き出そうと思う。
これを見ると、「どうしてこんな酷い環境にいながら、辞めなかったのか?」と思われるかもしれない。今見ると、自分でも不思議に思うくらいだ。
だが、実際に新卒でこの会社に入った時、私は日々小さなズレを感じていながらも、なかなか辞めるという選択をすることができなかった。
第一に、学生の自分が、それなりに考えて答えを出した就職先だったということ。学生時代に学んできたこと、それを活かせる場、経験を積める場として、ここで少なくとも3年頑張ろうと覚悟を決めていた。どうしても「この選択が誤りだった」とは認められなかったし、「自分で正解にするしかない」と考えていた。
第二に、仕事の内容が、自分のやりたいことだったこと。今の日本で、自分のやりたいことを体現しているところといえば、ここしかないと思うくらい、外側から見れば「良い」、先進的な地方×教育事業に取り組んでいた。私は中学生向けの公設塾のスタッフをしていたのだが、教育的な観点から見ればレベルが高く、学べることはいくらでもあった。生徒たちとの関わりにもやりがいを感じていた。
要するに、志を高く持ったエネルギッシュな若者にとって、魅力的な会社であったのだ。働いている人も皆20代〜30代が多く、若いうちから多くの経験ができた。掲げている理念も理想も素晴らしかった。自分の持てる力を活かして地域、社会の役に立ちたい、そして自分自身も成長したいと思う意欲ある若者が、飛びついて行く充分な要素がそこにはあった。
ただ、そこが落とし穴だった。
若者を惹きつけるベンチャー企業は、「やりがい搾取」の第一線の現場だった。
また、法律を巧妙にかいくぐったシステムは、労基に訴えることすら許してくれなかった。全ては会社が生き残れるように、巧妙に仕組んであった。
社長もマネージャーも、私が辞めるとわかった途端、一気に無関心になった。謝罪も労いの言葉も一切なかった。
自分を貶められた、辱められた、という経験は、時間をかけて人の心を蝕んでいくのだと思う。
かつて自分を作っていたもの、あらゆる信念、好奇心、希望は全て萎え、どこかに消えてしまった。
今の私は、空っぽの心を抱えて、途方に暮れている。
ただ、少しずつこうして吐き出していくことで、自分を取り戻したい、新たな自分として再出発したいと願っている。
追記:
すっかり苦しい気持ちになってしまったので、いつかの紫陽花を。
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