つれづれ

1998年生まれ。うつ病歴2年。 日々のよしなしごとを、そこはかとなく綴っていきます。

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1998年生まれ。うつ病歴2年。 日々のよしなしごとを、そこはかとなく綴っていきます。

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つれづれ日記始めます

朝8時、朝ドラが始まる少し前に起きて、朝ドラを見ながら朝ごはんを食べる。自分の部屋に戻って、股関節のストレッチと、軽く筋トレをする。肩が凝っている時は、肩こりヨガをすることもある。それらを一通り終えると、力尽きて、ヨガマットの上で眠りに落ちたり、少し元気な時は本を読んだりする。だが、大抵は何もせずに横になって、シミだらけの天井を眺めている。 そうして、気付けば昼を迎えている。 これが、最近のルーティーンとなっている。 うつ病と診断され、日常の全ての色を失ってから、はや2年

    • 好奇心から愛へ

      フィンランドに来て早くも1週間が経った。 時差ボケや到着してすぐに引いた風邪からも回復して、懐かしい人たちとの再会や、牧師さんとの共同生活、森の中での静かな暮らしに徐々に身体が馴染んできた。 昨日、森にブルーベリーとキノコを採りに行った。 3人で行ったけれど、森に行くと大体みんな1人で黙々と収穫物を探しだすから、特に地元の人はあっという間に姿が見えなくなる。それでもフィンランドの森は高低差が少なく、草も背が高くならないので基本遠くまで見通すことができ、迷子になることはほとん

      • 4年ぶり、第二の故郷へ

        日本の暑さに耐えられず、1ヶ月半、フィンランドの知り合いの家に滞在することになった。 滞在するのは、2019〜2020年に1年間留学していた、ロヴァニエミという北極圏の街だ。 留学時代から自分がいかに変わってしまったかを思うと、心が痛いような、やるせないようななんとも言えない気持ちになる。 2019年8月16日、21歳だった私は、嬉々としてフィンランドに旅立った。不安や緊張は一切なかった。頭も心も新しく始まる異国での生活への期待とワクワクでいっぱいだった。 トビタテ留学J

        • 心の境界線が消えた時

          うつ病を始め精神疾患になることを「心が壊れる」とよく表現されるけれど、それは具体的にどのような状態なのだろうか。 私も実際に壊してみるまではどうなるのかわからなかったのだが、2年前にうつ病を発症して、それが何を意味するのか、どのような耐え難い苦しみを伴うのか身をもって理解した。 あくまでも個人の感覚にすぎないが、書き残しておきたい。 私にとって、心が壊れるとは、 心が持つ「境界線」が消えること だった。 元々、健康な心というのは、外側に丈夫な膜があって、外部の影響から

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          「いい子ちゃん」の仮面

          これまで苦しいことばかり綴ってきたけれど、私は基本的に、今自分は幸せだと感じている。 うつ病になって何もできなくなった私を、当然のように受け入れてくれる家族がいること。こんなに情けない私でも、離れず関わり続けてくれる友人がいること。 うつ病にならなかったとしても家族は家族、友人は友人であり続けてくれただろう。だが、私自身が、その尊さを心から理解し、能動的に愛することができるようになったのは、病気になった経験があったからだと思う。 弱い、不完全な自分でもいい。そのままの自分

          「いい子ちゃん」の仮面

          夏の記憶

          夏がやってくるにつれて、順調に回復しているように見えた体調が、またぶり返してきてしまった。 たぶん、暑さに脳がやられたのだろう。 体温調節には、自律神経をたくさん使うという。もともとうつで機能が落ちている私の脳は、体温調節という大仕事に耐えられなかったのだと思う。 ただ、それと同時に、私が特に夏に体調を崩すのには、他にも理由があると考えている。 私が2年前過労でうつ病を発症したのは、8月だった。春頃から身体はサインを出し続けてくれていたのに、私が無視して働き続けたせいだ

          夢とパワハラの記憶

          嫌な夢を見た。 夢の中で私は上司から様々なパワハラを受けていた。最初は従順に耐えていたが、そうしているうちに身体がどんどん動かなくなり、強烈な睡魔に襲われて起き上がることもできなくなっていく。そんな状態になっても上司は私に容赦なく仕事を言いつけてくる。 そんな夢だった。 私がうつ病になって仕事を辞めてから、2年が経つ。2年という年月が果たして長いのか短いのかわからないが、私は2年が経った今でも、こんな夢を頻繁に見て目が覚める。 私は、新卒で地方創生を担うベンチャー企業

          夢とパワハラの記憶

          浮かぶ日と、沈む日と

          うつ病を抱えていると、どうしても浮き沈みがある。 たぶん、うつ病じゃなくても人は誰でも多少は浮いたり沈んだりして生きているのだろうけれど、精神疾患を抱えるとそれが顕著に現れる。 今日は、沈む日だった。 今朝は、夜が明けるまでとても長く感じた。 いつもはあまり気にならないのに、昨日はエアコンの音が、なんだか話しかけてくるように耳に響いて、寝ついたり起きたりを繰り返したように思う。部屋が明るくなった時、エアコンはもうそんな音を発していなかった。あれは私の気のせいだったのだろう

          浮かぶ日と、沈む日と

          暮らしの中の洗濯

          好きな家事は? と聞かれたら、私は「洗濯」と答える。 おそらく、汚れたものがきれいになっていく過程が好きなのだと思う。 同じ理由で、皿洗いも好きだ。 掃除になると、ちょっとめんどくさいと思ってしまう。だが、一度掃除を始めるとハマる。特に、学校とか、シェアハウスの共用スペースとか、「公共」の場所の掃除は好きである。自分だけならちょっとくらい汚くても別にいいやと思ってしまうが、人と一緒に生活する場がきれいになると、なんだかすっきりする。 今日は、3年くらい使ったリュックの洗

          暮らしの中の洗濯

          深海にいた頃

          うつ病になった当初、何もかもがうるさかった。 当時、田舎の2階建てアパートの2階に住んでいたから、騒音とは無縁の場所だったのだけれど、それでも住民が階段を上る足音や車の音、さらにはかすかに聞こえる道端で話す人の声まで、あらゆる「音」がしんどくてたまらなかった。 どうしてそんなに音に敏感になっていたのかいまだに理解できていないが、耳に入ってくる全てが、鬱陶しく、気晴らしに音楽...なんて絶対に聴けなかった。 身体がだるく重く、倒れるようにして布団に横になると、自分の鼓動が

          深海にいた頃