キャリアをぼんやり悩むお年頃

最近時々考える。
会社員として、どう生きていくのが幸せなんだろう、と。



夫がこの4月から異動し昇格する。異動が無ければ、シアトルかオランダに赴任になっていたらしい。

「もしそうなってたら付いてきてた?」

どうなんだろう。純粋に海外暮らしには興味があるけれど、もし一時的な(5年程度の)ものならば、帰ってきたとき望む働き口はあるのか。働かないとしたら、毎日何して暮らす?遊んでもいいの?とか…。


30代にはいり、一応出産も終え、否応なく今後の自分のキャリアを考えはじめた。


院卒の同期のエンジニアは、優秀な子からちらほらと役職も付き始めた。年の近い後輩や先輩は男性ばかりで、特に出世欲や一旗揚げてやろう欲が強い人達。産休などのブランクもないので、ばりばりやっているようだ。

私のモチベーションは、出世でもないし、デザイナーとして名を上げたいわけでもない(もちろん上がれば嬉しいけれど、それが頑張る動機にはならない)。私の動機は、買った人の嬉しい口コミを見ることだとか、仲間を助けることだとか、チームに貢献するだとか、人に喜ばれるのを見ることだ。時々無性に、飲食業や売り子など、お客さんと接するバイトをしたくなるのだけど、きっと私の幸せの原点がそこにあるからだと思う。

だから、評価が悪かったり、仕事を否定されたりすると「要らない人間なんだ」と思って不安になる。首になるのが怖いというよりも、人に必要とされないのが怖い。



グループのトップがころころと方針が変わる人だということがここ数年で気になってきた。一度決めた大方針でも、興味を失えば簡単に意見を変える。1クォーター前に決めたことをコツコツと進めていたら、あれっもう興味がなくなったの?やめるの?ということが度々ある。代わりに対外的に謝るでもない。トップってそういうものなのかもしれないな。波乗り上手で口が上手い。素直な人なので人として嫌いになってはないけれど、リーダーとしての私の人望は低い。直接私の評価をする人ではないのがまだ救いだ。
そんな人にアウトプットを評価されて、私はちゃんと人を喜ばせることができるのだろうか?私への関心を失われて、作業的な仕事が増えた時、喜ばせたいというモチベーションを保てるのだろうか?

今、私の担当する仕事内容は、トップの関心事に関わっているからまだいい。

だけど、もう関心がなくなったら?



私の強みと言えるところは、(人から気づかせてもらったことが複数あるけれど)どれも技術的なこと(造形力やグラフィック力等)ではない。

コミュニケーション、CMFや社会のトレンド、文章やコンセプトを生み出すこと…。どれも、成果だ!という形が見えにくい。産休中、今までのキャリアを整理してみたら、あまりに無形でびっくりした。これでは、よそに欲しがられるような技能がないどころか、上司も評価しにくいんじゃないか。こいつの使い道に困るのではないか。……。



今の職場はお給料も悪くないし、人も殆どは好きな人ばかりだし、助け合ったり愚痴を吐き出し合える人間関係もできている。今のところほぼ在宅勤務だし、時間の融通も利くし、福利厚生も充実している。

同じ条件で他の会社に移ることはかなり難しいだろうし、制度的に整っていても、家庭都合に合わせて仕事量や勤務時間を調整したり気を遣ってもらうような人間関係があるかは分からない。

そもそも人に甘えられるようになるのに時間がかかる私は、人間関係が変わることがとてもストレスだ。

出世欲のためのバイタリティはないけれど、意欲をもって仕事するための“コア”みたいなものは欲しい。わがままだね~。「生きがい」「将来設計」を小学生から高校生までしっかり教え込まれていない親世代には、絶対に通じないことだ。





夫とそんなことをだべっていたら、「自己成長をバイタリティにするしかないよね」と彼が言った。人の評価ではなく、自分による実感。

「自己成長をしながら大金(※そこそこの給料の意味)をもらうと思ったら、悪くないよね」

うん、そうだな。

もっと絶望的なやつがトップにもし就いたら、その時は考えようか…。そのころには貯金もあるし、アムステルダム暮らしもいいかもしれんなぁ…なんてな~~~。(その頃には夫も赴任させられるような立場じゃない気もするが)



・・・



自己成長と、すきだと思える人のために働こう、と思う。今のところは。

キャリアは後からついてくる。(会社としては成長目標を求められるのでここは苦しいところ)

一緒に仕事したいと思われるような人になろうと思う。これは、就活生のころからずっと。





最後に覚書…

悩んでいた時に、救われたこと。

上司が、「客観的に場を見て、円滑に場が進むように発言してくれているよね」と言ってくれた。

自分の成果にする!という欲が強くない分客観視できることがあるし、助けたいという思いが強いから、動いているのだと思う。非常に個人的な美学だから、一部の人からしたら良い子ぶっててウザく見えるらしいが。

「ユーザーのことを想像し、ユーザーの姿が見える提案をするのが上手い」というのも嬉しかった。

形の見えにくいアウトプットだからこそ、上司が言葉にしてくれるとものすごく安心して、ここに居ていい、と思えた。自分では分からないことだった。



先輩が、「求められていることをちゃんと、場が進むようにやってくれるから、(私に)頼みたかった」と言ってくれた。

Aをちょうだいと言われたらAを出す、もしくはA+別案を出す、ということができない人は、意外と多いらしい。Aをほしがるのはおかしいんじゃないですか!?と前提を覆そうとしたり、@(全然違う物)を出したりする人。それも多分、その人の美学(自分に頼まれたからには、自分にしか出せないものを出そう)なんだろうなと思う。デザイン職は変わった人を想像する人も多いだろうし、そういう人の方が出世すると思う。だけど自分のような仕事も大切にしてもらってるんだと思って、目頭が熱くなった。



私も、後輩やいつかの部下のいいところを言葉にできる人になろうと思う。多分、ここに居る限りは、そういうソフトポイントを担っていく人間なんだと思っている。

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