殺してくれと言われた日
それまで優しく握られていたはずの手に、いきなり力が入ったかと思うと、体をぐっと引き寄せられた。
どこにそんな力があるのかと思うほど強く。
そうして、カッと見開いた目で、僕の目を睨みつけてこう言ったのだ。
「頼むから、お願いだから、殺してくれ。」
僕の母がよく、こんなことを言います。
これを言われた時、僕が考えることはいつもひとつで、そうしてあげたいと思う反面、その時のその決断が自分にできるかどうかという不安です。
僕は、母子家庭だったこともあり、仕事が忙しい時期に僕が熱を出すと、祖母の家に預けられることが何度もあったものです。
なので割とおばあちゃんっ子だったと思います。
そんな大好きだった祖母も、晩年は認知症を患いました。
そして、だんだんと食事を自分で取ることもできなくなって、寝たきりに近くなっていき、これはもう弱ることはあっても昔のような祖母には戻らないだろうなと思いました。
ある日、いつものようにお見舞いに病院に行くと、祖母が起きていました。
珍しいなと思いながらも「おばあちゃん遊びに来たよ!」と大きめの声で声をかけ、代謝が悪くなって冷たくなった手を握るとジッと僕の目を見つめてきていたのを覚えています。
元気だった?体痛いところはない?などと声をかけて、か細い声ながら返事をする祖母と時間をかけながらやりとりをしていました。
すると、突然、いつもは握った手を自分で振ることもほとんどせず、起き上がることもままならないはずの祖母の手に、いきなり力が入ったかと思うと、祖母の体に僕の体がグイっと引き寄せられます。
そして、体を小さく震わせながら、全身の力を込めながら、僕の手を支えにして上半身だけを起こした祖母が僕の目を見つめながらこう言ったのです。
「頼むから、お願いだから、殺してくれ。」
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。
なんと返答していいかわからないで後ろにいた母を振り返ると、目にはうっすら涙が滲みはじめているところでした。
その母が「そんなことできないよ。」と子供に言うように優しい声をかけてくれたのが、なんとうか、救いでした。
僕の祖母の日常は、ベットの上から天井を見続けるだけの生活。
テレビが大好きだった祖母ですが、認知症が進むと、テレビ番組の中でなにを言っているのかわからなくなってしまうらしく、テレビも見なくなっていました。
痰を自分で切ることができなくなってきて、定期的に看護師さんが吸引してくれるものの、祖母の顔は毎回苦痛に歪みます。もっと優しくして欲しいと思うものの、看護師さんの負担も考えるとお願いばかりもできず、なんとなく悔しい思いにもなってしまったこともあります。
自分で寝返りもできず、床ずれで体のあちこちに痣が増えていく。
僕が何気なく過ごしていて、あっという間に過ぎ去ってしまう1日という時間が、祖母にとってはどれほどの長い時間なのか。それを考えると、祖母の言葉通りにしてあげたい。
でも、できないよ。
殺人は罪だからとかじゃない。
大好きだったおばあちゃんを殺すことが、僕にはできないよ。
そう思いました。そう思ってしまいました。
今でも、この瞬間は頭から離れません。
そして、今にもう一度あの瞬間が訪れたとしても、きっと同じように動揺することになると思います。
そしていつか必ずやってくる両親の死に際に、自分が何をしてあげられるのか。それを考えずにはいられないです。
もうすぐ祖母が亡くなって今年で3年を迎える日が近づいてきたので、そんなことを思い出したり考えたりしました。
おばあちゃん、今年もお墓参りに行くからね。
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