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つれづれつづり

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それぞれ、おのおの、つれづれにつづります。
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2019年4月の記事一覧

そっちとあっち、そして、こっちすら。

「うつは治らない病気です」と言われた時はビックリした。ガッカリした。 当時はうつは病気だとやっと認知し始められた頃。 怠けてるだとか、気合が足りないとか、そんなイメージがまだあった。 自分でさえそう思っていたんだから仕方がない。 「うつは治らない」は正しいけれど、正しくはない。 完治という言葉はないけれど、寛解と言う言葉がある。 完全には治らずに、症状がおさまった状態にはなる。 何かのきっかけでまたなることもある。 そんな感じ。 寛解状態になった自分は、また働き始める。

糜爛

「セックスと愛はイコールだよ。けど、愛はセックスとイコールじゃないかもしれない。」 とある漫画のセリフである。至極ごもっとも。 1回くらいはちょっと艶っぽい話を書いてみよう。生々しい表現は極力避ける所存。 前回までの流れで結果ロクに性欲を満たすことができていなかった俺にも「爛れたセックスを繰り返す時期」というのがあったのだ。箇条書きにしてみる。 ・風の噂に聞いた「発展場化している某温浴施設」に足繁く通うようになっていた。(K末期) ・インターネットのそれ的な掲示板で漁るよう

平成を振り返る season3

本当はこの記事、3月25日に上げなきゃいけなかったんですけど、うっかり書き忘れてしまって、そのままズルズルを引き伸ばしてしまいました。 私の悪い癖で、明日でいいや〜が無限に続いてしまうのですね。でもどっか心の隅には意識があって、ジワジワダメージ受けてるみたいな。 さっさと解決してしまえばいいんですけど、かなり体力を使うというか、まぁ、全部言い訳ですね!はい! ということですみません、大幅に遅れましたが、第3回です。 (第4回の締め切りも過ぎているが…) 今回は平成中期?

前進(前身)

平成後期。平成20〜30年を綴っていきます。 10歳から20歳になるまでなので、この期間が私の全てとも言える。私らしさを形作るのは、この期間の出来事がほとんどでしょう。 さて、数多ある出来事の中から、ゲイとして何を綴ろうか。 中学高校と特に恋人も居らず、特に華やかさも持ち合わせずに過ごしてきましたが、前に書いた通りゲイとして人と交わることはいっちょまえにしてきました。 いっちょまえとは言えども狭い田舎の中学生なんて知れていて、しょうもない初体験から消費するような出会

よっつめのスタート

平成後期。平成20年代。あの日の夜。 あの日の夜のことはどんな記憶よりも鮮明に脳裏に残っている 決して華やかで幸せをもたらす記憶ではない それでもわたしにとっては一生涯忘れてはいけないと刻んだ記憶 会場入り口に展示されていた高校生の時に描いていた夢をマップにした彼自作の作品も覚えてる その奥の部屋に照れくさそうに微笑む彼の写真も覚えている その写真の彼は花でいっぱいに飾られた壇の中心に置かれた四角い箱に中で静かに目を閉じていたことも覚えている 恐らく痛々しく残ったであ

辺際

平成11年。 新たな歌姫が低い天井の下で窮屈そうに歌っているうちに、巷に溢れる物はおよそ半透明になり、ジャニーズの新グループがデビュー曲で着た衣装も透けていた。 聞いて話すだけだった携帯電話がインターネットに繋がり、ポケベル娘から順調に成り上がってきたアイドルが難関大学へ3ヶ月しか登校しないと批判されていた頃、あちこちへ電話をかけていた平成おじさん内閣の支持率は急上昇し、日本の未来はWowWowWowWowだった。 この年、氷河期と言われた就職戦線を勝ち抜いて明るい未来に

根腐れ

平成23年。 この頃には、最初に勤めた職場を既に退職し、友人達と起業していた。 要領は良くなかったが、友人、従業員たちと現場をなんとか形にした頃。これからどんな会社にしたいのか、次は何をするのか。正直なところ、社長にあたる人物との衝突も多かったが、仕事に一番真摯に向かい合っていたと思う。 とにかく多忙だったが、同性愛者の友人に誘われ、音楽も再開していた。 専門教育を受けた人たちや、上手なアマチュアたちとの出会いが多く、自分はがむしゃらに音楽をしていただけで、決して上手では

平成個人史#4 地獄編

 つれづれつづり四回目。時代は平成後期。大学生から社会人。  タイトル通り地獄めいたことばかりが起きたように思います。時代としてもリーマンショックやら大震災やら不穏な事が多かったのは皆さまもご存知の通りです。先に申し上げておきます。この記事でも明るい話題、無いです。  同性とも恋仲になり、いよいよ本格的に活動が始まります。と言っても非常に奥ゆかしい活動でした。そもそも私は当時創作活動に熱心でいずれはその道で生計を立てたいと思っていました。特別同性愛に関する創作ではなかったので

平成後期、Hello World

平成後期と書きつつも、平成中期のいろんな出来事があったので、少し時計の針をゆっくりと進めます。 ◇ Kへの初恋が終わり、「いつかきっと女の子のことを好きになれるから」という言葉を自分自身でも少なからず信じていた僕は、「彼女ができたら、女の子を恋愛対象として見れるようになるのかもしれない」という漠然とした希望に引きずられ、彼女を作ろうと躍起になっていた。 同じ地元から同じ大学に進学したとある女の子と少しずつ距離を縮め、大学1年生の文化祭の後に「付き合ってほしい」と告白した