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平成を振り返る season3

本当はこの記事、3月25日に上げなきゃいけなかったんですけど、うっかり書き忘れてしまって、そのままズルズルを引き伸ばしてしまいました。
私の悪い癖で、明日でいいや〜が無限に続いてしまうのですね。でもどっか心の隅には意識があって、ジワジワダメージ受けてるみたいな。

さっさと解決してしまえばいいんですけど、かなり体力を使うというか、まぁ、全部言い訳ですね!はい!

ということですみません、大幅に遅れましたが、第3回です。
(第4回の締め切りも過ぎているが…)


今回は平成中期?かな?10歳ぐらいから20歳ぐらいまでの自分を振り返ってみたいと思います。
前回はざっくり、幼少期の頃のことや、家族のことなど、ステータスのことを綴ったようです。読み返しました。
読んでいてい気づいたのですが、なんかざっくりとし過ぎていて、淡白な印象ですね。もう少し自身の細かいところにフォーカスを当ててみようかな。


10歳というと小学校4年生ぐらい。
相変わらず自分の好きなことを優先していました。
体育は苦手だったかな。よくサボっていました。「ちょっと風邪っぽいんで見学します〜」みたいな。代わりに運動好きの友達が何らかの試合に出てくれて助かってたような覚えがあります。
好きなことといえば理科と図工。あと当時は生活、なんて授業もありました。何してたかはよく覚えてません。
特に図工はとても好きで、絵を描いたり、何か作ったり、とても楽しんでいました。ハマるとのめり込むタイプなのですが、切り絵を作ろう、という授業の中で滝平二郎先生のやたら細かい絵を模倣して切り絵を作成して、悦に浸っていました。

探せばあるもんですね。さすがgoogle。この絵↑をチマチマ作っていました。
真っ黒い画用紙を切って切って切りまくる日々でした。

で、その切り絵を担任の先生がなんらかの賞に応募したらしく、しばらく公民館みたいなとこで飾られていました。トレースしたものなのに。小学生の行いだからいいのだろうか、と、今思うと謎です。どうも担任の先生が勝手にやったっぽくて、事後報告、並びに親が怒っていた覚えがあります。普通確認するよね、みたいな。

そんな「モノづくり」「創造すること」が好きだった私ですが、結局今はアートな世界で生きているわけではなく、ITエンジニアとして働いております。
今でもアート的なものは大好きですが、自分で何か作るというのはしなくなりました。やりたいんだけど、創造するより享受する方が優先されております。

話は変わって、小学校6年生。
ここで人生が大きく変わります。
や、変わりますと書いていますが、常に変わっていくものなので、変わったことは特段珍しことではないですね。
周りの友達とは違う道を歩み始めた、ぐらいでしょうか。まぁ中学受験をしました。

比較的勉強が苦手じゃなかったのと、あと地元の中学校がガラが悪くて「嫌っちゃ嫌かも…」ぐらいの理由で受験しました。受かったら嬉しいし、落ちても地元の中学で小学校の頃からの友達をまたワイワイやってきゃいいやって感じだったと思います。
そんで、見事合格して、ひとしきり喜んで、小学生は終わります。

中学校へ入って、かなりダメなタイプになりました。
小学校ではそんな勉強しないでもそこそこテストで点が取れていたのですが、やはりわざわざ受験した中学校ではそういうわけにもいかず。
学年に80人ぐらいいたのですが、75番とかでした。テスト。
私立の中学校へ行くことで環境が一変し、楽しいことを優先する性格が悪さをしてしまい、テレビゲームやるとか、ゲーセンへ行くだとか、カードゲームにハマるだとか、遊んでばかりいる子になってしまいました。でもその時一緒に遊んでた子達、みんなテストの成績良かったんですよね。精神と時の部屋でも行ってたのかな。

学校にはマジック・ザ・ギャザリングを持って行き、休み時間に先生の目を盗みながら友達と対戦、授業中は漫画を回し読みし、放課後はゲーセンで日々ドラムマニアでリズム感を磨き、夜はデッキを構築するか、PS2で遅くまでゲームを…

今思うと勉強の「べ」の字も無く、学校には何をしに行っていたのかな?と不思議に思います。コミュニケーション能力を磨きに行ってた、のかも。なんて。


中学校3年生になって初めて携帯電話を入手しました。


これ。C406S。
いやー懐かしい。学割じゃないとダメ!っつってauにしましたね。思い出深い。
sony ericssonのericsson部分はどうなっちゃったんでしょうか。
携帯電話を手にして、私の生活はまた勉強から離れてしまい、かなり大変なことになっていました。四六時中友達とメールしてましたね。
着メロ集めたりとか、作ったりとか、感動しました。携帯電話好きなのは今も変わらずです。

多分この頃、男の子を好きになりました。急に話題がLGBT寄りに。
しかも告白したりして。構ってちゃんだったのと、結構苦しかったのかな、と思います。打ち明けてみて、でも友達でいようね、みたいになって終わりました。次の日どんな顔して学校行ったんだろう。もう覚えてないです。
そこで「男の子を好きになる」ことが続いたわけでもなく、女の子を好きになったりもしました。しばらくそういう感情は生まれなかったかな?高校生の時に体育の先生をめちゃくちゃ好きになるまで、しばらく男の人への恋愛感情はなかったように記憶してます。

そんなこんなで遊び呆けていた中学時代も終わり、高校生活です。
高校生活は上記の体育の先生に恋しちゃうとか、部活(吹奏楽)にハマるとか、これまた勉強の「べ」の字も出ない生活でした。
ただ、大学には行きたいな〜と漠然と考えていたので、進路はどうするとか、理系?文系?とか、そういう悩みは増えました。
結局理科が好きだったのと、動植物への興味が強かったのと、教師になりたい!ということで、全部できそうな教育学部の理科を目指すことにしました。この時は。
しかし遊んでいた私がそうやすやすと大学に合格するはずもなく、高校卒業後、浪人をし、何とか農学部へ行くことが叶いました。

のの、の、農学部?教育学部は?と思われた方もいらっしゃると思いますが、農学部へ進み理科っぽいことを深く勉強して、教員免許は頑張って他で取ろうとしました。
結論だけ言うと教員免許は諦めてしまったんですけど。思ったより授業が大変で途中で放棄してしまいました。今思うと頑張れたよな〜という気もするのですが、色々重なった結果諦めることに。
その辺の話は次回の4回目でします。20歳以降の話ですしね。

この時点で2600文字以上になっているのですが、大丈夫でしょうか。細かく書いていくと長くなってしまいますね。ふふ。もうちょっと続きます。

高校は中学からそのままの流れで進学したので、特に受験なども無く舐めきっていました。進学は可能だったのですが、一応入試は受けるということで挑み、全然出来なかったような覚えがあります。「世の高校受験生はこれ解けるの?無理!」って感じでした。そこで世の中とのアンマッチに気づいて勉強に火がつけば良かったのですが、まぁ勉強しませんでしたね。

相変わらず理科(物理・化学・生物)は好きだったので、理科を中心に理系科目は多少勉強する気になっていて、そこまでめちゃくちゃな点は取らなくなっていたのですが、いかんせん文系科目が苦手で、苦しんでいました。今でも現代文は苦手です。頭に入ってこないんですよね、文が。
あと歴史は興味が持てなかったのでひたすらに暗記するのが無理無理〜!ってなってました。今でこそ多少興味が出てきて、世界史とか、便覧見るの楽しいなと思えるのですが、当時はもう本当に勘弁してくれと思っていましたね。

今も精神年齢相当低いと自分では思っていますが、高校生時はもう、それはもう幼かったんじゃないかと。苦手意識を持つと脳が追いつかなくなってしまってました。今は「そうは言ってもなんかしら楽しいことあるでしょ」と楽観的に考えられるのですが、当時はそこまで考えが及んでおりませんでした。

と、勉強のことばかりでつまらなくなってしまうので、高校の体育の先生の話をします。したい。

体育の先生を好きになったからと言って体育が好きになるわけでは無く、相変わらずサボり気味でした。高校の体育は多少楽しかったかな、なんか色々選べたような気がするので。
なんですけど、体育の時間は基本的に先生とお喋りしていたかったので、ダラダラと座りながらバスケとかの試合を見守っていました。やってることが小学校時代と変わっていない。
なんで先生を好きになったのかってのは全然覚えてないのですが、好きだった、ということは強く覚えています。中学の頃のように想いを伝えたりするようなことはしませんでしたが、キュンキュンとした日々を送っていました。
多分このあたりの経験から、年上の男性を好きになる傾向が根付いたように思います。当時45歳ぐらいだったんじゃないかな、先生。今どうしてるんだろう。まだ教師やってるのかな。
勉強は苦手でしたが、その他のことは色々とやっていて、例えば学園祭の実行委員長だったりとか、吹奏楽部で学指揮(学生指揮者:顧問不在時に合奏を仕切るなどが主な仕事)をしていたりで、比較的顔が知れ渡っていました。なのでよく職員室に用事があったりして、その度に先生を探したりしてました。ちょっと立ち話するだけでもいいんで〜っつって。少女漫画か。

振り返ってみると、高校時にはすでに男性同性愛者として目覚めていますね。まだ彼女がいたりもしたんですが、全く違う感情が先生には向けられていました。あれはなんとも説明できないのですが、恋ってやつだったのかな。ヘヘッ!

あと、中学の時ほど悶々としていなかった気がします。あまり同性愛者であることに悩みがあるタイプではなかったというか、楽天的だったので、深く考えないようにしたのかな?もしかしたらそれなりに苦しい思いをしたのかもしれませんが、覚えていないので、そういうことなのでしょう。

流石に文章が長くなってきてしんどいので、今回はこの辺で。
まとめると、勉強が苦手な男の子が中高を平和に過ごしましたよ、というお話。

次回は4回、平成後期?20歳〜30歳の話をします。この辺からゲイっぽい話が増えると思います。増えるかな、どうだろ。

では、ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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あ、ここYouTubeじゃねぇわ。

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