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平成個人史#4 地獄編

 つれづれつづり四回目。時代は平成後期。大学生から社会人。
 タイトル通り地獄めいたことばかりが起きたように思います。時代としてもリーマンショックやら大震災やら不穏な事が多かったのは皆さまもご存知の通りです。先に申し上げておきます。この記事でも明るい話題、無いです。
 同性とも恋仲になり、いよいよ本格的に活動が始まります。と言っても非常に奥ゆかしい活動でした。そもそも私は当時創作活動に熱心でいずれはその道で生計を立てたいと思っていました。特別同性愛に関する創作ではなかったので、自分が同性愛者であるということが明るみになるのはさほどプラスにはならないでしょう。偏見ですが。あまつさえ「俺発展場でこいつとヤッたんだ」などと吹聴されるのは我慢なりません。性欲は人並みにありましたが、様々なリスクに怯え、折り目正しく生きる事を決めていました。まぁ、妻帯者とずるずると付き合ったり宙ぶらりんでどちらと付き合うか迷って不正解を選んでしまったり、何もかもが品行方正というわけではなかったのですけれど。ここだけ切り取るとモテモテなように勘違いされる恐れがありますが、まったくモテていません。
 大学ではさすがに女の子との友達付き合いは避けて地味~な男の子とほどほど~に仲良くしていました。それなりにうまくやっているつもりでしたが、結局うまくはいかないものです。とても仲の良かった男の子4人組の内2人から宗教の勧誘を受け、世の中の厳しさを学びました。それぞれ別々に呼び出されたのでもう本当に人間不信です。残りの人もそうなんじゃないの? と思うレベルですがもうその辺もどうでも良かったです。今でもそこまで親しくない人間が趣旨も説明せず「遊ぼうよ!」とか「会わない?」とか言われた場合は絶対に行かないようにしています。世の中本当にどうなっているんですかね。
 結局どこにも居場所なんてなくて、生きづらさは募るばかりでした。せめて誰かに愛されたいと思っても自分に自信がなく、付き合ってもいつ捨てられるか不安になって、そういう態度がめんどうくさく思われて捨てられるような日々でした。

 それでも大学在学中は文学系の教授に色々と指導してもらったり(文学部ではない)バイトに明け暮れたり、楽しいこともありました。けれど何も考えず適当に生きていて、いざ就活となったとき何をどうすればいいのか分からず呆然としました。創作活動で生計を立てたいと思っていても、賞に応募したのも数回ほどですし、結果かすりもしません。インターネット上で細々と公開していたものも反応はあまり芳しくなく、大衆に受け入れられるレベルの物ではありませんでした。
 大学主催のセミナーでOBの「私はこんなすごいことをしてこんなアピールをしてすっごいところに入社できました」という自慢話を聞かされ「そういうのはもっと早い段階で言ってくれないとどうしようもないんだから、ちゃらんぽらんに生きてきたし何もアピールする事なんてないけどなんとかなりましたってやつを連れて来いよ」と恨みがましく思ったものです。とはいえ出だしはそこそこ好調で、BtoBの中小企業の最終面接まで行き「これで就活終わりだろ~~~~」と思っていた矢先に見事落とされ、完全にやる気を失いました。
 そもそも自分が社会人として働くビジョンがまるでなく、人間不信に由来する対人スキルの低さから何もかもがうまくいかなくなりました。折しも時はリーマンショック前に大規模採用を行い、リーマンショック後は採用を絞ろうね というような企業が大多数です。そんな中夢も希望も情熱も実力もない人間が採用されるわけがないです。そういうものがある「振り」すらもできませんでした。はっきりと「お前のようなつまらない人間とは話をしたくない」と言われたこともありました。遠回しにお前がやってきたことになんて何の価値もないと言われたこともあります。それが悔しいとか見返してやりたいとかそういう気概も湧かず「ごもっともです」というような気持でした。もちろんそんな諦念は自分を守るため。いつだって自分を守ろうとして、色々なものから距離をとってきました。そして虚構の自分ばかりが一人歩きして、本当の自分と向き合うことから逃げてきました。
 リクルートスーツを着て、地元の駅で吐き気がひどくて泣きそうで、もう何もやりたくなくなって、面接辞退の電話を入れて、適当な駅で降りてふらふらしたことがありますか? 私はあります。あんなに惨めなことは無いですよ。
 私はずっと大人しくて大人びていると評されてきましたし、自分でもそう思ってきました。同年代の男の子のなんと幼稚な事かと嘆いたことは以前お話しした通りです。けれど大人びている事なんて本当に欠点でしかないのです。子供らしい、年相応の振る舞いができないというのは本人のメンタルか環境に大きな問題があるんですよ。そうせざるを得ないというのはもはやSOSサインと言っても過言ではありません。
「年相応」。これほど美しいものはありません。現に年相応に育ってきた彼らは年相応の経験を積み、年相応の思考を重ね、大人になっていくのです。大人びているなんて、結局はまがい物でしかないのです。大学卒業くらいで今までのアドバンテージを使い果たしました。惰性で生きていればそれは当たり前ですね。

 結局、在学中に合格通知が来る事はありませんでした。将来未定のままの卒業です。卒業式は無意識のうちに遅刻し、父兄席で眺めていました。辛いとも悲しいとも思いません。この隔たりはずっと、昔からずっと見えない形で存在していたから。彼らと自分は違う。非常にネガティブな意味で。もう真っ当には生きられないんだろうなと暗澹たる気分でその日を終えました。

 きっと誰かにちゃんと相談していたらどうにかなっていたと思います。けれどもうどうにかなってしまっていて、ちゃんとしていない自分と向き合うことが出来なくて、私は何も決めないまま、俯いたままでいることにしたのです。

 さあ、何者でもない私の誕生です。無職です。お先真っ暗で希望も何もありませんが自業自得の人生の始まりです。気休めで行ったハローワークのお姉さんにとりあえず自動車の免許があると選択肢が広がるから と唆され、なけなしの貯金を崩して自動車学校に通い始めます。ここでMTなんて見栄を張るから悪戦苦闘。私の自尊心というものはぼろ雑巾のようになり、自動車学校の登校拒否という最悪の事態の発生です。それでもお金が惜しくて泣きそうになりながらなんとか取得できました。もう二度と乗りたくない。

 そのあとは知り合いの伝手で小さな飲食店に勤め、色々な事を諦め何かから隠れるように生きましたとさ。おしまい。

 おしまい、で終われば良いのですが、そうは問屋が卸さず現実は続いています。数年程でその店を辞め、再び何者でもない私に戻りました。

 次回、最終回! その後の私。

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