ラジオと本があってよかった
僕は「深く」反省ができない人間なのかもしれない。つくづくどうしようもない人間である。
ただ、思い当たる節がある。
僕が中学1年生のとき、掃除の時間にホウキをバットのように振り回し、丸めたプリント用紙を打って遊んでいた。
掃除の時間に遊んでいた僕を、お天道様が見ていたのか。僕の手からホウキがすり抜け、体育館の窓ガラスを割ってしまったのだ。
今でも覚えているが、ガラスを割ったのは4月で、入学して1ヶ月も経っていなかった。
普通なら、「入学早々、出鼻をくじいてしまった」とか、「早速先生から目をつけられてしまうかも」となるのかもしれない。
だけど僕はへらへらしたままで、大したことだと思わなかった。
先生に叱られているときも、反省文を書いているときも、中二病の心が作用し「ワルの●●」と周りに印象付けられたと考えていたのかもしれない。
人が反省するようなことを、反省できない。反省をしていたとしても、反省しているそぶりを示せない。
部活の練習試合で顧問から、「戦う目をしてないんだよ!」とペットボトルを投げられたことがある。
そのとき、「あぁ、僕は一生懸命さが相手に伝わりづらい人なんだ」と冷静に自己分析ができた。就活なんかよりも、もっとマトモに。
どんなときも反省ができないのではない。9割自分に非があれば、誠意をもって反省している、と思っている。
だけど、反省の色がみえないと毎回いわれてしまうのだ。
すべて自分が悪いから、なんとか打開していきたい。だけど、相談できる人はそう多くはない。
自宅に長くいると、ポジティブに過ごすのはとても難しいことなのかもしれない。
本とラジオがあって、本当に良かった。
オリガ・モリソヴナの反語法
ひろゆきさんの本
オードリーのオールナイトニッポン
いつでも寄り添ってくれるのは、本とラジオだけです。
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