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「おもしろい仕事なんてない」

「なんでおもしろい仕事とおもしろくない仕事があるのだろうか」

 私たちは仕事をしている。でも仕事をしていておもしろいと感じるときとそうでない時がある。おもしろくない仕事なんてなくなってほしい。ここまでで、うんうんと頷けるのであれば、どうすればおもしろい仕事だけをしていられるのか、ということについて考えたいと思うはずだ。でもおもしろい仕事ってなんだろう。おもしろい仕事とおもしろくない仕事の違いってなんだろう。そのことについて考えることはおもしろい仕事だけをしていられるようにするためのヒントになりそうだ。

 おもしろい仕事って、お金がたくさんもらえる仕事だ。同じ仕事をするならたくさんお金をもらえたほうがうれしいにきまってる。

 おもしろい仕事って、成長ができる仕事だ。仮にお金がもらえなくても、その仕事を通して成長できれば、それはおもしろい仕事と認められそうだ。

 おもしろい仕事って、おもしろいメンバーと一緒にやる仕事だ。自分がおもしろいと思える人と一緒なら自分もおもしろいって感じられるはず。オセロみたいな。

 おもしろい仕事って、ちょっと大変な仕事だ。おわった後にがんばってやりきったと感じられているなら、それはおもしろい仕事だったと言えないだろうか。

 でも、あるコピーライターの人は言う。「ラクできる仕事がおもしろい仕事だ」と。ラクできていないとき、頑張っているときって頑張っていることに満足を感じてしまっていて、むしろいいものができていないことが多い。頑張ってやる仕事はおもしろい仕事じゃない、と。

 ちょっと待ってよと、あるプランナーの人は言う。「憂鬱でなければ仕事じゃない」と。まるで公園で泥だらけになって遊んでいて、気がついたら夜の9時になってしまっている少年のように、夢中になってなにかに没頭しているときこそ、いいものができるものだ。そしてそういう風にしてする仕事がおもしろい仕事なんだ、と。

 続けてこう言う。しかし、そういった仕事をしている最中はおもしろいわけではない。終わった後に振り返ってみておもしろいと感じるだけであって、それは「おもしろかった」仕事なんだ。「おもしろそう」な仕事と「おもしろかった」仕事はあるけど、「おもしろい」仕事はないんだ。仕事自体は無色透明で、おもしろさを感じさせるためのなにかに過ぎないのだ、と。

 どうやら仕事をおもしろいと感じるにはいろいろな要因があるようだが、それらの要因はタイミングという観点から考えて整理できるかもしれない、とぼくは考えた。仕事をおもしろいと思うタイミングは大きく分けて仕事の事前、最中、事後の3つある。そして、みんなが言うに、事前と事後から見ておもしろい仕事はあるけど、最中から見ておもしろい仕事はないのだと。

 う〜ん。本当にそうだろうか。おもしろい仕事なんてない、という結論にいまいち納得できない。だってぼくはおもしろい仕事をしている。おもしろかったけどおもしろくない仕事っていうのは、仕事をしているときに、その仕事のこと以外考えられないくらい没頭し、熱中しているような仕事のことだろう。確かにその瞬間に「おもしろい!」と明示的に感じられなくても、没頭や熱中の原因がその仕事のおもしろさなのだとしたら、それはおもしろい仕事って言ったほうが適切ではないだろうか。

 結局、おもしろい仕事ってなんだろう。いろんな考え方があるだろうけど、「それをすることに高揚感を感じさせ、それに没頭することができるあるいはその成果に対して社会的評価や個人的納得感を得られる仕事」なんじゃないかな。事前と最中と事後、過程と成果、みんなそれぞれ、千差万別におもしろさを感じるだろうからまとめられない気がするけど、とりおきの結論。

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