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猫の喧嘩ごときで

外で猫が喧嘩している。私はそんなことで一日中閉じていた目を開き、窓まで開けて様子を見た。結局猫の姿はどこにもなく、ギャウ〜という声が家の中に入り込んできただけだった。

生きているうちは同じ姿勢でいることも目を閉じ続けることもできない。目を閉じている間に死を選択するスイッチを頭の中で入れたとしても、絶対死なない。興味のあるものには飛びつかざるを得ない段階の人間は、中途半端に死を選択できる立場ではない。

最近は腹の調子が悪く、食べたものが消化されずに体の外に出る。ああ、体を通り抜けただけで下水道に流された生ゴミたちよ。私に食べられたことを後悔しただろう。食べ残しよりもタチが悪い死に方をさせてしまった。ナーバスに便所を後にしてまた目を閉じる。

明日になったら辞めよう、10分後には始めよう、自分の確かさに頼り、負けてきた。健康的な日々を求めて帰ってきた家でできることは目を閉じることだけだった。対して、開けっぱなしの耳に注がれたのは、命の大切さについての作文コンクールが開催されたというニュースだった。「妹を亡くした中学一年生の作文が特選に選ばれました」。失ったものへの自己憐憫は10代でおしまいだろう。何を失っても、幾つ失っても、日常をそれまで通りに運営していかなければ存在が危ぶまれる。病院のお世話になってでも、ものを続ける人が1番えらいとされる。なんてつらい星に生まれたんだ。自分の世界に自分が存在するためのパスポートとして、そのものごとが私にしかできないフリをして過ごす。でもそんなパスポートもどうでもよくなってきた。目を閉じたときにだけ聞こえる音の中で1日を過ごす。感性だけ、感性だけでした。シュゥと膨らんでそのまま屋根を破って、冷たい夜の空に浮上して、毛布の温もりを忘れないうちに大気圏で爆発できたら嬉しいです。

それでもなんでも、猫の喧嘩ごときで目を開けてしまう。猫の喧嘩ごときで目を開けて、窓まで開けて初めて外気に触れた日曜日。さよなら私の日曜日。

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