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「障害者」という肩書きとともに生きるルートを選んだとき、過去の努力は足かせになる



「『障害者』という肩書きとともに生きるルートを選んだとき、過去の努力は足かせになる」という残酷な現実があります。

Twitterで見かけた事例を挙げます。(念のためアレンジ入れています)

京都大学を卒業した20代男性。一般企業に就職したものの、周囲と協働できず、短期離職を繰り返すようになります。医療機関を受診したところアスペルガー症候群と診断されたため、障害者手帳を取得して、就労移行支援センター(障害者枠での就活をサポートしてくれる機関)に通うことに。それを大学の同級生に話したところ、「お前、終わったな」と言われたそうです。

東京大学を卒業した20代女性。一般企業に就職したものの、精神疾患を発症。精神病院への入退院を繰り返したのち、精神障害者手帳を取得し、現在は作業所にて内職作業に従事しています。彼女が自身の半生を綴ったブログを公開したところ、「東大卒で作業所ってオワコンすぎる…」「東大卒には相応の場所で生きてほしい。自分を安売りしないで」といったコメントがつきました。

これらの事例にわたしは、難関大学を目指して青春を捨て、血のにじむような努力をしていた過去のクラスメイトを思い出しました。
上記の二人も、難関大学合格の目標に向かって、並大抵でない努力を重ねてこられたことと推察します。

周囲の人間としては、努力をしてきた人間がそれに見合ったリターンを得られていない、その現実を信じがたかったのでしょう。
(だからといって、本人に対して「お前終わったな」「安売りしないで」と言うのは失礼ですが……)



わたし自身、上記の事例と少し重なる経験をしたことがあります。

わたしは発達障害で障害者手帳を持つ身であると同時に、看護師免許を持つ身であります。わたしは高校卒業後、とある大学の看護学科に進学しました。

看護師って、国家試験の合格率90%前後なんでしょ? 誰にでもなれる仕事じゃないの? と思われることもあるのですが、その国家試験にたどり着くまでが大変なのです。

放課後の演習室で、模型や患者役の同級生を相手に、手技の練習を何度も何度も繰り返し。
必修の単位を一つでも落としたら留年するから、試験前のピリピリムードは半端ない。
病院実習では、病棟で挨拶無視という洗礼を受け(笑)、事前学習や記録地獄でまともな睡眠が確保できない。寝不足や精神的重圧で倒れる子が出る。教室のゴミ箱はエナジードリンクで溢れる。一度も泣かずに実習を終えられる看護学生の方が少数派。
(誇張表現だと思う方はYouTubeの看護チャンネル「あいりDX」の「看護実習あるある」を見てみてください…。わたしは看護学生時代の苦労が蘇ってきて、気持ち悪くなって途中で見るのをやめました)
実習期間が終わったら、今度は卒業論文を合格させてもらわないといけない。

わたしはその健常者でも大変な看護学生ライフを、比喩でもなんでもなくリアルに涙と鼻水と汗を垂れ流しながら(笑)、乗り越えました。

しかし、いざ看護師になって働くようになって挫折。

看護学生時代は、自分の障害特性を「人の何倍もがんばる」「同級生に助けてもらう」「教員に媚びて大目に見てもらう」といった手段でどうにかしていました。
ペーパーテストが若干得意で、レポート執筆が早いタイプだったので、その分の空いた余力を障害特性のカバーに回せていたのも大きかったと思います。

実際に働いてみたとき、「注意力に欠陥」「聴覚処理能力に欠陥」「集中力の分配が苦手」「対人の機微が読めない」「マルチタスクが壊滅的」「過剰適応による易疲労」といった障害特性が致命的になりました。

わたしは看護師の仕事を一年弱で辞めました。



その後は、障害者枠で仕事探しを始めました。
障害者枠の仕事のほとんどは「事務補助」「清掃」「工場」。

大卒や看護師免許を活かせる求人はありませんでしたが、食べていくためには障害者枠で働くしかありません。

障害者枠での採用面接では、飽きるくらいに面接担当者に
「あなた、4年制大学を出ているんですよね……?」
「看護師免許もお持ちなんですね……?」
「なぜこの仕事に応募を……?」
と問われました。

障害者枠での仕事についてからも、職場のパートの奥様がどこから聞きつけたのか、
「あんた、看護師してたんだって? しかも大卒だって? なんでその仕事してるのさ、もったいないよ」
と言ってきたこともあり、私は複雑な気持ちになりました。

自分でも分かっているんです。
大卒資格や看護師免許がムダになったこと。

受け入れるのは悔しい現実。

でも過去の努力にすがっていては、前に進めません。
ふとしたときに湧き出てくる「あのとき、あんなに頑張ったのに…」という気持ちを、「過去を振り返るな!」と何度も打ち消しました。

外野の声を交わす術を身につけて、せめて自分だけは今の自分を愛してあげるしかないから。



別に難関大学を出ていようが、国家資格を持っていようが、障害者就労でもいいじゃないですか。色んな人生があるんです。
どこに所属していようと、病気や障害と闘いながら、今の自分にできることを見つけてコツコツとやる、誰かの役に立つ。それはとても尊いことだと思います。

健常者時代の努力を捨てて、「障害者」という肩書きとともに生きるルートを選ぶ。

それは大きな一歩であると同時に、大変勇気のいる決断です。
決断に至るまでには本人にしか分からない葛藤もあることでしょう。

私はその一歩を応援する側でいたいと思います。