クリエイターがアイデアが出ない時に使う文芸執筆手法のいろいろなパターン


とりあえず、ようやくお話が作れそうな位のキャラクターカードが集まってきたので、自分の当初のプランの1つが、「初心者クリエイター育成」にあるので、どのようにして、小説家などのクリエイター側が、ゼロからお話のアイデアを考え出していけるのか?というのを、手法別に解説していきたいと思います。
要するに、「クリエイターがアイデアが出なくなった!」というピンチの時には、以下の先人の小説家が、アイデアをひねり出すのに使っていた手法を参考にすると、何らかのアイデアを出しやすいです。

(1) <「散文断片章」執筆方式>


もともとの、小説と言われるものの原形は、
・親が子供に即興で何らかの物語を作って話して聞かせる
というタイプでした。
『不思議の国のアリス』、『くまのプーさん』なんかは、この「散文断片章」執筆方式で作られた小説です。
『不思議の国のアリス』、『くまのプーさん』の作者は、もともとは、「自分の子供達に、手持ちのぬいぐるみの人形とかを作って、即興で物語を作って子供達に聞かせていた」だけで、いわゆる、「物語の順序とかもバラバラな、「散文断片章」方式で話していただけ」です。
子供達が大人になっていくにつれて、家族の思い出の品として記念に残したいと、「子供達に人気だったエピソード」を中心にセレクトして、物語になるように、順番に、それっぽく並べて小説として完成したのが、『不思議の国のアリス』、『くまのプーさん』なんかです。
昔は、玩具という大量生産の商品や、テレビなどでの「商品化された物語」という仕組みそのものが無かった為に、あるいは、非常に高価だった為に、「親が子供の為に、ぬいぐるみや木彫りなどで玩具を作ってあげる」、「物語も適当に即興で作って子供に話してあげる」という方が主流でした。
特に、商品化するわけでもない場合には、昔の人は、わりと簡単に、こうした事ができるスキルを持っていた。
ちょうど、今の「人工知能に質問を入力してボタンを押すだけしかできなくなり、人間の考える脳が衰えていく」というのに似た状況が、「資本主義と大量生産商品化」の時期にすでに起きていたので、それで、現代人の多くは、「ゼロから物語を作る脳がほとんど無くなってしまった」
自分が子供の頃には、ファミコンやテレビゲームという技術自体が、まだこの世に存在していなかったので、自分の世代の子供達は、「自分達で遊びを作り上げる」という創造性の脳にたけている世代なので、そういう「創造性の脳を育成して伝授しよう」というのが、自分の活動の1つにあります。
はじめから、「商品化しよう!」とか、「ラノベ作家になってやる!」とか意気込む必要はまったく無い。
とにかく、気軽に、今、即興で思いついた物語を、どんどん「散文断片章」の執筆方式で書いていく手法です。
ストーリーの「伏線」、「フラグ回収」だとか、そういう「小説家のマニュアル」みたいな小難しい事は、とりあえずやる必要は無く、まずは、「ゼロから物語をどうやって生み出すのか?」というコツや、そういうクリエイター脳や創造脳を育成する事が先です。

(2) <テーブルトークRPG手法(ロールプレイ手法)>


「散文断片章」執筆方式で、とりあえず、クリエイター脳や創造脳が作られてきたら、次のステップに進みます。
今度は、きちんと、ストーリーの「伏線」、「フラグ回収」だとかがきちんと成り立っていないと、物語が成立しなくなるという事を強制的にさせる手法として、「テーブルトークRPG手法」というのがあります。
ラノベという単語すら無かった時代に、そういう雰囲気の小説を書いていた「水野良」の『ロードス島戦記』が、この執筆手法で書かれた小説です。
この手法のいい所は、
・ストーリーの「伏線」、「フラグ回収」だとかがきちんと成り立っていないと、物語が成立しなくなるという事を強制的にさせる手法
・「ロールプレイ」という、「キャラクターの個性付け」ができる脳が育成される。

という事です。

(「ロールプレイ」について)
「ロールプレイ」というのは、「キャラクターや役割を演じる」という事です。
テレビゲーム以降の私達は、「RPG(ロールプレイングゲーム)」の事を、「ロールプレイング」だと思っていますが、実は、それは間違いで、順序が逆です。
もともと、テレビゲームのような電子的な機械は、この世に存在していなかったので、はじめにあったのが、
・「テーブルトークRPG」
という、双六とかのテーブルゲームの文化でした。
「テーブルトークRPG」は、アメリカやドイツなんかで盛んに遊ばれていた。
特に、ドイツは、曇りの日が多い気候の関係で、「インドア」系の遊具や、ボードゲーム文化が非常に発達していました。
テレビゲームという電子機械が作られると、ゲームメーカーは、当然、既存の遊具を電子化するという流れになるわけで、それで、
・「テーブルトークRPG」を電子的に置き換えた「RPG」というゲームのジャンルができた。
という順番です。
初期のテレビゲームの方の「RPG」というのは、まだ、「テーブルトークRPG」の「ロールプレイ(キャラクターや役割を演じる)」という遊び方が残っていたので、
・「Wizardry(ウィザードリィ)」
のように、「キャラクター」というもの自体に、強い個性は無く、「ユーザーが妄想できる領域」を確保してあって、「テーブルトークRPG」の「ロールプレイ(キャラクターや役割を演じる)」という遊び方の楽しみ方もできるような作りになっていた。
「ロールプレイ(キャラクターや役割を演じる)」という遊び方の楽しみ方を知ってから、初期の「Wizardry(ウィザードリィ)」を遊びなおすと、「ああ!こういう妄想の楽しさがあったのか!」とわかります。
初期の「Wizardry(ウィザードリィ)」では、大雑把に、「魔法使い」、「戦士」とかだけで、さらに、ストーリー的なものもあまりない。
しかし、ここに、「ああ、これは、テーブルトークRPGを電子的に置き換えたんだな」とわかると、一気に、面白くなる。
そのまま、「自分で、妄想の設定を加えて遊ぶ」わけです。
例えば、ダイスを振ってできあがったキャラクターを使って、
・「魔法使い」と「戦士」は実は恋仲だった。
とか、いろいろと、冒険を進めていく中で、妄想で想い描いたまま遊んでいい!というのが、「テーブルトークRPG」の特徴なのです。

次の時代に、主に、日本のテレビゲームの方の「RPG」で、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」といった、「固定した強いキャラクター性とストーリー性を持ったRPG」が誕生して、初期の「Wizardry(ウィザードリィ)」時代にはあった、「テーブルトークRPG」を電子的に置き換えた「RPG」というゲームのジャンルとは、全く別のジャンルの、「JRPG」が誕生した。
「テーブルトークRPG」のボードゲーム文化が無かった日本では、「物語を自分で創造できる脳」が育っていなかったので、こうした「JRPG」の方が、大ブームを巻き起こし、一気に主流となってしまった。

・「ストーリードリブン」、「プロットドリブン」

「JRPG」の「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」のような方式で、ゲーム設計、シナリオ設計する手法を、
・「ストーリードリブン」、「プロットドリブン」
のように言って、
・「ストーリー、プロットというレールにのった状態で、物語が進行していく」という設計
の事です。
・「ドリブン」というのは、プログラマー用語で、「次のプロセスに移るのに、何がきっかけになって、次のプロセスが始まるプログラム部分へ移るのか」のような意味で、例えば、「データドリブン(data driven)」と言えば、「データが、そこの部分に入力された瞬間に、次のプログラムのプロセスに進む」という風に作られているプログラムの事です。
例えば、「EXCEL」の表計算ソフトでは、あるセルに、「数字のデータ」という入力が入った瞬間に、全部の関連するデータが加算されたりする処理へ、オートで進むような設計になっている。
「データ」によって、次のプロセスの処理が始まるというプログラム設計にせずに、「ストーリー」、「プロット」によって、ゲーム進行が、次の処理に移るように設計されているものが、「ストーリードリブン」、「プロットドリブン」と呼ばれるゲーム設計の手法なのですが、一方で、
・この「JRPG」の手法は、「ストーリー、プロットというレールにのった状態で、物語が進行していくだけで、自由度が少なくなる」という欠点も抱えている。
欠点を補うには、かなり優秀なシナリオライター、個性的なキャラクターなんかを用意する必要があるわけです。
こんな感じで、「遊びを学問的に研究する分野」を、「ルドロジー(Ludology)」と言います。
「ルドロジー(Ludology)」を電子的機械に置き換えていく時に、「アルゴリズム」というのが必要になります。

「JRPG」以降に、日本では、「キャラクターや役割を演じる」という意味の「ロールプレイ」の意味が少し変わって使われ出して、
・「アニメ、ゲームなどのキャラクターになりきって演じる」というものも、「ロールプレイ」というようになった。(コスプレとか、SNSチャットとかのテキスト文章として)
もともとの、「テーブルトークRPG」の方の、「自由にキャラクターや役割を演じる」という意味の「ロールプレイ」ができるようになれば、クリエイターや作家は、自由自在に、ストーリーをゼロから生み出せるようになるのですが、とりあえず、「ロールプレイ」というものができるようになる体感だけはつかめるので、この日本の
・「アニメ、ゲームなどのキャラクターになりきって演じる」というものも、「ロールプレイ」というようになった。(コスプレとか、SNSチャットとかのテキスト文章として)
だけで、とりあえず十分です。
1度、「ロールプレイ」というものができるような体感のコツさえつかんでしまえれば、すぐにでも、もともとの方の「テーブルトークRPG」の方の、「自由にキャラクターや役割を演じる」という意味の「ロールプレイ」ができるようになりますので、そうなれば、自力で、かなり簡単に、自由自在に、ストーリーをゼロから生み出せるようになっていきます。
自分は、
・「人工知能に質問を入力してボタンを押すだけで、脳が衰えていく」というパターンにはなりたくない。
自分は、「人工知能と人間がパートナーとなり、むしろ、人間の脳や発想が進歩する」という新しい生活スタイルになれるようにしていく予定。というコンセプトを活動方針にしている。
ので、
かつての、「初音ミク」、「東方project」という2次創作文化が花開いたのは、「ユーザー側に、自由に脳が想像力豊かになり、脳を創造脳へとトレーニングできる要素が含まれていた妄想部分」があったから良かったのだと思っているので、自分の活動方針も、そのような所を目指している。
もともと、クリエイターの役割は、「子供の脳の創造性育成のため」であって、「商業的な製品を作る」事が目的にすり替わっている現代の資本主義原則の欠陥だと思っている。

(3) <ストーリーネタに詰まった時のクジ引き手法(「星新一」手法)>


「千夜一夜物語を越えたい」と、生涯のうちに、「1001編」もの大量の物語を生み出し、ショートショートの第一人者となった「星新一」ですが、何かのインタビュー記事か、自伝エッセーか何かに、「どうやって、「1001編」もの大量の物語を生み出したのか」の手法が明かされていた記事があった。
そこには、
・アイデアが、もう本当に出なくなってしまった時には、「ストーリーネタに詰まった時のクジ引き手法」という手法を使って、クジ引きの箱の中に、いろいろな単語(「電話」、「ペン」とかの単語)を書いた紙切れを入れておいて、その中から、2~3枚とかをクジ引きで引いて、その単語から想像を膨らませて書くという手法を使っていた。
「逃げ」になるので、「クジ引きの引き直しは基本的に許さない」が、どうしてもダメな時だけ、1回だけクジ引きの引き直しをする。
という手法で、生涯のうちに、「1001編」もの大量の物語を生み出していたそうです。

(3) <リネーム手法>


2次創作をすでに作れるクリエイターのほとんどは、実は、すでに、「自分自身で物語を作れる脳はできあがっています」
ですから、次の手法で、普通に、ラノベ作家とかになっていける可能性はあります。
まず、何でも、2次創作ネタでお話を自分で作ってみる。
次に、「2次創作」部分の本来のキャラクター名を、デジタルテキストなので、自分のオリジナルキャラクター名に、「リネーム置換」してしまえばいいだけです。
次の段階で、「原作設定」の箇所も、自作の設定に書き換えていくだけ。
そうすると、もう、それは、いつの間にか、「あなたのオリジナル作品になっている」
伏線とかは無茶苦茶になるが、「何か、クリエイターという作業そのものを、どこからどう手を付けたらいいのか?すらわからない」ような人が、自作のラノベ小説を生み出す最初のコツがわかるきっかけ位にはなるはずです。
「星新一」の手法と同様にして、
・人間は、何かの起点さえあれば、わりと簡単に、クリエイトする創造脳は動かす事ができます。
ですから、自分は、その起点を
・画像生成AIが出してきた偶然出た絵
から妄想を膨らまそうという手法でやっているというわけです。
「星新一」創作手法のアレンジに、画像生成AIを使ってみたら、どうなるのか?の実験のようなものです。

(4) <「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」>

本来は、小説として御法度としてやってはいけない暗黙の了解のルールというものを、あえて、破った手法に、「メタフィクション」、「メタノンフィクション」という分野が新しく出てきていて、自分は少し注目している。

<1> 「メタフィクション」

(<wikipedia>メタフィクション)
https://ja.wikipedia.org/wiki/メタフィクション

「メタ」という単語は、いくつかのパターンで使われるが、「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」の場合の「メタ」の使われ方の意味としては、
・「デジタルデータ」の「メタデータ」と同様に、「作品そのもの自体に直接関係無い外部エリアに設置されたデータが付随している」ような感じの状態の事です。
例えば、画像も音楽も、「メタデータ」という領域に、「タグ」とかのデータが書き込まれているものの、それは、「音楽」、「画像」というデータ本体部分とは直接干渉不可能な領域に書かれているデータ部分が、「メタデータ」というわけです。

「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」の場合の「メタ」の使われ方も同様にして、
・「小説」という本筋部分に直接は関係していないものの、関連する現実の話なんかを脚注とかに、主に、大量に書き込んであるのが、「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」という文芸スタイルの特徴です。

<2> 「メタ・ノンフィクション」


「メタ・ノンフィクション」の方の単語の使用例は、ほとんど無いものの、「メタ・フィクション」という単語の「ノンフィクション」版と考えていい。
「司馬遼太郎」のスタイルが、この「メタ・ノンフィクション」というジャンルにあたるようで、欠陥とも利点とも言える特徴を兼ね備えている。
「いい知らせと悪い知らせがあるが、どっちから聞きたい?」

(いい知らせ)
「司馬遼太郎」の作風スタイルは、
・徹底的に細かく調べ上げて歴史小説を書く。
という事で、
・「メタ・ノンフィクション」
「メタ」領域が大量に含まれている事で、作品にリアリティーが出るし、今まで気がつかなかったような発想に気付かされる事がある。
というのが、特徴です。

(悪い知らせ)
「司馬遼太郎」の作風スタイルの、
・徹底的に細かく調べ上げて歴史小説を書く。
を、読んだ読者の方が、「そこに書かれている全てが、真実であった」と誤解してしまうほどのリアリティーをかもし出してしまう。という重大な欠陥がある。
いわゆる、現代でいう所の「フェイクニュース」の発信者になりかねない危険性がある。
というわけです。

「陰謀論」と呼ばれるものの多くは、いろいろと細かく検証しながら見ていくと、どうも、この「メタ・ノンフィクション」というジャンルに近い所にスタート地点の情報ではあり、次第に、妄想が大量にくっついていきデマ情報となっているという経緯になっている事が多い傾向があります。
「陰謀論」から妄想部分を完全に取り払って、きちんと、「メタ・ノンフィクション」とすれば、自分は、文芸の範疇に普通に入ってくるものと思われる。
ただ、現状の社会情勢は、こういった、「司馬遼太郎」の作風スタイルの「メタ・ノンフィクション」は、「どこまでが史実や事実で、どこからが考察なのか?」が明確に分けられて書かれていない限り、「フェイクニュース」の発信者になりかねず、現代社会では受け入れられていない。
要するに、きちんと、
・「メタ・ノンフィクション」として、「どこまでが史実や事実で、どこからが考察なのか?」を明確に分けられて書かれている。
場合には、それなりに、きちんと文芸分野として認められると考えられるが、リスクの方が大きすぎる。
「ヴィクトル・ユーゴー」の「レ・ミゼラブル」なんかも、当時の現実の労働者階級の社会問題を取り上げた作品で、貴族や上流階級やカースト上位層から、ボコボコにされる危険性もあった中で、勇気を持って書いて発表したら、世間の人々に受け入れられた。という状態だったが、余程の文豪と学識の持ち主で無い限り、世論を納得させ、著作者自身が危険に曝されないような凄技をする事はできないだろう。
個人的には、
・「フィクション」でも、「ノンフィクション」でも無い間に入っている狭間部分がある。
ような気がするので、そういう新しいジャンルの文芸スタイルを立ち上げようかとも思ってはいるのだが、
・「フィクションとノンフィクションの狭間」というジャンル
という呼び方も変だしと考えていた所、
・「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」、「メタ・SF(SFの文章の中に、「メタデータ」として、現実のいろいろな話が脚注に大量に入っているという新しい文芸スタイル。『STEINS;GATE』辺りは、こういう呼び方にするべきなのではないか?と、辞典学者の自分は考えているが、「メタ・SF」という単語はまだ存在していないので、自分が作った造語になる)」
という呼び方を発見したので、こういう言い方になるのかなぁ?位の所に考えている最中です。
ただ、一般の人は、この領域をやると、いろいろなSNSなどのアカウント削除になったり、社会的に危険となり、命の危険が出てくるのでやってはいけない領域と判断はしている。
「司馬遼太郎」、「小松左京」位の学識が最低限必要になると思われる。

(まとめ)
今回は、
・「クリエイターがアイデアが出ない時に使う文芸執筆手法」をいろいろなタイプ別に紹介した記事
であったので、こんな感じの記事になっているが、
・「初心者クリエイター」、「一般のクリエイター」は、(1)~(3)の手法まででやめるべきで、(4)<「メタ・フィクション」、「メタ・ノンフィクション」>は、相当な学識が無いとむしろ危険なのでやらない方がいいと思われる。
今現在の自分が考えているイメージボードのような構想の中に、
・MADムービーネタ
・「フィクションとノンフィクションの狭間」というジャンル。あるいは、「メタ・ノンフィクション」、「メタ・SF」という新しいジャンルを立ち上げるか?
というプロット部分が結構あるので、それを公開するべきか?危険なので封印するべきなのか?を考えているので、今回の記事のような構成になっている。
まあ、「ハードSF(きちんとした科学で書かれているSF)」と逆の「ファンタジー」部分をくっつけるという邪道手法に、「現実の話題の脚注(メタデータ)」が含まれるという手法にすれば、普通の「SF」、「ファンタジー」分野に、「メタデータ」付きになっただけなので、その辺りが安全ラインそうなので、そんな感じで、最終的には、「何か、ラノベ的な雰囲気のもの」を作ろうと思っている。

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