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#01_「なんで辞めちゃうんですか?」

はじめに

2024年3月31日 12年間勤めた中学校教員の仕事を退職。
そしてその翌日から,当面の貯金が続く限り(目標1年間)のサバティカルタイムへと突入した。

ちなみに,サバティカルタイムとは「使途・用途を決めない休暇」のことで,人気Voicyパーソナリティの尾石晴さんの著書「サバティカルタイム『40歳の壁』を越える戦略的休暇のすすめ:〜FIREではなく働き続ける生き方〜」でこのワードを初めて知った。
退職したら次は何するの?と色々な人に聞かれまくり,次の転職先が決まっているわけでも,フリーランスで収入の宛があるわけでもない自分が
「えーと,とりあえずしばらくは無職です…」
とネガティブな感じにならず,ポジティブ全開の後ろめたさゼロでいられるマイベストワードとして,早速使いまくっている。

大学卒業後4年間ほど,人事アセスメントサービスを提供する会社でコンサルタントとして働き教員へ転職した。
文字通り天職と思えるほどに楽しかった教員の仕事。
なぜ辞めることにした(なった)のか,思いつくままに書いてみる。


仕事と子育ての両立に悩む

教員になった当初は文字通り時間も忘れ,平日は日付を越えても職場で仕事をし,週末は土日とも朝から晩まで部活指導に明け暮れる…なんて働き方をしていた。自分の人生の大部分を仕事に捧げているその感覚が最高に気持ちよくて(今思えば結構な自己満足),アドレナリン大放出の日々だったのだが,そんな働き方も36歳で出産して仕事に復帰した後にガラリと変わった。
自分の人生に「子育て」という新たなタスクが加わった途端に,残業も土日の部活はおろか,持ち帰り仕事すらもできない「制限だらけ」の仕事生活が始まった。
自宅から職場までは車で片道1時間半。往復3時間の通勤時間に子どもの保育園の送り迎え,土日は子どもの世話。
元々部活指導も大好きで,結構のめり込んでやっていたのに,当然休日は出勤できないので(実家の親やシッターさんに頼む時もあったが)一緒に組んでいる別の先生に頭を下げて土日の指導はお任せし,自分は会計の仕事や備品の発注などの完全裏方の仕事に回る。部員からは「先生はもう指導してくれないんですか?」と言われて複雑な気持ちになったことも。

もちろん子育てしながら教員の仕事と立派に両立させられているお母さん先生はたくさんいるし,私も「この生活がいつまでも続くわけではないし,何ならワーママであることの強みを最大限活かして,残業ゼロ・土日出勤なしでも働き続けられるんだ!」と自分の後に続く若い女性の先生方のロールモデルになろうと4年ほど頑張ってきた(つもりだった)。

突然の離婚とシングル生活

子育てと仕事の両立もだいぶペースが掴めるようになってきた4年目のある日事件は起きた。
突然夫が目の前から消えてしまったのだ。

この件については諸事情によりここで書くことができない内容が多いので,然るべき時期が来たら記そうと思うのだが,
そんなわけで,その日を境に突然に母子2人になってしまった我が家。

それまで暮らしていた家にも住んでいられなくなり,大慌てで転居したりと,2週間近く仕事にも行けずに生活の立て直しをはかることに。
何とか仕事に復帰したものの,これまでは夫婦で分担していた子どもの送り迎えや,体調を崩した時のお休みなど,全てが自分一人の肩にのしかかってきた。
我が子は病弱とまではいかないものの,割とよく体調を崩す方で,一度熱を出すと,長い時には1週間以上下がらないこともザラにあり,片道1時間以上かかる実家の親にサポートに来てもらったり,病児保育で何とか誤魔化していたが,「絶対に休めない日」でも休まざるを得ない,という状況はじわじわと私のメンタルを蝕んでいった。
そして決定的だったのは,父親がある日突然目の前から姿を消してしまった,という出来事が我が子に与えた精神的ダメージである。
父親がいなくなってしまったという状況を理解できるようになるまで,しばらくの間は(いまも時々)母親の私まで突然いなくなってしまうのではないかという不安から,後追いしたり,夜中や朝に突然目を覚ましてパニックを起こしたりということが続いた。
おそらく,私が今のままの働き方を続ければ,自分の教え子たちが立派に社会へと巣立っていく頃,我が子は立派に人の道を踏み外すか,社会への適応もままならない状態に陥るのではないか,という危機感,どんなに悔やんでも我が子の育て直しはできない,というどこかで聞いた言葉が私の脳裏をよぎった。
今は何とかして目の前のこの難局を乗り越えなければいけない!
そのためには,まずは自分の働き方を見直さなければいけない,と思うにいたったのである。

ライフワークからライスワークへ

教員のブラックな労働環境や働き方改革に注目が集まる昨今だが,私も自分自身が子育てをするようになってから,休日に自宅で教材研究や採点業務をすることに「違和感」を感じるようになった。
週末になると,すぐ隣で「ママ〜!これみて!いっしょに遊んで!!!」と叫ぶ我が子に「ちょっと待って!今ママお仕事だから!」と言い聞かせ(時にイライラしながら怒りをぶつけてしまったことも何度もある)必死で翌週からの授業プリントやスライドを作っていた時には
「あぁこの時間はすべて無給。これってやりがい搾取では?」
と思ったし,何より担任を持っていると自分のクラスの生徒が何かトラブルに巻き込まれたり,指導が必要になれば「勤務時間外なので対応できません」とは言っていられない事態も当然起こる。

保護者や地域からの時に理不尽ともとれるようなクレームも増えてきて,教員として生徒と本気で向き合い,かれらを正しい方向へ導いていくためにはリスクを背負う時代になった。
(目の前の生徒のためを思えば,ここで一歩踏み込んだ指導をしなければいけない。でもそれをすれば,場合によっては親がクレームをつけてきて,そこでの話し合いに時間が割かれる。当然そんなことになれば定時に帰ることもできない。じゃぁ一体その時間はどこで捻出するんだ?…やっぱりやめておこう。)
そんな状況で,自分がシングルマザーになり,さらに我が子の心のケアが必要な状況で,様々なリスクを回避しながら「守りに入った状態で」働き続けることは,私の好きだった働き方(ライフワーク)ではなくなってしまったのだ。
そうなったとき,生活していくために必要な収入を得る仕事(ライスワーク)としては,あまりに失うものが多い,という状況になってしまったのである。

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