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子育ては線をひくこと・ひかせること

おとといの晩,子どもを寝かしつけた後リビングでぼんやりしていたら,なんだか無性に壁倒立がしたくなった。
壁倒立なんて,最後にしたのはいつだろう。
中学生の頃?え,それって何十年前?
最近腰が痛いけど,倒立で腰を痛める感じはあんまりなさそうだからイケる?
いやいや,YOUが倒立やりたいならやっちゃいなYO!!

なんていうセルフトークを一通りかましたあと,そこらへんにあるモノをどかして場所をつくっていざ倒立!!
おぉ!思ったよりも脚上がるじゃん!こんなスムーズにいっていいの!?
と思った瞬間

バキッ!!!!

足に走る激痛
悶絶・・・
倒立する壁の方ばかり見ていた私は,中学生の頃に比べてスラリと伸びた自分の足の長さを計算に入れ忘れ,側にあるテーブルをどかす作業を怠っていた。
結果足を思いっきり強打。そして打ちつけた足に目をやると,ぶつけた衝撃で傷が出来て出血しているではないか!みるみる腫れていく足。

「ほーら言わんこっちゃない!!バカだねー!!!40過ぎて壁倒立なんて,あんた頭どうかしてんじゃない?自業自得です。骨折してたらどーすんの?」

多分数年前の私だったら,速攻でこんな言葉を自分にかけていたであろう。

でもこの日の私は違った。
そんな冷たい言葉は一言も出てこなかった。痛む足を抱えながら,むしろなんだか無性にスッキリそして気持ちよくなっていた。
自分がやりたいことを即実行した自分に,心のそこから称賛の拍手を送っていた。打ちつけて青紫色に腫れている自分の足を見て,勇気あるチャレンジの結果!この夏のちょっとした勲章じゃないか!とすら思っていた。もはや変態の域だ。

でも,自分がやりたいことをやりたいと思ったことを,その瞬間に実行するのは「最高に気持ちがいい」ということを再度全身で感じられたのだ。
ここ数日間,自分のやりたいことよりも,子どものやりたいことを優先する生活が続いてモヤモヤしていた私の潜在意識が
「壁倒立したい!!」
と全力で叫んでいたんだと思う。最近運動不足で自分の身体が思い通りに動かなくなっているのをなんとかしたい気持ちもあったし。自分の心の声に従って生きるってこんなに気持ちがいいのですね。(もっと別の方法で感じることもできたけどね)

さてここからが本題。
子育てをしていると,子どものやりたいことを優先する生活が「あたりまえ」になるので,親と子どもの境目がどんどんと曖昧になる。特に子どもが小さいうちは子どもの要求や要望はそのまま自分が代わって叶えてやらないと,そのまま子どもの生存に関わるし,文字通り,子どもの人生と親である自分の人生が一つになる時期がしばらく続く(少なくとも乳児期は)。
出産直後,まだ湯気が出ているような生まれたての我が子を見た瞬間に私の脳裏によぎった言葉は「一蓮托生」だった。

この親子一蓮托生,親子一体化現象は,本来子どもの成長に伴って少しずつ解消されていくはずなのだが,核家族化により子育ては社会でするものから家庭の中だけで完結するものになってきたことで,親の方が意識的にきっちりと分離させるための「線引き」をしないといけなくなってしまった。

例えば我が家の息子の話。
「うちの子は落ち着きがなくて多動だ」
と一時期悩んでいたことがあった。
悩んでいた時の私は,この事象を「息子の問題」として捉えていたのだが,よくよく考えてみると私の悩みは「息子が落ち着かないこと」ではなく,息子と外出した時,落ち着きなく行動したり自分の指示に従えない息子を見て「もっと子どもをきちんとしつけろと周囲の人から思われたらどうしよう」という自分の不安や不快感だった。
つまりそれって私の問題じゃないか。
そして,今のところ,息子本人はこのことに全く困っていない。
だからここで私はこれは息子の問題なのではなくて,自分の問題なのだ,と線を引くことにした。
この先,保育園や学校で,息子が落ち着きがないことを理由に注意されたり叱られることが増えて本人が困る,このままじゃ嫌だ,と感じた時に初めてこれが「息子の問題」になる。そうなった時にどうすればいいのか親子で一緒に考えよう。

そうなってからじゃ遅い,そうなる前に色々と調べて選択肢を持っておいた方がいい,という意見もあるかもしれない。もちろんそういう「準備」も否定はしない。でも,私は自分の経験上,そういう知識を事前に仕入れれば仕入れるほどに,子どもが自分の問題として認識しないうちから,あれこれと子どものことをコントロールしたくなる自分の「欲」が出てきてしまうので,やめておくことにした。

どんな問題も本人がそれを「自分の問題だからなんとかしたい」と思わない限り,絶対に解決はしない。その状態で親があれこれ言うのはただのコントロール欲であって,親子関係を悪化させるだけだ。
今目の前にある問題が「誰の問題」なのか。そこに親子間で線を引かないと,際限なくお互いの問題を抱えあって親子一緒に不幸になる。
子どもが困っていることでも,親が困らなければそれは子どもの問題。
「助けてほしい」と子どもが言わない限り,親は不介入が原則だ。
(困ったことがあった時子どもが親に助けを求められる,という親子間の信頼関係がちゃんと構築されていることが大前提)

ちなみに,親子の間に線を引くことの大切さは問題認識だけでなく,欲求や要求についても同じ。
親子一体化現象が長らく続くと,子どもは「どこまでが本当の自分」なのかが分からないまま,自分の力だけでできることと,親の力を借りないと出来ないこと,この境目が極めて曖昧な状態になる。
親がそこできちんと線引きせず,なんでも先回りしてやってあげたり,子どもからの無理な要求を頑張って叶え続けていると,子どもは自分の身の丈に合わないことでも「自分ならできる!」と勘違いするし,勘違いしたまま成長していくので「頑張っても全然思い通りに出来ない」という経験を重ねることになる。
「できるか出来ないかわからないけどやってみたい!」という心持ちでチャレンジするのと「自分絶対にできる!」と思いながらやってみるチャレンジは,似て非なるもの。後者が子どもの自己肯定感に与える影響(ダメージ)は想像以上に大きい。これじゃ子どもがかわいそうだ。

親と子どもは一心同体ではない。子どもは子どもだし,親は親だ。
子どもと自分の間に線を引いて境界線を明確にすることは「冷たい親」でも「薄情な親」でもなんでもない。むしろ,子どもを1人の人間として信じて,リスペクトしているからこそ線が引けるのだから。

子どもが小さいうちは親が線をひいてあげないと,子どもからは引けない。
思春期になると子どもが自分で線を引き始める。
子どもが頑張って引いた線をうっかり踏み越えると「クソババー,○ね!」
になる(笑)

早朝これを書きながら
「ママ朝ごはんは??」
という息子(4)に
「ごめん,今はママがやりたいことやる時間だからちょっと待ってて!」
と言ったら,自分で冷凍の焼きおにぎりをレンジでチンして食べ始めた。
ついでに牛乳も自分でコップに入れて飲もうとしたらしく盛大にぶちまけて
「ママー!牛乳こぼしたよ。大ピンチレベル20だ!!!」
なんて目を輝かせて,めっちゃ嬉しそうに言っている。
(息子,鈴木のりたけさんの「大ピンチずかん」を愛読中)



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