第四部 三.「生(聖)の葛藤」

あの体験(第四部 二.「母に抱かれる(サマーディ)」)で、全てが完全にひっくり返ってしまいました。
それまで聖典を学んでいたのに、本当には知らなかったのでした。
しかし、それはまさに書いてある通りでした。
なにかを付け足す必要はないほど、十分に書いてあったのです。
もう真理についてなにも疑問が無くなり、もう聖典も必要ないと感じました。

そして、かつて自分がそうであったように、このことは伝えることができるようなものではないと思いました。

一方で、それがむしろこれからすべき唯一のことではないか、これからすることになっていることではないか、という考えが何度も浮かびました。
しかし、その度にその考えを振り払いました。
このままここで、静かにそのときを待つことを望んでいたのです。
それでも、この考えが浮かぶとき、胸から突き上げられるような涙が出てくるのです。

あの体験による変化は明らかにありました。
思考の停止(空白の思考)が自然に起こり、そのとき同時に呼吸も(一時的に)停止するようになったのです。
呼吸の頻度が少なくなり、普段の呼吸が一分間に1〜2回ほどしか起こらなくなりました。ごく短く息をして、息と息の間が長く止まるのです。そのときは呼吸の流れが、ハート(源)に留まって、外に出てこなくなります。
この呼吸の変化は、今でもそれほど変わりません。
また、しばらくは身体感覚がほとんどありませんでした。

私はこのまま、僧院で静かな終わりを迎えられると思っていました。
そうしたかったのです。
しかし、その想いによって、むしろその僧院を去らなければいけなくなりました。

あるとき、チャンティング(詠唱)を何気なく聞いていました。そのとき、頭頂を突き抜けるような閃光を感じました。その直後、身体を動かしたとき、全身に甘い痺れが広がって泣き崩れてしまいました。大勢の人がいる場であったにも関わらず、大きな声を上げて泣いてしまったのです。

それから、身体の動かし方が分からなくなってしまいました。

本来、身体というのは考えて動かすものではありません。動かそうという意図で動いているのではなく、身体を動かしているという自覚と、身体の実際の動きが、ほとんど同時に生じて動いています。そして、それ以前には、行きたいとか、欲しいとかの衝動があります。

しかし、このとき、あらゆる衝動が浮かび上がってこなくなってしまったのです。そうすると、衝動がないので、とにかく自分の意思で動こうとすると、どのように動かせばよいのか分からなくなってしまうのでした。そして、動作の途中でも静止したままになってしまうのです。

考えれば、考えるほど動けなくなりました。
「これまで、一体この物体(身体)をどのように動かしていたのだろう?」
まるで、この身体が蝋人形のように、全く自分のものだとは思えなくなってしまいました。

話そうとしても言葉が出てきません。
考えようとしても、思考が止まってしまいます。
身体の使い方が分からなくなると、見るということすら難しくなって、視線が虚空に吸い込まれてしまいます。

周りの人は、頭がおかしくなったと思ったようで、心配し、精神病院の手配をしようとしていました。

それでも、意識は全く正常でよく気づいていました。
しかし、自分の状況は説明することはできませんでした。

全く身体が動かないのではありません。なにも意図せずに自然と動いているときもあるのです。それで余計に混乱しました。

意識は虚空に自動的に惹き込まれ、外界に向けることができませんでした。そのため、世界や他人、この身体などが影のように、すべてが現実感がなく遠く感じました。恐れも、分離感もありませんでした。私も含め、なにもかもがただ静止していく感じでした。

私の内面では、このまますべて無くなっちゃってもいいと思っていました。むしろそれを期待していました。
今考えれば、世界を、(身体的な)自己を否定していたのです。

それが起こって、一週間くらいたったころ、夜一睡もせず、早朝に、ただじっとしていました。そのとき、自分が虚空に魅せられていたことにハッと気がついたのです。それから、急に気持ちが軽くなり、しばらくすると身体が動かせるようになりました。

しばらくは、身体を常に揺すっていなければいけませんでした。波に乗るように、流れを止めないようにしていると、考える必要なく、自然に動くことができました。
その後、落ち着いたときには、身体は動かそうとするのではなく、動いていることをただ自覚していれば良くなりました。
そうすると、身体が動いているのが不思議でたまりません。なぜ、どのように動いているかは分かりませんが、なんともスムーズに動いているのを見ていて、ただただ不思議でした。つい笑ってしまうほどです。

その後しばらくは、考えてなにかをすることが難しくなって、あえてなにかをしようとすると、歯車が引っかかったように、一瞬シンと全てが止まります。そして、次の瞬間、なんとも言えない笑いが溢れてきました。

あのとき、「虚空(想念)」を見ていました。そして、あらゆるものが、虚空の性質を帯びていって、虚ろに停止していきました。

今でも透明なものを見ています。しかし、それは基底に流れていて、とろけるような柔らかさがあり、微笑が浮かぶような心地良さがあります。

そうして、この出来事によって、僧院からはもう日本に帰国するようにと言い渡されました。

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