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シンプルな仏教全体①「無執着と忍耐」

私なりに最もシンプルに、仏教の要諦をまとめてみたい。

まず始めにすることは、「布施」「戒律」である(次第経)。
布施とは、所有物の放棄であり、対象への「無執着」を育むもの。
戒律とは、欲の放棄(防護)であり、これもまた「無執着(離欲)」を培うもの。

人は、対象に執着し、それを掴んで離さない。
その手を離すのが「布施」であり、伸ばした手を引っ込めるのが「戒律」である。

この無執着によって、「道」を見出す。

もう少し布施と戒律について解説してみよう。
布施とは、他者と分かち合うことであり、他者(世界)への奉仕である。

戒律とは、自己を守ることである。
なぜなら、苦しみの原因は欲であり、欲は満たすほどに大きな要求をするからである。
また怒りは生じてしまったら、抑える(耐える)しかない。
その功徳は「後悔」から自由になることである。

布施と戒律はセットであり、欲を制御し、自己を律し、他者の手助けする。
そうして、自己(内)と他者(外)の調和(平等)を図る。このバランスを取ることは「(世間的な)中道」である。
極端さ(過剰さ)は、利己主義か自己犠牲を生じさせてしまう(どちらも愛の欠如)。

そのように、まず社会的(外的に)に為すべきことを為し、世間(外)への執着から離れるとき霊的(内)な「道」を見出す。

道とは、まずは預流道(四悪趣からの解放)であり、輪廻からの解脱の始まりである。

そうして道の実践(四念処)をする。
身体を破り、感覚を制御し、心を浄化する。

ここで「無常」「苦(不満足)」智慧で理解する。
無常とは、対象への「無執着」を育むもの。
移ろいゆくものには執着できないからである。
苦の原因は渇愛(欲)であり、その理解により「無執着(離欲)」を培う。

掴めないものを、なんとか手にしようと奮闘していたことを諦めるのが「無常」であり、
熱した鉄の玉を大事に掴んでいたことを、あるがままに知って、それを手放すのが「苦」である。

まず「布施」と「戒律」によって世間的な無執着を学び、次に「無常」と「苦」によって、喜びを伴って出世間的な無執着を学ぶ。

そうして、無執着の確立によって、「滅尽」が生じる。滅尽とは、つまり「無我」である。

さらに、無我をも捨て去って「(出世間的な)中道」、絶対の安楽(涅槃)を得る。

これをまとめると、「無常」→「無執着」→「滅尽」→「捨離」(法随念)である。

無常が前提となり、無我が結果となる。
そうして、中心は苦(「四聖諦」)となる。

実践において、最も重要なことは「忍耐」である。

なにも難しい(複雑な)ことは必要ない。
ただ「怠ることなく、励みなさい」

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