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📕『マカン・マラン』

古内一絵『マカン・マラン』読みました。

かな~り昔に表紙買いして、1章の途中しか読んでなかった小説。
第5刷のものを買っていたようだけどそれが2020年。
おいおい。あっためすぎや!

昼間はダンスファッションの店。夜は不定期開店の夜食の店。ドラァグクイーンであるシャールが営む不思議なお店とそこに来るお客さんや従業員の物語。

情報が多い。

マカン・マランとはインドネシア語で「夜食」
本の中でも描写があったが、今にもガムランが聴こえてきそうな、お店で焚いている(かどうかはわからないけど、イメージ)馴染みの薄い雰囲気のお香が香ってきそう。

シャールが提供する夜食は、体調に合わせて作ってくれるので、貧血で倒れた1章の主人公塔子には、食事を抜いたりしているのだろうと、胃や十二指腸によいキャベツが入ったキャセロール。(北米の家庭料理で、チーズを焦がした温かい野菜料理)
メタボになったシャールの同級生柳田には、プーアールとミントに大麦ともちきびで陽性の体を中庸に戻す作用を期待してお茶を作る。
美味しそうな描写に、羨ましくなる飯時。

その中で、各章の主人公たちは、日々一生懸命生きて、でもどこか不器用で不安定で、靄を抱えている。今どき現代人はみんなそうだろう。口にしない不安がない人のほうがいないのではないか。そんな、ぐらぐらした気持ちも描かれており、主人公を自分や誰かに重ねたくなる。
個人的には、1章のバリキャリ独身女性の塔子、2章の厨二病(と、周りに思われている。実際はちょっと異なる)璃久が好きだ。4章の不動産屋も嫌いじゃない。オールバックに、青に近い紺のスーツ着て、高い外車乗っているような人が苦手で、つい避けてしまうけれど、実際はそういう自分を演じていたり。そういう人も見えないだけで色々抱えていたり。

人の数だけ人生があって、それは他人からは見えないものも多い。ともすればその事実すら忘れてしまうほど、人は他人のことは見えていないし考えられなかったりする。けど、実際はみんな色々あるんだよなぁ。そんな陳腐な感想を抱いた。小説は苦手意識があったけど、人の人生を丁寧に見れるのも小説の醍醐味だと思ったし、思いやりにもつながると思った。え、そんなふうに考えていたの?そんな背景があったんだ!章を読み進めるごとに、人って色々だなと思う。

短編小説かと思ったけれど、シャールを軸に物語が進んでいき、マカン・マランは結構気になるところで終わってしまった。シャールはこれからどうなるんだろう。

表紙も可愛くて、今でも本屋さんでは面出しされて並べられていることも多い。4冊出ているようだったので、続きを買ってみようか考え中。
文庫本は気軽に買えるし、安いのも魅力なんだけど、やっぱり単行本の装丁と、ページを捲るわくわく感と実感はなかなかよいものだなと感じた。

読書記録をつけ始めて、自分の文章を読み返すと、色々と気になるところが出てしまう。何より、長くなる。そして、本に出てくる文章をなぞっているだけになりがち。全部書かなくたっていいのだから、自分が印象に残ったことやいいなと思ったことをエッセンスで残しておきたい。なかなか難しいなぁ。
小説はますます難しいと思ったので、より自分の感想を多めに書く必要があると感じた。
まだまだだなぁ。だけれど、読書も記録も楽しいな。


美味しそうなキャセロール

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