場が人を選ぶ

生まれたときの元々の身体能力、物理的性質は変えられない。その後の環境はそれらを変える。そこで予定説的なものはあるのかもしれない。

けれど、人は選択をする。進路、買物、行き先を。そこには人が集まっていることがある。そこにはいくつかの類型化された同じような思考に至った人や目的を持った人たちがいる。地理的な距離を鑑みたり、惰性やレールに乗った人たちでさえそうだ。協力意思の有無はさておき。

すると人は自分で選択しているように見えて、場所に目的や性格によって選ばれているということになるのかもしれない。その同じ場所でいるから協力や仲間というわけではもちろんないが、それでも親近感を持てるような人はこう考えると身近に必ずいてしかるべきなのだろう。