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治療家が魔術師になった理由

こんにちは。齋藤彰裕です。

今私はサロンを経営していて、そこではねじれを整えていくことで、人の身体の本来の機能を再現する仕事をしています。整体ですか?と聞かれますが、整体やカイロなどの治療でもなく、マッサージなどのリラクゼーションでもありません。
人を治療する資格を取りましたが、今は治療家ではなく魔術師として生きています。そんな理由を綴ってみました。

資格を取得後、優れた治療家になろうと努力していた頃、私は様々なセミナーに通い、他の医療職種の勉強会にも参加して技術や知識を深めていった。
技術を高め、知識を深めることが良い治療家だと思っていたから。しかし、どこまで高め深めようとも目の前には良くならない人もいるのが現実だった。

そこで気づいたこと、それは治るのは患者だということだった。そこから自ら動くことに主眼をおき、運動やトレーニングを学んだ。筋力をつけるトレーニングや機能を高めるトレーニングなど様々なものを実践し、自らの身体を変えていくことで学び、患者に応用していった。それでより良くなる人が増えた。

しかし、それでも良くならない人はいた。何故なのか。治す技術も研鑽を積み、自ら身体を変える運動も取り入れて、これ以上何が必要なのか。
そこで気づいたのは自分の在り方だった。

「自分は何者なのか」

治るのはあなたですよと口ではいうのに、治そうという自分がいる。そこに矛盾があることに気づいた。

治すのは患者の身体であり、それが自然の主体的な行動である。しかし、自分が優れた治療家でありたい、そう見られたいというエゴが患者の主体性を奪っていた。
私が治すと主導することで、身体の治すという主体性を奪っていた。何をしても「先生のおかげ」という言葉、感謝は嬉しいがその言葉を求める自分がいて、知らずに依存関係にしていたと気づいた。

そこから在り方を変えるため、まず治療家や先生を名乗らなくなった。魔術師であり、アッキーであり、薔薇であり、イケメンであり、私を知る人で治療家と呼ぶ人、認識してる人はいない。ただの「イケメン魔術師」である。

そしてこれまで患者と呼ぶ環境に身を置いていたが、自ら辞めてそれを変えた。ただその人の治る力を純粋に邪魔せず高めるため。

また、これまでの技術を捨て見直した。技術は素晴らしいものでも、身体を無視してただそれを行使しようというエゴになっていないか。
身体に本当に興味を持つことで、初めて身体が発している小さいサインを感じるようになった。
それからは身体の訴える小さいサインをより感じとれるように、手の感覚を鍛えた。そしてその身体を尊重する触れ方を学び実践することで、自身の在り方も変わっていった。

だから現在、より多くの方々が自身の力でより良くなっている。

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