英語の先生を突撃インタビュー vol.4 「80才まで笑顔でレッスン」
5時間に及ぶレッスンが終了したのが夜の9時15分。そんな疲れを微塵も見せず、満面の笑顔でzoomに登場してくださった立林洋子先生をご紹介します!
英語を教えるスナダマリコ とセキヤユーコが、つながるまなび educators' studio の先生にお話をお伺いするコーナーです。
突撃インタビューvol.4 は神奈川県横浜市 立林塾の立林洋子先生です。https://tatebay.com/
Meet the Teacher
「2年前には、教え子の還暦同窓会に招かれたんですよ!」と張りのある声と笑顔でおっしゃる洋子先生。英語の指導歴はかれこれ40年になります。
31年前にご自身で設立された有限会社「立林塾」で、現在はzoomと対面のハイブリッド環境を操り、ご指導されています。
iPadとアップルペンシル、そしてプロクリエイトを使ってのライティング添削もお手の物で、多くの生徒さんを英検合格に導いていらっしゃいます。
とはいえ、1年前まではパソコンを触ったこともなかったそうです。
「機械音痴だから、本当に大変でした。zoom やiPadの使い方を教えてくださった児童英語の有能な先生たちのおかげで今があります。だからみなさんへの感謝の気持ちと共に日々パソコンを使っています。」
教えて、洋子先生!
英語教師として多くの生徒を指導し、3人のお子さんもそれぞれご活躍されています。子供を持ちながら英語を教えている私にとって、憧れの存在です。「何か秘訣があるに違いない」と、その極意を教えていただきたく、生徒のみなさんの受験もひと段落のタイミングで、お話を聞かせていただきました。
高校の英語教師として教壇に立つまで
ご年齢からもわかるように、当時は女性が4年制の大学に進学するのは珍しい時代です。
「自分の性格から考えると、普通の会社に入って事務をして、お茶汲みするのは嫌だった。例え結婚せずとも、自立して生計を立てていくには教師が一番だ、」と考えたそうです。
そこで、奨学金を得て大学に進学し、教師の資格をとります。その後神奈川県内の公立高校で英語を四年間教えることに。
折しもインタビューさせていただいたのは3/8(月)の国際女性デーでした。
International Women's Day
「当時の職場環境はいかがでしたか?」の質問に、
「学校は、一般の企業と違って一人の先生がクラスをまとめます。『女性だから…』、という雰囲気は感じませんでした」とおっしゃります。
続けて、こんなエピソードを話してくださいました。
「そうそう、学校にお茶が自動で出てくる機械があったのよ。あれはラッキーでした。だから男性も自分のお茶は自分でつくっていました。
まだ教え出して最初の頃、英語科のミーティングがありました。自分が一番下ですし、やはりここは、と思いお茶を出そうとしたら、『それはあなたの仕事ではないから、しなくていいの』と女性の先輩に言われたことを覚えています。
この方は大学院を出られて、英検一級のテスト問題を作るような大先輩でした。ただ、当時は音楽や家庭科を除けば、高校の教員の多くは男性でした。反対に小学校の先生は圧倒的に女性が多かったです。」
95歳の今もご健在の先生のお父様は、かつて中学校で英語と数学を教えていらっしゃいました。
「洋子、お前は自分で塾をやっているんだから、80歳まで教えられるぞ」と今もおっしゃるそうです。
遡ると明治時代から教師をされてきた御家系で、脈々と教育の血が受け継げられています。3人いらっしゃるお子さんのうちお二人は、同じ塾で教えていらっしゃいます。
「世界の人と話そう!やさしい英語ニュース」で全国の先生、生徒さんにお馴染みのYuki先生は長女です。
https://www.mag2.com/m/0001656230
https://www.youtube.com/channel/UCA8KtyK1ZTqxjAzXqJwwDbQ
ミュージシャンでもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=1T7KIXggLhk
そして長男の亮先生は算数、数学を担当されています。PCやカメラ周りのセットアップ、トラブル対処などなどがお得意で、洋子先生はいつも頼りにされているとのこと。
次男の淳さんは、教育関係で起業されています。これまで本を二冊出版され、ただ今三冊目をご執筆中です。エクセルとベースギターの先生でもあります。
洋子先生は、お孫さんが3人いるおばあちゃまでもあります。
結婚、子育て、香港時代
結婚を経ると、もともと銀行にお勤めだったパートナーは省庁へ異動になりました。国会前は3日も帰ってこない、という凄まじい多忙さで、すれ違い生活が始まります。そこで4年務めた学校を退職することとなります。
夫はいないも同然の生活の中、長女と長男を出産。その後五年間香港へと転勤になり、この間に3人目のお子さんをご出産されました。
完全なワンオペ
ところでパートナーは香港でも多忙を極めていたそうです。
「当時はがむしゃらに働く日本人が「エコノミックアニマル」と呼ばれた時代でした。手軽な離乳食もありません。紙おむつはとても高価なもので、布おむつを手洗いしていました。」
あまりの大変さで、心が折れることはなかったんですか?の質問に
「うーん、そもそも『心が折れる』って言葉さえも存在しなかったから、それが当たり前だ、と思ってやってきたのでしょうね。」
ずっしりした重みを感じる言葉です。
児童英語指導の始まり
そしてこの異国の地で転機が訪れます。他の日本人の子供たちと同様、先生のお子さんは日本人小学校に通いました。
多くの子供達が、家庭教師としてイギリス人の主婦に英語を教わっていたそうです。しかし指導法も知らずに、ただ英語を話せるから、という理由で教えるやり方に強い違和感を覚えます。
「言葉を不自然にゆっくり話すし、変なところで切るんです。また、ゲームなども、お遊び的なものでしたから、子供たちはちっとも英語力が伸びなかったの。」
そこで、「私が教えねば」と一念発起し、再び「洋子先生」の登場です。
今は英語教室は人気の習い事ですが、かつては英語を学校以外で習うなんて考えられない時代です。当時は松香洋子先生の本が一冊があるだけだった、とのこと。
「英語好きですか?」読売新聞社 1981年
この一冊を握り締め、試行錯誤して子供たちに英語を教えたそうです。松香先生と同様、立林洋子先生は児童英語指導のパイオニアといえるでしょう。
無料で近所の日本人の子供に英語を教える洋子先生を支えてくれたのは、仲間のお母さんたちでした。
協力して、絵を描いてくれたり、生まれたばかりの次男の子守役も買って出てくれました。まだ若く、テニス、フランス語、スペイン語、英語、広東語など、それぞれの友達に語学を習い、ドイツ語で第9を歌ったりと、楽しかったです、と当時を回想されます。
帰国と塾の立ち上げ
日本に帰国後、塾を立ち上げることになります。ここで全面的にバックアップしてくれたのが夫でした。仕事では超多忙で、育児の協力は見込めなかったのですが、専門知識を生かして有限会社を設立する手伝いをしてくれました。また、塾の拡張に伴って、パートナーである夫の経営に関する知識や応援は欠かせないものだったそうです。
塾はますます軌道にのり、多忙さは増します。昼のうちに夜ご飯を作り、それを子供たちに食べさせて指導をし続けた、とのこと。
「子育ても、それこそいろいろあったのよ、うまくいかなくて泣いたこともあるわよ。」
ここで、お子さんたちのおもしろエピソードが次々に炸裂。
大笑いするユーコとマリコ
「だけれど、大抵の大変だったことは忘れちゃったわね。私は教える時もそうだけれど、こう、系統立てて考えるよりも、むしろ、感覚で生きています。」
パート2へ続く!
過去のインタビュー記事
vol.3 森島恵先生
vol.2 「手帳で特許」鹿間由美先生
https://www.tsunagarueigo.com/l/time-management/
vol.1 「セッティング完璧です」立石由美子先生
https://www.tsunagarueigo.com/l/interview-vol-1/