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【読書】地球の長い午後

僕の中の最古の読書の記憶は「地球の長い午後(The Long Afternoon of Earth 原題 Hothouse)」、このNOTEでのハンドル名にも入れてる。
いやその前に「海底二万海里」を小4か5の読書感想文に書いてたから二番目か。同じくらいのころだ。

もちろんその前には絵本や児童文学も読んでたろう。
グリとグラとか100万回生きた猫とこかエルマーと竜シリーズとか、それこそ何十年経っても覚えてる。だから、もう少し大人ぶった読書としての記憶だ。

海底二万海里地球の長い午後によって僕の本好きはかなり決定づけられたかもしれない。三つ子の魂百までだもね、三才じゃなかったけど。

SF小説の中でも「地球の長い午後」は奇妙きてれつさでは群を抜いている。
人の想像力というのはとんでもないなと思う。また哲学的でSFの枠では抑えきれない。

話は文明が崩壊した世界だ。
地球は自転を止め、永遠の昼と永遠の夜にわかれた星となった。
人間は隅っこの隅っこにおいやられ、この世に君臨しているのはなんと植物だ。食物連鎖の頂点が植物で、いろいろな形態で動物を補食する。もちろん移動もする。大いなる進化だ。おどろきだ。
隅っこにおいやられた人間はこそこそと樹上に隠れ住んでいる。社会性を失った人間は非常に弱い。原始時代より貧弱。

なにが奇天烈かっていうと、地球は巨大なんて話じゃすまない菩提樹にすっかり覆われているとか、地球と月を行き来するような糸をはった蜘蛛(植物だが)がいるとか、アミガサダケというキノコが非常に高い知能をもっていて主人公(人間の少年)にとりついて指図するとか、そのアミガサダケの先祖は太古に同じように人間に取り付いていてそいつが実は脳ミソなんだとか、なんともあまりの想像力に眩暈がするほどだ。

読めばこの世界をどっぷり体験する。絶対的なアナザーワールド、これは美しくも騒がしい本当の地獄なのかもしれない。
長すぎる午後、終わらない午後。この終末観が幼いころからずっと僕にまとわりついてしまったのかもしれない。罪な本だ。

これほど破天荒なイマジネーションの本もなかなかないだろう。斜め上の想像力に引っ掻き回されへとへとになること請け合い。
でもこれは映像化してほしくない。それぞれの頭の中でこの世界を展開すべき。
あ、でも宮崎駿はこれを読んでナウシカの世界を描いたのかな?

知とはなにか。知の先は退化。すべてのものが突き進むその進化の頂点は退化への始まりで、その繰り返しであるという、まさに進化の謎にたどりつく。
これをあっさりSFとくくっていいのか。これは選択の物語であり、いつの世も深く深く考えなくちゃいけない真理だ。個か種か。
まぁ僕らができることとして自分の頭で考えて、選挙位いこうじゃないか。
じゃないとポンポンになっちゃうからね。

読後感はよい。

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