ぼくらはずっと旅の途中

卑下するつもりはないんだけど、自分はとにかく持続力がない。
努力も継続できないし、熱しやすく冷めやすいから興味や関心すら長続きせず移ろってしまう。

こんな性格だから、何かを突き詰めることができない。
いちおう100点を目指す気がないわけじゃないけど、効率を第一に考え、たいていのことは80点くらいで満足してしまう。
いまこの瞬間なら全力を尽くすことができる、でも、それを継続できない。

自分は生き物が好きだし、音楽が好きだし、マンガやゲームも好き。
でも、それぞれの分野で、その好きを突き詰めている人たちを見ると、自分はとてもそこに到達できないな、と思ってしまう。
比べるものではないんだけど、自分の好きは、その人たちの好きと比べると、薄っぺらく感じてしまうときがある。
好きなものはその人を幸せにするためにあるんだから、薄っぺらくったって別にいいはずなんだけど、ちょっとさみしく、うらやましく感じたり、そのジャンルを「好き」っていうのをなんだか躊躇してしまう瞬間が、ないとは言えない。

書けば書くほど、自分が芸術家でないということを認識する。
そんなことはもうとっくの昔にわかっていることではあるんだけどね。

そして、だからこそ、アーティストと呼ばれる人たちに対して、尊敬とあこがれの気持ちがあるのです。きっと。


そんなことを考えていたとき、ふと、自分にも、ひとつだけ、これだけは絶対に誰にも負けない、と思えることをみつけた。

それは、「間違いなく、この世でいちばん、自分が、自分のことをよく知っている」ということ。


そんなの当たり前だよ、と思うだろうか。
当たり前だと言う人は、自分に言わせれば、あまり自分と本気で向き合ったことがない人だ。


自分を知ることは、実際には、そんなに簡単なことじゃない。

自分がどういうとき、どのように考え、どのように感じて、どのように行動するか、それを客観的に見て、把握して、自分の傾向を知り、それを次につなげること。
それが、自分を知るということだと思う。

自分がどのようなときに幸せを感じるのか、その傾向がなるべく正確に分かるようになれば、自分にとって最善に近い選択肢を選ぶことができ、幸せになる確率が高くなる。
でも、それを理解しているつもりでも、生活の中で、新しい自分の一面に気づくことがときどきある。同じ人間であっても実際には少しずつ変わっていくものなので、それまでと違う考えや感情が出てくることだって少なくない。
それをまた把握して、それまで作ってきた自己像を修正し、選択肢の精度を上げていく。

自分の中の世界は、少し視点を変えるだけで、見え方や考え方がガラッと変わることがある。外の世界はそう簡単にはかわらないけど、内的世界に関して言えば、考え方ひとつでパラダイムシフトが起き得る。
前回の「青い鳥」の話で言えば、帽子のダイヤを回すようなものだ。

だから、自分を知る、ということには終わりがない。100パーセント自分を理解するなんてことはあり得ない。
そして、だからこそ、自分と向き合うことはとても面白いし、興味が尽きない。
言わば、自分にとって、唯一、死ぬまで飽きることのない趣味、みたいなものかもしれない。


自分と向き合うことのメリットはもうひとつある。
それは、他人の目を気にしたり、比べたりすることがなくなることだ。

人のことを気にするのは、他人と比べないと自分のことが見えないからで、逆に言えば、本当の意味で自分と向き合っていないからだと思う。

自分と向き合い、自分を知るのに、誰かの評価は全く必要ないし、何の意味もない。人からどう見えているかなんて関係ない。自分が自分をどう見ているかだけが重要だし、その結果としてのアウトプットにこそ意味がある。

相対的な幸せに意味などない。自分の中にある絶対的な幸せ、それは他の誰かのものと比べ物にならない価値があるし、他の誰にも共感されなくったって、自分には最高に価値のあるものだ。


「自分探しの旅」、みたいな表現をすると急にチープな感じが出てしまうけど、あえてその表現に乗っかるなら、ぼくらはずっとその終わらない旅の途中だし、その旅そのものが生きる意味であり幸せでもあるのかもね。なんて。


記事を書いて、最後にこのタイトルをつけたとき、なんとなく検索したら、YouTubeで同じタイトルの曲を見つけました。

この記事を書かなかったら絶対に出会わなかったであろう曲。運命ってやつだね。いい声だしいい曲。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?