下弦の月と今夜も行こう
年が明けてもう2週間経っている。まだ2週間なのに正月がけっこう前に感じる。
大晦日から元旦にかけて仕事だったんだけど元旦から忙しくて、その後もまあまあ忙しかった。仕事の性質上、忙しい時期というのは世の中が平穏でない時期で、平穏というのは人間関係や業務負荷、将来の不安、季節の変わり目、いろんなことが重なって乱される。なるべく世の中がずっと平穏であってほしい。そうすると仕事がなくなるかもしれないけどそのときは喜んで失業したい。
その普段の仕事の延長で、専門学校で授業をするという仕事もちょっとだけしているんだけど、その試験の答案用紙が返ってきて採点した。自分のテストは他の教科との複合になっているので、仮に自分の出題範囲が満点でも他の出来が悪ければ追試になってしまう。自分は絶対に追試をやりたくないから前年度のテストと解答を生徒に横流ししているんだけど、それでもできてない子は全然できてない。できてないときの救済措置として授業の感想を書いてもらって下駄を履かせているんだけど、それすら書いてないから頭を抱える。もちろん、ほとんどの生徒は満点に近くて、それなのにたくさん感想を書いてくれて先生はとてもうれしい。これはリクエストしてるからだけど、推しのアイドルやミュージシャンを教えてくれたり、先生の似顔絵を描いてくれたりするから、いちいち写真を撮って保存している。以前も書いた通り、自分も全員にコメントを返しているので採点にすごく時間がかかるんだけど、やはりリアクションしてくれるのはうれしいしモチベーションになる。推しのみなさんが「プレゼントは手紙がいちばんうれしい」っていうのは本当なんだろうなって、レベルは全然違うんだけどわかるような気がする。ごくわずかでも生徒たちになにか残せていたらとてもうれしい。
年末年始、DMMブックスが電子書籍のセールをしていて、それが最低でも50%ポイント還元というどうかしているとしか思えない大盤振る舞いだったので、ついいろいろマンガを買ってしまった。
前にも書いたけど異世界転生モノが好きでまた何冊か購入。フォーマットは同じで細かい設定が違うだけ。だがそこがいい。だいたい読者の予想通りに話が進んでいき、想定外のことは決して起こらないから読んでいて全く疲れない。思うにこれは21世紀の水戸黄門だ。たぶん30〜40年後くらいの老人ホームでは異世界転生モノのマンガやアニメが繰り返し流されている。人生のエンドロールにふさわしい平穏な日々。
あと、いろんなひとがおすすめしてて気になっていた「女の園の星」と「スキップとローファー」も購入。どっちもめちゃめちゃおもしろかった。やっぱり多くの人がおすすめするには理由がある。「女の園の星」、こんなに笑えるとは思わなかった。笑いをこらえることができず職場で悶絶したことが何度もあった。「スキップとローファー」は甘酸っぱい高校生活という王道の設定でこんなにおもしろいのは、やはり登場人物の魅力というほかない。あんまり悲しいことが起こらないのも個人的にはとても重要でポイント高い。出てくるひとたちみんな好きだしみんな幸せになってほしいけど、なかでもナオさんには特に幸せになってほしい。
なかなか思いつかなくなっちゃったけど細々と続けている短歌コーナー。記録と振り返りのために載せておきます。
痛キモ短歌界の新星現るという感じです。まあ痛い。この中だと1/6のが好き(これだけ8時19分じゃないけど…)。十四夜の月は小望月とか幾望の月とか待宵の月とか言われるらしくて、いずれも翌日の満月が主役で十四夜の月はその前座という扱いで、なんだか気の毒になって、十四夜の月をテーマにしたくなったのです。幾望は希望、待宵は明日の満月を待つという意味だけど未来を信じて今は待つよ、っていう意味で…つまりこれも推しを想った短歌でした…
ちなみに今晩は下弦の月、この記事のタイトルはLaura day romance「東京の夜」の歌詞。この曲すごく好き。
昔から月と星が大好きなアイドルヲタクである自分が好きにならないわけがないアイドルグループ、十六夜ポラリスのライブにようやく行けました。
グループ名からして月と星、しかも十六夜って月齢の中でいちばん素敵な名前だと思ってて絶妙すぎる。そして曲が本当にいい。de de mouseの「sky was dark」というアルバムが大好きなんだけど、それを思い出させるようなドリーミーなエレクトロポップで、コンセプトともメンバーの声ともすごくマッチしている。衣装もとてもかわいい。もちろん着ているメンバーのみなさんも。
仏東京目当ての配信ライブでたまたま観て好きになって、ずっと音源を聴きながらライブに行きたいと思っていたところに、大好きなユレルランドスケープ主催ライブで、しかも大好きなカイジューバイミーも対バンするとあって、平日だったけどなんとか仕事を調整して早退して参加。
30分尺だったので期待通り全曲やってくれて、聴きたい曲をぜんぶ聴くことができたので大満足だったし、やっぱり目の前で聴く曲はすばらしいしメンバーのパフォーマンスもとてもすばらしくて見惚れてしまう。前に配信で観たときの印象よりずっと歌がうまくてびっくり。ラプラスは感動したし星の水槽めちゃめちゃかわいかったな…ナイトランナーはちょっと前に見た流星群を思い出しながら聴いた。最高でした。
音源を聴いて、ライブを観たとき、音源の印象を上回れるかどうかっていうのが、次もまたライブを観たいかどうかに直結すると思っているんだけど、この日に観たグループはすべて、現場でライブを観るべきと思えるグループだったのでとてもよい対バンだったな。行けてよかったです。
年末くらいからずっとSNS上で推しを見かけなくなっていて、全然待つよ!平気だよ!みたいな感じを装いつつそれはもうわかりやすくへこんでいた自分だったんだけど(短歌にも如実にあらわれててうける)、今週、その推しのチェキが届いたら、その瞬間に笑っちゃうくらい元気になって満たされた気持ちになった。大好きな推しは素敵なことばをたくさんくれるから本当に幸せ。やっぱり好きだなーって改めて思う。何も言わないのは当然思うところがあるのだろうし、大好きな推しの決めたことに異論があろうはずがない。自分はもうとっくに待つって決めているんだし。Absence makes the heart grow fonder、冬来たりなば春遠からじ。オザケン的に言えば「こんなに遠く離れていると愛はまた深まってくのと」。名言や名曲の歌詞に支えられて日々を生きる。
生き物が大好きだし「一寸の虫にも五分の魂」思想が根付いている日本人だからかすべての命は平等だと思っている。増えすぎたカンガルーは処分するけどイルカやクジラを食べるのはかわいそうだからダメ、という意見には1ミリも共感できないし、牛や豚を食べるのは残酷だけど野菜はいいという発想も全くわからない。でも、ここでいう平等は「生きる権利」という意味であって、蚊やゴキブリは嫌いで見かけたら絶対にヤるし魚は見るのも食べるのも大好きで、そこは自分の中で矛盾しない。
人間も生き物だから本能というプログラムが存在している。生き物のプログラムのなかでいちばん優先順位が高いのは遺伝子を残すことだ。2番目は自分の身を守ることだけど、それ以上に子を守る方が上だから、親たちは身を削って子供のために尽くすし、自然とそういう行動になるように、我が子がかわいくて仕方がなくなるようプログラムされている。つまり我が子がかわいくて仕方ないのは本能だし遺伝子の思うつぼなわけだ。そう思えるのは幸せなことだから別にいいけど。
ただ、人間は知能が高まった結果、本能というプログラムに疑問を持ち、ときに抗うようになった。生きる意味なんかを考えるようになってしまった。遺伝子のプログラムには強制力はないから、子孫を残さなくても別にペナルティはないし、自ら死を選べる生き物は人間だけだ。人間だけが、本能の呪縛から逃れて、自分のやりたいように、自由に人生をデザインできる。
でも、逆になんでもいいからこそ、人は迷うのだろうとも思う。何をしてもよい、と言われると何をしたらいいのかわからなくなるものだったりする。わからなくなるとつい周りを見て他人と比べてしまう。性格もやりたいこともみんな違うはずで、他人と比べてよいことなんかひとつもないのに。
前も書いた気がするけど、生きてる意味なんか別にないんだから、わからなくていいんだよ。でも、どうしても意味を見出したいなら、それは自分の中にしかないから、人と比べるのではなく、自分自身で、もっともらしい理由を見つければいい。自分がそれで納得できるなら、他人の共感なんか必要ない。本当に自分がやりたいことのために生きる、どうしてもやりたくないことはやらない。どうしてもつらく苦しいならすべて捨てて逃げよう。シンプルに、心のままに。正解も不正解もないんだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?