【観劇記録】宝塚花組・冬霞の巴里①オクターヴ

そもそもnoteを始めよう、という思いに背中を押してくれたのが、この作品でした。
宝塚観劇が趣味になってから、かれこれ8年ほど経ちます。
主演の永久輝せあさんは、私の1番の贔屓である早霧せいなさんの言わば息子のような存在。雪組時代も、花組に移ってからも、気になってつい目で追ってしまう存在です。はい、私はひとこちゃんが大好きです!(笑)

初の東上主演の決定・演目が『冬霞の巴里』と発表された時、「遠征しよう」と秒で決意しました。
ひとこちゃんのハマり役になりそう且つ、私に刺さりそうな作品だと直感したからです。

そして、その予感は見事に的中しました!
完成されているようで未完成にもみえる独自の世界観。「楽しかった」の一言では言い表せないストーリーの奥深さ。
観る人それぞれの行間の捉え方によって、解釈が変わる作品。
面白かった!!

そこで、私自身が見た『冬霞の巴里』を文章にして残しておきたい。忘れたくない!と思い立ち、noteにまとめる事にしたのです。
梅田で2回・東京で1回観劇した一個人の解釈として、読んで頂ければ幸いです。
ネタバレしているので、ご注意下さい。

オクターヴにとって、
アンブルこそが“復讐の女神”だった

この作品の最大のポイントは、主人公・オクターヴとその姉・アンブルの関係性だと思っています。
まずは、オクターヴ目線での“冬霞の巴里”を書いていきたいと思います。

物語は、公式で発表されているあらすじ冒頭の描写から始まります。

時は19世紀末パリ、ベル・エポックと呼ばれる都市文化の華やかさとは裏腹に、汚職と貧困が蔓延り、一部の民衆の間には無政府主義の思想が浸透していた。
そんなパリの街へ、青年オクターヴが姉のアンブルと共に帰って来る。二人の目的は、幼い頃、資産家の父を殺害した母と叔父達への復讐であった。父の死後、母は叔父と再婚。姉弟は田舎の寄宿学校を卒業した後、オクターヴは新聞記者に、アンブルは歌手となって暮らしていたが、祖父の葬儀を機にパリへ戻った。怪しげな下宿に移り住む二人に、素性の分からない男ヴァランタンが近づいて来る。やがて姉弟の企みは、異父弟ミッシェル、その許嫁エルミーヌをも巻き込んでゆく…。
古代ギリシアの作家アイスキュロスの悲劇作品三部作「オレステイア」をモチーフに、亡霊たち、忘れ去られた記憶、過去と現在、姉と弟の想いが交錯する。復讐の女神達(エリーニュス)が見下ろすガラス屋根の下、復讐劇の幕が上がる…!

宝塚歌劇ホームページより

観た方は誰もがこの『姉と弟』の関係性に、冒頭から違和感を感じたのではないでしょうか。
会話のトーンが『姉と弟』というより、『恋人同士』のようにも見えました。
私は実際に弟がいますが、あんなトーンの会話は絶対にしません。(笑)

オクターヴは「父の仇討ち」を目的にパリに戻ってきますが、幼い頃に父親を殺されたオクターヴは、記憶がかなり曖昧である事がわかっていきます。
イネスの事を覚えていませんし、父・オーギュストとの記憶も「立派な跡継ぎになれ」という会話のみです。
(「2人だけの約束」も実は記憶違いで、本当は叔父・ギョームとの思い出だったのではないかと思っています)

そんなオクターヴが、大人になるまでにギョームと母・クロエ、そしてブノワへの確固たる復讐心を抱くには、アンブルの存在が欠かせなかったはずです。
人間がセイレーンに冥界へ導かれるように、オクターヴはアンブルという復讐の女神に導かれ飲み込まれるようにして、パリの街に戻ってきたのです。

そして、昼食会でオクターヴ(とアンブル)は、ギョームとクロエの息子・ミッシェルと婚約者・エルミーヌへ激しい憤りを感じます。
『自分は彼らと同じ頃、こう笑えただろうか?』

つまりオクターヴにとっての復讐とは、
表向きは「父の仇討ち」ですが、
“本心”は(オクターヴ自身、序盤は自覚していませんが)「姉との幸せだったはずの時間を奪われた事への憎しみ」が起点であり、「姉と成す事で果たされるもの」になったのだと思います。

神格化された"父"と“姉"の崩壊

しかし、父の知らない一面が明らかになっていき、
自分にとって“復讐の女神"であるアンブルは
ブノワの愛人のような(憎むべき相手のクロエを彷彿させる)振る舞いを見せている事で、
オクターヴの覚悟は揺らいでいきます。

そして、ヴァランタンやエルミーヌとの会話を通して、
・一度手を汚してしまったら、二度と(ミッシェルやエルミーヌが生きているような)光の世界では生きていけなくなること
・自分の“本心”が「姉と共に生きる」ことにあること
を自覚していきます。

復讐を果たしても、自分と姉の人生は続いていく。
姉と共に復讐を果たしたとして、気持ちが晴れる事はない。
光の世界で生きていける事もない。
それでいて、姉には縁談の話もきている。
ならば姉を巻き込まず、自分1人で復讐を成し遂げねばならないという思いと、姉と共にありたいという葛藤が、彼の中で渦巻いていきます。

そして物語の終盤、オクターヴは自分の出生、そしてアンブル・イネスとの真実を知る事になります。

姉はどうして、この真実を言わなかったのか?
もし本当に復讐を成し遂げたのなら、姉との関係性は終わってしまうのでは?

オクターヴの“本心”

最後の家族での食事の際、力強く前を見据えているアンブルに対し、オクターヴは虚な眼差しで俯いています。

しかし、ヴァランタンがギョームを襲うと、オクターヴは(“姉と決別し復讐を果たす")『覚悟』がなかったんだ、とギョームに銃を向けます。
しかし、ギョームから聞かされた父の姿・そしてオーギュストへの恨みを果たした今のギョームの苦しみを目の当たりにし、その『覚悟』は再び揺らいでしまった。
そんなオクターヴが再びギョームを襲おうとしたヴァランタンを撃てたのは、"復讐"の対象であるギョームを失う事はさせないー『姉と共に生きる』事のできる『復讐が果たされる前の時間』を奪われたくない、という彼の“本心”に従った行動だったのではないかと思いました。

『姉と弟』

身動きが取れなくなってしまったオクターヴは、アンブルによって復讐を果たす事をやめました。

最後、パリを後にしたオクターヴとアンブルは、
『いつまでも一緒』『姉と弟』『永遠の共犯』
という関係性を再確認するかのような会話をします。

オクターヴの「姉と弟…それでいいの?」の言葉には、
血の繋がっていない・そして実際には手を汚していないアンブルに『共に生きる』事の赦しをもらえるのか、という確認のニュアンスを感じました。
(かなり解釈を迷いましたが…)
そしてこの会話は、オクターヴとアンブルでは捉え方の意味合いが違うだろうな、とも思いました。

ちょっと長くなりそうなので、アンブル目線からは別で書きたいと思います。
永久輝せあさんは、耽美的かつ退廃的に、強く脆いオクターヴを見事に演じきっており大変素晴らしかったです。
間違いなく彼の代表作の1つになったでしょうし、私も目撃者の1人になれて嬉しかったです!

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