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星の光が何年も遅れて届くように

タイムカプセルを埋めたままにしている、と気づいたのはもう8年も前。成人式の後に開かれた中学の同窓会もほとんど終わるというときだった。

「式終了後、Y小学校ではタイムカプセルを開封しました。参加できなかった方は会場の後ろに置いておきますので、ご自身の埋めたものを探してお持ち帰りください」

アナウンスとともに、立食会場前方の照明が落ち、ゆるゆるとスライドが下りてきた。数時間前に撮られたばかりの集合写真が映し出される。真ん中には泥だらけの衣装ケース。黄ばんでよれよれになったノートや封筒を手にしたみんなは、過去との再会を懐かしむように、それでいてちょっと照れくさそうにはにかんでいた。

「ちゃんと出てくるもんやねんなあ」

心に浮かんだことをそのままつぶやくと、「思ったより感動したわ」と隣にいた友達が笑った。Y小出身の彼女は昼間の開封式にも参加したらしい。

「8年しか経ってへんからかな。割ときれいに残ってたで」
「文字とかも読めるん?」
「全然読める。つむぐちゃんの小学校はタイムカプセルやらんかったん?」
「埋めたよ、一応。成人式の日に集まって開ける約束やってんけどな」

私が呼ばれてないだけかも。悲しい可能性が過り、こっそり他のグループの会話に耳をすませてみたが、そういった話はなさそうだ。

「なあ、せっかくやしM先生のとこ話しにいかへん?」

当時の教員たちも参加しているらしく、彼らの周りには人だかりができている。M先生は中学2年生の時の担任だったが、私の中ではすでに”過ぎた人”に分類されている。改まって話したいこともないし、すっかり成長した教え子たちに囲まれた彼は遠くから見ても困惑していた。「おお、久しぶりやな。元気にしてたか」の一辺倒で、覚えていないのをごまかそうとしている。

「ごめん、私、もう疲れたし帰るわ」
「え、まじで」

一生に一度のめでたい日をあっさりと終わらせる私に友人は驚きながらも軽く手を振った。クロークでコートを受け取り、ホテルの豪奢なエントランスを出ると、凍った風が頬の熱をからめとっていった。先ほどまで耳管を満たしていた喧騒はゆっくりと睦月の静寂に溶けていく。


「校庭の角、桜の樹の下」


駅舎へ向かいながら、呪文のように口ずさむ。

8年前、タイムカプセルを埋めた場所だ。当時、探知機や重機を動員して大がかりに探索する模様をテレビ番組でよくやっていた。地中に埋めたものをもう一度取り出すことがこんなにも難しいのかと呆気にとられたものだ。みんながせっせとスコップで土を掘り起こしている中、自分だけでも記憶しておかねばとその景色を懸命に焼きつけていた。

大人になってみれば、タイムカプセルを無事に掘り当てる以前に、散り散りになったメンバーが自発的に集まる方がよっぽど難しいのだと気づく。

もはや誰も自分のことを覚えていないであろう母校と段取りを組み、もはやどこで何をしているのかわからない同級生に片っ端から連絡を取るなんて、億劫以外の何物でもない。今に満足していない人は、活躍している仲間と再会して劣等感を触発されたくはないし、今を充実させている人は、イニシアティブの取れなかったかつてのコミュニティーに戻りたくはない。集合写真の中の友人たちが本当に手にしていたのは、些末な面倒やつまらないプライドをものともせずに、純粋に会いたいと思える仲間だったんだと思う。


「校庭の角、桜の樹の下」


繰り返したつぶやきはホームに滑り込んできた電車にかき消される。せっかく刻み込んだ記憶ではあるが、もう使われることはないのだろう。


別に大事なものを入れたわけじゃない。むしろ友達なんてほとんどいなかったから、後世に取っておくようなものはない、全部朽ちて土に還ってしまえとふてくされていた気がする。ただひとつ心残りなのは、まだ誰にも読まれたことのない手紙が1通、眠っていることである。

「20歳のつむぐちゃんに手紙書くから交換せえへん?」

すさんでいたのを察知したのかたまたまか、隣のクラスの親友がそっと声を掛けてくれた。コンマ1秒で私の世界も華やいだ。家に帰ってお気に入りの便せんを広げてみたら、興奮で心臓が張り裂けそうだった。


はたち、はたち、はたち。20歳といったら、立派な大人。大人になるってどんな感じ?


お金をたくさん持てるようになって、欲しいものを誰にもねだらずに買って、尊敬されて、結婚もして、子どももいるかもしれない。それにもっと賢くなる。今の私では想像もつかないようなことを考えているんじゃないかな。じゃあ、私、私の知らない彼女と何を話せばいいんだろう。

見えないけれどそこにいる誰かに語りかけるように、一字一字書きつけていく。なんだか未来にタイムスリップしたみたい。大人になった親友に会いにきたのだ。変なの、タイムカプセルって過去へ戻るためのものなのに。


衣装ケースに収める直前、私たちはこっそりと手紙を交換した。台形に折りたたまれた便せんは予想よりずっとぶ厚かった。今すぐ開けたい衝動をぐっとこらえる。彼女もまた未来へ渡って20歳の私と会ってきたに違いない。その瞳にはどんな姿が映っていたのだろう。


がたん、ごとん。電車の揺れに身を任せ、暗く染まった街並みを眺める。遠くで小さく星がまたたく。

いざその20歳とやらを生きてみれば、想像していたほど劇的に大人になんてなれやしない。相変わらず肩書は学生で、欲しいものどころか生協のおにぎりひとつためらわなきゃ買えないし。少しは賢くなったはずなのに、自分が働いているところをちっとも想像できない。唯一分かったことといえば、夢は必ずしも叶うわけじゃないということくらいだ。もし12歳の少女が本当にタイムスリップしてこんな未来を突き付けられていたのだとしたら、たまったもんじゃない。あの頃の無邪気な空想に思わず苦笑する。


卒業後、彼女は県外の私立中学に進学し、今は連絡先も知らない。成人式にも来ていないようだった。手紙になにを書いたのか、いつか答え合わせできる日は来るのだろうか。もしかしたらこうして時々思い出して、想像して、また日常の中に埋もれていくだけかもしれない。


でもまあ、それもいいか、と思う。星の光が何年も遅れてこの地に届くように、まだ私のもとに届いていないメッセージがこの世にある。それだけで、どんなつらい夜ももう少しだけ待ってみようという気になれるから。


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