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目的と手段の話をしたいのだけれど、たとえ話が時代錯誤過ぎ

私の短い会社員時代のお話です。

ある会社では毎朝、職種に関係なく女性社員がお茶を入れる決まりでした。先輩から各自の湯飲みやマグカップを教えられて
「Aさんはお茶、熱いのが好みだから湯飲みも温めておいて」
「Bさんはコーヒー砂糖2杯」
「Cさんもコーヒー、ブラックで量はすくなめ」

そんな説明を聞いているうちに「本当に朝いちで全員お茶を飲みたいのかな?自分の飲みたいものを飲みたいときに飲めば良いんじゃないかな?」と思い、半年ほどして女性社員が私しかいない場所へ移ったのを機に朝のお茶出しをやめてみました。

それでも「お茶入れてよ!」って言う人はいたけれど
「えー?自分の好きなものを飲んだ方が良いんじゃないですか~?」と、若さ特権の世間知らずさを振りかざしたセリフを吐きながらお茶をいれていたら、そのうちそれぞれ飲みたいものを飲みたいときに飲むようになりました。

また別の会社では来客に出すお茶は当番制になっていました。
ある日トイレに行こうと一つ上の階に行って入口付近を通った時にお客様がいらっしゃったのが見えました。給湯室はトイレの隣にあったのでついでだと思いお茶を用意していたら、事務所の奥の方からバタバタっと人が走って来て「私が当番だから!」と怒ったように湯飲みをもっていきました。

逆に私が当番の時、その方はお客さんが見えるとどんなに自分の席が遠いところであっても席に戻って「お茶入れてください」って内線でかけてきました。その会社での私の正解の行動は、お茶を出す時間が遅くなろうとも下の階の自分の席に戻って内線で当番の人に連絡するべきだったようです。

最初の話の会社では全くお茶出しをしなかったわけではなく、自分のを入れようと思ったときに「飲みたい人~?」って聞いて要望があれば入れていました。
次の会社では、当番を決めないと結局同じ人ばかりがやるようになるから当番制にしたのもわかっていたけど、当番の人に知らせてその人が奥の方の席から給湯室にくる間に、たまたま給湯室のそばにいたらできるところまで準備したほうが効率的だと思いその後もそうしていたので嫌がられてましたね。

もう20年以上も前のお話だから、今やこんな話通じないかもしれないですけど、決めたルール自体が目的になると本来の目的とずれてしまうことになるんじゃないかなというお話をしたかったのです。
例えに出した話が時代錯誤過ぎて伝わらなかったかもしれないです。

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たかはしあやこ/㈱つむぐ設計 代表取締役
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