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押しつけのカゾク

数日前からイライラする。今頃は私にとって嫌な時期なのだ。2年前に父が亡くなり、1年前は生前の父から受けた性虐待を思い出した。ニュースは感情をゆさぶる。おまけに花粉も飛んでいる。

イライラは無意識のうちについ態度に出てしまう。夫に当たりたくないのだが、結果としてイライラの流れ弾をぶつけてしまう。だから注意深くイライラを抑えるけど、これが結構エネルギーを使う。


父のことは今でも嫌いだ。感謝はしているけど嫌いだ。同僚や上司として出会っていたら、いつ怒り出すかわからない怖い人だと思っただろう。人としてはとことん私の感性と合わない。自分の気分だけを最優先する人だった。

母と弟も大嫌いだ。おじさんになっても母に生活の面倒をみてもらっている弟と、弟だけに甘い母。この二人には厭わしさしか感じない。危篤だろうが葬式だろうが、何があっても絶対に会わないと決めている。うつ病で障害者になった私に対して、腹で何を思っているか知れたものじゃない。

親も兄弟も選択の余地なく、一方的に押し付けられたものだ。私はあの家に生まれてくることすら、了承していない。
絶対に私は、あの人達を親に選んでいない。

そんな人たちと嫌嫌20年近くも顔を突き合わせてきた。私にとって実家は安心できる場ではなかった。拷問ありの牢獄だった。親兄弟を好きだと思ったことはない。
私はさだまさしさんや槇原敬之さんのファンであるが、親子の愛を歌った曲は受け付けない。その曲をきくと、愛する肉親を持てなかった自分が可哀想になるからだ。


私の家族は夫だけだ。自分の判断で選び、育てた夫だけだ。

家を出て約30年になるのに、親の悪影響から完全に自由になれない。命日も誕生日も父の日も母の日も、ただの日付でしかないのに覚えている。そして感情が動いてしまう。
早く他人以下になりたい。思い出すことなく、間違って名前を見てしまっても感情が動かないようになりたい。
名前も顔も声も忘れて、それらに関する記憶は全てきれいさっぱり無くなればいい。
そう、たとえば道端の電柱のように、存在すら認識しないようになりたい。
すれ違ってもわからないように。視野に入れないように。

私はとっくに押し付けのカゾクから独立したのだから。
過去から自由になって、今だけを見つめたい。

お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。