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心に焼き付かなくなった

好きなアーティストの新曲を聴いても、心が動かなくなった。

初めて自分で買ったレコードは村下孝蔵の「初恋」、中学一年生だった。この曲を聴くと今でも、思春期のヒリヒリして、グルグルと揺れ動く心を思い出す。担任の教師に抱いていた、不安定で熱っぽくて瞬発的な恋心。硝子のようにもろく傷つきやすい、鋭い感情。自分自身をも傷つける、激しく変わる気分。もろもろが、今体験しているかのような鮮やかさで蘇る。
「初恋」は私の心に、強く深く焼き付いている。だから、曲を聴くだけで、40年前にタイムスリップするのだ。

中学2年生からさだまさしを聴き始めた。以後40年にわたり聞き続けてきたわけだが、いつからかアルバムを買わなくなってきた。さだの次に長く聞いてきた男性アーティストも、女性アーティストも、ニューアルバムを聴いても感情が動くことがなくなった。
十年単位の長さで聞き続けてきたので、アーティスト側が変化したというのもあるだろう。若者から中年へと年齢を重ねた私の感性が変化したのもあるだろう。
だが、私が「不感症」になった、という可能性もある。認めたくはないのだが、10代から50代へという生の過程で私の心が変化した可能性は否定できない。
視力が落ちるように、白髪が増えるように、感受性が固くなったか。
それとも単純に飽きたか。

若いころはたくさんの曲が心に焼き付いた。焼き付いた曲は私の一部となり、人生を共に歩んでいる。
焼き付いた曲は私の背中を支えてくれる。ふと、心を慰めてくれる。だから、最近は焼き付く曲がなくなったのが寂しいのだ。

思春期青年期の移ろい激しい心象風景から一転、今は陽だまりの中で甲羅干ししている亀のような心生活。不安定さがないと何かが焼き付かないのなら、今の私は幸せと言える。

でも、心揺さぶる曲と出会いたい。


お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。