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最も衝撃をうけた写真ー屋上の円陣ー

本記事には東日本大震災についての記載があります。



五十余年の私の生涯で最も衝撃を受けた画像を紹介しよう。下記の書籍の表紙である。見た刹那に心へ焼き付き、目を逸らしても記憶から消えることはない。

(山村武彦 「屋上の円陣」ぎょうせい 2017年)

この写真の状況を説明する。2011年3月11日、東日本大震災によって引き起こされた津波のため、宮城県南三陸町防災対策庁舎の屋上に取り残された人々が、必死に生き延びようと円陣を組んでいる姿である。
津波に誰一人流されまいと、高齢者・女性・若い職員を内側にし、外側を男性が囲んでいる。
人々の足は海水に浸かり、水は流れをつくって動いている。

私はこの写真を見た瞬間、目をそらしたと思う。しかしほんの一瞬でこの写真は脳裏にこびりついた。
極限状態であっても、冷静に人間らしく振舞う人間の尊さ、誰一人死なせないという強い意志は、崇高で美しい。しかし「結果」を知っている私には、美しければ美しいほど鋭い残酷さを感じた。このとき屋上に避難したのは54人、生き延びたのは11人であった。

防災対策庁舎をおそった津波は、想定よりはるかに大きなものだった。震災発生当初の予想では6メートルの津波だったが、実際は屋上を超える15.5メートルの大津波が押し寄せた。
二階建ての防災対策庁舎は屋上まで水没した。まったく想像もしなかった状況だろう。それでも屋上で円陣を組んで、犠牲者を出さず生き延びる!と固く誓っていただろう彼ら。どんな景色を、どんな空を、どんな光を、どんな風を、どんな音を、どんな匂いを、見て聞いて感じたのか。たがいの温もりに何を思ったのだろう。

あれから13年、東日本大震災が話題になるのは3月くらいになった。13年過ぎでも、「屋上の円陣」を見ると激しく感情が揺さぶられる。人間の素晴らしさと事実の悲しさに耐えられず、涙する。
どうか、どうか、このようなことが二度と起きないでほしい。

※この記事は私の感情の揺れを吐き出すために書いた。そのため、政策や各災害の予想や対策については触れない。


最後になりましたが、すべての自然災害犠牲者の方のご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。


お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。