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11月4日 口語の話

みなさま、こんばんは。
よい夜です。静かで、肌寒い。タバコを吸うために窓を開けると月が見えて、つい、ぼんやりと見てしまいます。
さて、今日はみなさまどんな一日でしたか?
私はおうちでお仕事したり、珍しく料理らしきものをしたり、お気に入りの曲を永久リピートしたり、そんな風に過ごした一日でした。
ということでさして目新しいことはありませんでした。ただ、誰とも会うことも話すこともなく一日中いるといろんなことを考えてしまいます。
それはそれで、私は気に入っている時間です。

ということで、ひとりでいる時にふと考えていたことをぽつぽつと。
今日は少しだけネガティブ、というよりも自省的な気分なのであまりお好きでなかったら申し訳ありません。また、元気な時にお会いしましょう。
私のネガティブな独り言に付き合ってやってもいい、という方はどうぞ。無理強いはしません。

さてさて、口語の話、と銘打ちましたがそんなに小難しい話ではありません。
「そんなやつもおるんやな」くらいの気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。あと、同じように悩んでいる方もいるのかもしれません。
役に立つとは思えないので、同病相憐れむ的な気持ちで読んでもらえたら幸い。役に立たなくても同じような人がいると思うと多少は慰められるかもしれませんし。
本当にどうにかしたいと思う方は病院なり療法士なりを探すことをおすすめします。私は使ったことないけれど。

そんな風に前置きをすると、なんだか大袈裟で自分でも恥ずかしくなって来てしまいます。
大したことじゃないんすよ、と言えれば格好いいのですが残念ながらそれなりに私にとっては、正確に言えば「当時の私」にとっては大事で、たまに今でも顔を出してくるので諦めてそれなりに付き合っていっているようなものです。
ここまで引っ張って言うほどのことでもないのかもれません。
まあ、いいのです。他人からの見え方よりも自分の感じ方の方が大抵はインパクトと質量が大きいものです。
まさに!他人事!
だって離婚も決別も、あとは借金とかも、当事者だったら大変だけど自分じゃなかったら所詮は他人事ですよね?
もちろん同じように胸を痛めることができる人もいるとは思いますが、やっぱり当事者と他人とは、どうしたって全くの同調と共感なんてできないものです。
それは何が悪いとかではなくて、ただそういうものなのだと、私はそう思います。しゃーない。

ということでここまで引っ張ったのですが、今日ふと思い出したのがですね、自分の口、舌、喉から出てくる言葉の話。
口語、とタイトルには書いたのですが発話とかの方が正しかったのかもですね。

ここで質問です。
みなさま、しゃべるの得意ですか?
これはお喋りの好き嫌いとかではなくて、得手不得手の話です。
いわゆる口が回るタイプかそうではないか、みたいな感じです。ここできちんと定義しないと後々ややこしくなってくるのです。

私はですね、お喋りは好きです。
気の合う人となら何時間でも酒のみながらしゃべれます。
やや苦手なタイプの人でも、まあ、なんとか数時間くらいはどうにかできる気がします。やらないですむならやりたくないけど。
大抵はそうなんでしょうか。他の人がどうなのかは正直なところあまりよくわかりません。

また話がどっか飛んでいきそうです。危ない危ない。

私は軽度ではありますが、元々「滑舌が悪い・どもる・早口」という癖が子供の頃からありました。

8割方は昔に比べればかなり改善したと思っていますが、それでもいまだに状況や心理状態で出てきてしまうことがあります。
どうにかしようと足掻き始めたのは、大学に入ってから。
どうにもならない、と死ぬほど落ち込んだのは社会人になってから。
そこから、まあ、周りの優しさやら単なる慣れやら、そんなこんなでまだマシになって来たような気がするのが現在です。

「滑舌が悪い」と「早口」は小学生の時辺りからしばしば言われていました。

舌をどうやって動かせばいいのかわからなかったのも原因のひとつだと今になっては思います。
今も決して滑舌がいい、というわけではありませんが。
あと、早口とも通じるところなのですが伝えたいことや言いたいことが溢れてしまってそれに口がついて来ていなかったというのがあります。
めちゃくちゃたくさんあって、相手の都合を考えたりできるようなお子さまではなかったのでストッパーも吟味するような考えもなくて、そして止まらない。口も回らない。
会話ではなかったんですね。言いたいことや、聞いてほしいことが、たくさんたくさんあったのです。人の話は聞かないのに。
そこら辺はまあ、徐々にコミュニケーション的なものを実生活で学びはじめて、結局まともに治し始めたのはなんと就職してからです。
友達はあまりいないし、たくさんの人とのコミュニケーションを前提とした、いわば最大公約数的な喋り方というのを私は幸は不幸かあまり意識しないで生きてこれてしまったのです。

そうも言ってられなくなったのが、就職してサービス業を生業としてから。
もう、何度も上司から注意されてそこから意識してゆっくり喋るようにしました。
それでも楽しかったり興奮したりすると早口になってしまうので、なんとも情けない話なのですが。
就職してから特に注意されて気をつけるようになったのは、早口です。

滑舌は就活中に「ハキハキ喋る」ができない自分に気づき、大学3年あたりでアナウンサーさんの滑舌トレーニングとかをググりまくって練習しました。
結局ハキハキ喋るのはいまだに苦手なのですが、早口がややゆっくりになったのでそのぶん舌の動きを考える余裕ができたような気がします。
まあ、今さら近くの人に「滑舌悪いかなあ?」とかは聞いて回ったりしていないので結果の程はいまいちわからないのですが。

「どもる」。
これは実は結構深刻になったのが、学生時代から社会人になってしばらくのあたりです。
緊張した状態で人と喋るという経験が圧倒的に少なかったので、それまではあまりどもったりすることがなかったのです。
せいぜい「緊張してたんかな」くらいのことが数年に一度あるかないか、みたいな感じでした。
それが、毎日緊張とプレッシャーの連続で、その中で喋らなければならない状況が続いた時に初めて自分がどもってしまうことに気づきました。
ただでさえ仕事も上手くできなくてベコベコなのに、どもって上手く喋れなくてそれが余計に自己嫌悪を加速させていました。
気にすればするほど、悪化するし。
落ち着いて喋る、なんてこともそうそうできなくて、それが悔しくて腹立たしくて、できない自分がいるので弱音も吐けなくて、余計に落ち込むというどうしようもないループに入っていた時期が数年ありました。

今は多少人前で喋ることが減ったので頻度は減りましたが、それでも緊張したり不安であったりするとすぐにどもります。
おどおどしているのが情けないなあ、格好悪いな、と思います。
幸い今の上司は変わり者で、本当にありがたいことにそういうところを笑い飛ばしてくれるので、多少の気恥ずかしさはありますが「どもっちゃったーー」くらいで15分もあればケロっと回復できます。

ということで、残念ながら別に「私はこうやって克服しました!!」みたいな実のある話は特にありません。
ただ、誰に話すわけじゃないけれどなんとなくどこかに残してみたかっただけです。

ひとつだけ、私にほんの少しだけ、救いがあったことがありました。
これを救いといっていいのか、少し判断に迷うところではありますが、あの瞬間、私は確かにコンプレックスと折り合いをつける手がかりの端っこを掴んだような気がしたのです。
それは、いつも大事な話をする時に私が勝手に緊張してどもって、言葉選びを間違えて、何一つとして上手く伝えることができなかった上司とのことです。
上手くしゃべろうとすればするほど、間違って、混乱して、自滅してしまうことが多かったので私は自分勝手にその上司のことが苦手でした。決して悪い人ではなかったです。
むしろ、たぶん善良に近いタイプの人だったと思います。
女たらしのクズのヤリチンでしたが。まあ、仕事とは無関係です。

いつもは口頭で上司に報告する類いの業務内容があったのですが、ある時珍しく書面での提出が求められました。
私はその業務が好きだったのですが、話し始めるとどんどん本題からそれていってしまい、しかもどもる。
そんな有り様だったので上手く伝えられていませんでした。
それが歯がゆくて、悔しくて、自分に苛立つことが多かったです。
元々好きで興味があった業務だったということも手伝って、私は2時間かけて書面にまとめて提出しました。
むちゃくちゃ楽しかったです。
いつも、詰まってしまう言葉がするするとパソコンのディスプレイに映し出されていく。
本題からそれてしまうけれど、どうしても知っていて欲しいことや、前提条件、データなどは備考欄なりに書けばいい。
そうすれば、私は考えていることを止めることなくすべて書き出せる。
誰からもストップされることなく、自分の知っていること、わかること、調べたこと。
そんなことを書いてまとめるだけでいい。

提出した次の日、上司と顔を合わせて少しどきどきしました。
好き勝手書きすぎただろうか、求められてもいないことまでしてしまったのだろうか、もしかしたらそもそもの議題とずれていたのだろうか。
いつも口頭でやらかしていた失敗をまた、書面でしてしまったのではないか。
自信なんてありませんでした。
ただ、しゃべらなくていいから、いつも口頭で伝えたくても上手に伝えられていないことをそのまま書いただけのものだったから。
出勤した私に気づいた上司が私に手招きしました。怒られるかな、と私はとっさに思いました。
見にくい、量が多い、わかりづらい、求めていない。そんなことを言われるんじゃないかと思いました。

「めっちゃええやん。お前、文章だとまともで頭回るんやな。このまま上に提出するわ」

...なんか色々失礼な前提の上で誉められた気がする。

でも、私の喋り方や話が支離滅裂になってしまう弱点はそういう風にとらえられてしまっても仕方ないとも思っていました。
プライドが全くないというタイプの人間ではないので、それが余計に自己嫌悪に拍車をかけていたこともどこかで気づいていました。
ちゃんと、ちゃんと頭の中にはあるのに。上手く伝えられないことが、それがどこまでも情けなくて腹立たしかったのです。
でも、文章ならばそんなことを気にしなくていい。
推敲するなり、構成を工夫するなりすれば、自分の頭の中で渦巻いている言葉をちゃんと表せる。
使い勝手の悪い声帯と舌を使わなくてもいい。
話しながら相手の顔色をうかがって、勝手にパンクするこの出来損ないの脳みそを嘆かなくてもいい。
それでも、きっと伝えられなくて落ち込んで、自己嫌悪に背中を焼かれて。
そんな風になる機会をゼロにはできないだろうけれど、今よりもずっと減らせる。
私はまともでいられる。

それは紛れもなく、私にとって、救いでした。

子供の時から、ずっと思ったことをパソコンに打ち込んでいました。
誰にも言えないことや空想の世界、どうにもならない愚痴や、希望。
喋る相手がいなかったから、伝えられる人がいなかったから、会話が上手にできなかったから。
私のこの10本の指は何よりも饒舌です。
喋るよりもずっと早くて、そして、滑らかです。

思ったことを、きちんと言葉にする手段はひとつではない。

私は結局子供の時からなにも変わることはできなかったと思うと少し苦笑いしたくなりますが、子供の時から舌よりも滑らかだった10本の指が私の救いになりました。

私は結局それもきっかけになって、部署異動しました。
もうちょっとこの饒舌な10本の指に頼ってみようと思ったのです。
もう少しくらい自分の好きなことに正直になってみようと思ったのです。

舌や声帯よりも、頼りになって、そして良くも悪くも正直な、私の指。

正直なところやっぱり、喋ることに関しては克服できていません。
悪く言えば「逃げているだけ」でもあるのかも知れません。
それでもいいです。

方法はひとつじゃないってことに気づくことの方がずっと大事なことだったりしないだろうか。

楽天家なのでちょっとそんなことを都合よく考えてみたりします。

今回は、昨日からどはまりしているヨルシカの「逃亡」です。
全国の夜の写真で地方ごとのPV。とても豪華です。
私は中国地方のど田舎出身なのですが、思いの外地元がたくさん映っていてとてもテンションあがりました。

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