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休日、装いについてのあれやこれ

夕暮れが終わり、早くも薄暗闇に沈み始めた交差点を眺めながらハイボールを飲む。様々な格好をした人が通りすぎて、交わって、そして去っていく。
場所柄なのか、若い子が多い。
古着を着ている人も多い。

すっかりここも馴染みの店になった。
初めて入った時の、胸の少し下あたりがひっくり返るような、そんな緊張感はもうずいぶんと前に忘れてしまった。
あの少し怖いような、それでいて少し浮ついた気持ちも手放すには惜しい気がする。
それでも、この居心地の良さも手放し難い。
馴染みの店、というのにお邪魔するといつもそんな風な淡い寂しさと穏やかさに襲われる。
マスターが灰皿を出すのも待ちきれず、一言だけ断りをいれて重ねられた灰皿の一番上に手を伸ばす。
そういう少しばかり自分勝手なことを許してくれるマスターのゆるさと大雑把さに救われている。

今日はいつもよりもめかし込んでいた。
元々、友達が働いている表参道のお店に遊びに行く予定だった。
私が閉店時間を間違えて覚えてしまって、それに気づいたのが下北沢のひとつ前の駅。
慌てて友達に連絡をいれて下北沢駅で降りた。
なんとなく、帰りたくなかった。
せっかく化粧をして、髪もセットして、そしてとびきりお気に入りの服を着たのに。すごすごと何もせずに家に帰るのがなんとなく、なんとなく癪に触った。

洋服、というのは。
ファッションというのは。
装いというのは。
いったい誰のためのものなのだろう。
他人のため、自分のため、誰かのため。
何か「正解」というものがあるのだろうか。

時おりそんなことを考える。

私はどうだろう。
「正解」を求めているのか。
誰かのために着飾ることは楽しい。
でも、自分のために着飾るのもやはり楽しい。

「TPOをわきまえた格好」
「相手に恥をかかせない」
「自己表現」
「セルフブランディング」
「気持ちを盛り上げる」
「自分をよく見せる」
なんなら、「着れて不都合さえなければなんでもいい」みたいな人もたくさんいるだろう。
それだって、ある種のファッションに対する要求だ。
そういう気分の日ってきっと誰だって一度や二度くらい心当たりはあるだろう。
どんなに洋服やファッションが好きな人にも。

今日は、ウエストがきゅっと細くなったロングスカートのようなシルエットでコーデュロイのパンツスカート、袖から胸元に向かって一部がレースになったブラックのブラウス。
どちらの服にも猫背は似合わない。
クラシカルで括れたウエストラインと柔らかで肩のラインが映えるブラウスには、しゃんと伸ばした首筋とゆるやかなS字カーブを描く背中から腰のラインが映える。
いつもよりも気持ち肩の位置を下げて、背筋を伸ばす。
この大好きな服がより素敵に見えますように。
揺れるたびにきらきらと光る、ゴールドチェーンのピアスが時おり首筋を撫でるのでくすぐったい。
メイクはやや切れ長なラインを意識したアイラインとメタリックグレーのグラデーション。
SHU UEMURAのアイシャドウは薄く塗っても綺麗に発色して伸びも良いのでお気に入りだ。
気がつくとカラーメイクに使うアイテムはどれもSHU UEMURAになっていた。
真っ赤なリップや、細かいラメが混ざったオリーブ色のアイシャドウ。
どれもお気に入りで、特別めかし込むと決めた日はほとんど無意識に手に取っている。
それに加えて今日はマスカラもしっかり。
少しまつげが重くて視界の上の方に被さるまつげは正直鬱陶しいけど、いつもよりもなんとなく「めかし込んでいる」という気分になれる。
髪もいつもよりも時間をかけて、ヘアオイルとムースではっきりとしたウェーブヘアにした。

今日は。
私は果たして「誰かのためのファッション」なのか「私のためのファッション」なのか。
そしてそのどちらかに「正解」はあるのだろうか。
なんとも微妙なラインだ。
お洒落をしようと思った動機は間違いなく「友達に会うから」。
でも、この格好は「自分が好きで自分が魅力的に見えるから」。
ちょうど中間地点か。
いつもこの線引きで迷う。

似合う服、似合わない服、好きな服、苦手な服。
状況に合わせた服、相手を思って選ぶ服。

似合う服がそのまま好きな服であるひともいるけれど、そうでないひともいる。
それこそ、苦手な服が似合う服で、好きな服は似合わない服、ということもそれなりに多い。
好きな服がなかなかTPOとして場所を選ぶ服なひと。
相手を思い過ぎて好きでもない服を着るひと。

それに悩む人もいるし、そんなことは悩むほどの価値もない、と思う人だっている。
洋服というのは、ありとあらゆる人が日常的に身に付けているのに、その割りに妙に個々の価値観やら経験に投げっぱなしにされているものな気もする。
ずっとここ数年、ことあるごとに考えるけれど中々結論はでない。

すっかり夜になって、私はバーを出た。
親切なバーのマスターは店の外ぎりぎりの階段手前まで見送ってくれる。
螺旋階段をすっかり降り切ってしまうまで店の入り口に立っているのをなんとなく気配と物音で感じるとくすぐったい気持ちになる。
ゆるやかで古着屋や飲食店がひしめく坂道をゆっくりと歩く。
たくさんのひとが私の横を通りすぎていった。

パンクな格好をしたカップルが腕を組んで飲み屋の前でメニューをみている。
古着っぽい革のオーバージャケットを着た男の子が古着屋の軒先に出ているネルシャツを物色する。その隣で派手な色のパーカーに白いナイロンのオーバーパンツを履いた男の子がつまらなそうに欠伸を噛み殺す。
ジャストサイズでコンクリート色の作業着を着たおじさん2人組が富士そばののれんを潜って店内へと消えていくのを私は横目で追いかけた。
駅前の喫煙所ではフレアパンツにウルフヘアの若い男の子が、坊主頭に全身Y’Sの服で固めた男の子と楽しげに笑いながらタバコを吸っていた。
フォーク系なヒッピーとモード系スキンズ。
世界観が迷子になりそうな、混乱っぷりがなんとなく今っぽい。

少しほてった頬に冷たい風が気持ちいい。

装い。
誰のための装いなのだろうか。
なんのためにめかし込むのだろうか。
なぜ、人は服を選ぶのか。なぜ、服は人を選ぶのか。
なぜ。なぜ。なぜ。

とりあえず。
私は店のガラスに反射した自分のぼんやりとした虚像を見遣った。
まっすぐに伸びた背中。綺麗に広がるたっぷりとしたボトムスシルエット。
足元はミニマルかつシンプルなスクエアトゥのヒールブーツで足元が野暮ったくなりすぎないように調節した。

うん。今日の私はかわいい。
いつもこんな格好をするわけではないけれど。

本当はだぼだぼのデニムだって、オーバーサイズなパーカーだって、モードなカッティングのジャケットだって、メンズライクでだらしない雰囲気さえあるデニムジャケットだって好きだ。ビリビリに破れたダメージジーンズだって履く。
本当はダック生地のディッキーズのパンツも結構ほしい。
ファッションなんて、洋服なんて、見た目なんて、くだらない。
やってられない、どうでもいい、と思う日だってある。

それでも、今日はこれで「正解」だった。
今日に関していえば、洋服の正解は「私が幸せかどうか」なのだったのだろう。

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