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【ハレとケの反転】未来に悩んだから過去を見つめ直したら今を生きるだけだった

Vol.5【ワタシノ愛ノセカイ
 続編①/③「ハレとケの反転」

ハレとケが入れ替わった世界で私たちは生きているらしい。

今の社会はなんで閉塞感漂うのか。ぼんやり懐疑心を抱きながら過ごしていたら、いつのまにか答にたどり着いた。

私たちの世界は非日常と日常の反転が起きているみたいだ。今の日常は人としては非日常の世界観となる。そら生きにくい。

知るほどに背が伸びるとすれば、知れば知るほど過去も未来も遠くまで眺められるはず。未来は不明瞭だけど、過去をほじくり返すとなんとなく、自分の今くらいは想像できる気がするんだ。

反転する世界への転機は約1万年前、狩猟採集から農耕ストックに人の営みがシフトチェンジしたころ。人類にとっては、狩猟採集の生活が日常であり、農耕ストックの生活が非日常である。

農耕の定住により社会形成がはじまり「法」ができた。人間の生きる力を奪う魔力が法だ。ルールに従えば考えなくても生きていけるから。

世界中で人間の思考停止と感情劣化が粛々とスタートする。

狩猟採集でウロウロしていた私たちにとって、法の中で定住する日常は異常な生活となる。だから、ハレとケを区別する「祭り」があった。人としての本来の感覚や感情を取り戻すための時間だ。

今や祭りはなくなって、人は人としての生き方を忘れてしまった。異常な日常生活から解放されないので、人は不全感をどこかで覚える。

そもそも本来の祭りを知らない世代は、ハレとケの区別すら認識できない。不全感の理由すらわからないから、身体の奥底で心の解放を求める人としての自分の声に気づけなくなる。恐怖しかない。

人として崩壊してゆく無意識下の恐怖が今の閉塞感だろう。

3000年前の大規模定住化からは文字言葉が誕生し、法によるシステム統治が加速してゆく。言葉や統治についての思考整理はいつかまたにして。

2018年くらいから、システムエラーによる人の生きづらさについて、私は今の世界をぼんやり眺めていた。だけどそもそものシステムが反転した世界に私たちは生きているらしい。閉塞感を歴史からなんとなく知ったとき、私は絶望を通り越して納得しかなかった。

人が創り上げた人として生きにくい世界で、人としてどうにか生きやすい世界を、私たちは魂レベルで人として懸命に模索しているんだ。

知るほどに知らないが溢れだして、身を置く世界が混沌とする。カオスに無気力となったとき、私たちは反転した今の世界に呑み込まれるんだろう。同調とドラッグによる多幸感は、ある意味幸せかもしれないが、私は人として生涯抗ってやる。

ここ数年、絶望を探し歩くような人生の意味が見えてきた。

絶望の向こうにあるのは「希望」だけなんだ。

共鳴し合える仲間を探そう。
愛の言葉を交わし合いたい。

希望に満ち溢れる20代に荒野で見上げたサザンクロス。今も同じく輝いて見えるかな。

▼続編②「言葉の変異」

続編③「婚姻の空洞化」


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