父を抱きしめる
コロナの到来により、ハグの文化は、世界中で当面の間お預けだが、近頃は日本でも、再会や別れなど様々な場で、友人とハグすることは珍しくない。
8年程前、私はふと
「両親とハグできるだろうか」
と、思った。
当時両親は、あちこちが歳相応に錆びついてはいるものの、おかげ様で、まぁなんとか普通に元気に暮らしています、という状態だった。それでも、70代後半という年齢を思えば、そう遠くはない未来に必ず別れはやってくる。その時私は、ベッドの上の遺体となった両親に抱きついて泣くのだろうか。
「それが、最初で最後の両親とのハグだなんて、なんだかイヤだなぁ」
と、思った。
両親は、揃って昭和一桁生まれのシャイな性格である。とりわけ父は、著しいコミュニケーション下手で、家族間のスキンシップは、今時の若い親子に比べると極端に少ない。それどころか、恐らく父とは幼い頃からスキンシップはほとんどない。不器用な私たちにとって、家族間で愛の籠った感情を素直に伝えあうことはなかなか難しい。ましてや、ハグし合うなどという文化は、松本家には存在しない。
私はまず、最初の標的を定めた。
当時私は、信州に住む家族と離れて関西に暮らしていて、年に数回帰省した。休暇を終えて帰る間際、玄関先で見送る母に、
「これが今生の別れになるかもしれないでしょ?」
と、ブラックユーモアを飛ばしながら、初めてハグした。母はちょっと戸惑いながらクスクスと笑い、うんうんと頷いてヘタクソなハグを返してくれた。
それ以後、帰省すると帰り際に母とハグし合った。2度目からは、母はしっかりと私を抱きしめた。なんでもない日常を共に過ごした日々が、いずれかけがえのない思い出になると二人ともわかっていたから。
残るターゲットは父一人。
困難を極める標的である。
私はひたすらチャンスを狙いながら、数年が過ぎた。
父の80歳の誕生日。私は帰省し、帰る前に庭先にいた父に「帰るね」と声をかけた。そして勇気を振り絞って、「お父さん、長生きしてね~」と、ちょっとふざけた調子で軽~くハグした。すっかりハグに慣れた母は、横でクスクスと笑って見ていたが、突然ハグされてビックリしすぎた父は、大の字に突っ立ったまま、まるで丸太棒のようにカチンコチンになった。私は、心の中でガッツポーズをきめた。
その夜、父は日記にこう記した。
「紬生が突然抱きついてきた。そのため、感動が残る。今までこんなことはなかったのに」
以後、私は帰省する度に玄関先で母を、次に父をハグして関西に戻った。だんだん慣れてきた父は、しまいには照れ隠しに、ズボンのポケットに手をいれたまま私にハグされた。
それから数年後、母は1人旅立っていった。
私は今、
要介護となった認知症の父を
毎日心の中で
抱きしめている。
(※トップ画像は、初めてハグした日の父の日記です^^)
サポートしていただいたお金は、認知症の父との暮らしを楽しみながら、執筆活動を続けていくのに使わせていただきます。