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「住み開き」が好きな理由

「住み開き」という生活スタイル

みなさんは「住み開き」という言葉をご存知でしょうか。
「住み開き」とは、「住む」家を「開く」、つまり住宅の一部を開放するという意味の造語で、プライベートなスペースを一部開放し、公共化することです。アサダワタルさんという方が名付け親で、書籍も発売されています。

私が「住み開き」というワードをしったのはつい1-2年前のこと。この言葉と出会った時、「そう、これ!!!」と、とてもうれしくなりました。
(それまで”へんなやつ”でしかなかった私の過去も、”住み開き”という名前を与えてもらって意味が見いだせた気分で、とても幸せです笑)

「住み開き」が好きになるまで

①途上国支援への憧れと現実

さかのぼること、高校生時代。
私は「途上国支援がしたい!」と夢見て、国境なき医師団に入るのだと、医療関係の勉強をしていました。
大学生になって、就職活動をする段階になって「途上国、途上国って言ってるわりに、行ったことないのもなあ」と思い、就活解禁の3月、私は東南アジアへ1か月の1人旅にでかけました。
「途上国の人たちを幸せにしたい!」そんな想いで海外に行って、目の当たりにしたのは、まぶしいくらいの笑顔と、言語の壁を越えた優しさでした。

たまたまバスで隣に座った男の子は、言葉が通じなくても、ジェスチャーで”まぶしかったらカーテン閉めれるよ!” ”これ食べる?” ”眠たかったら椅子を後ろに倒せるよ!”と、いっぱい親切にしてくれました。

日本だったらどうだろう?
バスの中も、電車の中も、隣の人のことなんてしらんぷり。
無言で携帯を見つめる人たち。

公園では、通りすがりの台車をおしていた男の人が、台車に興味をもった子どもを台車にのせてあげて遊んでいました。楽しそうに笑う子どもをほほえましく見守るお母さん。

日本だったらどうだろう?
知らない人の台車にのって遊ぶなんて危険?・・・

海外に行ってみて、実際に現地の人々の笑顔とやさしさに触れてみて、私はなんて傲慢な、上から目線の考えだったんだろう、と感じました。たしかに日本のほうが、便利かもしれない、発展しているかもしれない。
でも日本のほうがむしろ、得ると同時に失っていっているものが多いように感じ、「海外の人のために!」なんて言う前に、”バスでたまたま隣に座った人”のためにできることがあるんじゃないの、とつっこまれた気持ちで帰国しました。

②帰国してからの生活

帰国した翌日だった気がしますが、カンボジアで出会った女の子から連絡が入り、「いま日本一周してる友達がいて、家がなくて困ってるみたいなんだけど、泊めてあげてくれない?」とのこと。
カンボジアで2日間旅をともにした女の子。その女の子の友達。もはや、他人に近い。(笑)
でも、海外で学びを得て帰ってきた当時の私は、”たまたま家がなくて困ってる人”がいるんだもん、泊めてあげたらいいじゃないか!と思い、「いいよ!」と返事をしました。

すると、来たのは男の子3人。
多い。しかも男の子か。(笑)

当時1ルームの小さいマンションで暮らしていたので、泊めてあげるといっても床に雑魚寝が限界でしたが、せっかく日本一周の旅の中の1日だから、めいいっぱい楽しんでもらおう!と思い、観光スポットに連れていったり食べ歩きをしたり買い出しにいったりしていると、「女将やん(笑)」と言われ、当時のあだ名は女将になりました。
1泊かと思いきや、「もう1泊いい?笑」と、結局4泊くらいして旅立っていった記憶です。

なんだかちょっと寂しい気持ちになりながらお別れを告げると、その3人がTwitterで「無料ゲストハウス!最高!」みたいなつぶやきをしてくれていて、「またきてね~」とやりとりをしていました。

するとそこから、「Twitterを見ました。無料ゲストハウスと聞いたのですが、泊めてもらえますか?」と次々と連絡が入るようになり、(笑)
ゲストハウスというか、なんでもない1ルームマンションですが…と思いながら、その年は30人程度(みなさん初めまして笑)が遊びにきてくれました。

時には、私がバイトに行って家を離れている間に、友達が友達をさらに招き入れていて、帰ると知らない人が増えていて、「あ、こんばんは、家主です・・!」と、どっちが訪問客なのかわからないような日もありました。

”好き”に気づいた日

そんなある日。
いつものように私の家には旅人や、旅人の友達、1回来てからリピートしてくれている人が集まっていて、賑やかな夜を過ごしていた時、ふとその光景を客観視し、「あ、この空間好き‥!」と心が動いた瞬間がありました。

ギターが得意な子が、BGMを奏でてくれている。
歌を歌うのが好きな子が、心地よい歌声を響かせてくれている。
料理が得意な子が、大きなお鍋でみんなの分のビーフシチューを作ってくれている。
カメラが得意な子が、そんなみんなの笑顔をカメラにおさめている。

とてもいい。
よく考えれば、みんな出身も、大学も、学部も、何もかも違うのに。
誰に強制されるでもなく、こうして自然と集まって、誰も無理することなく、お互いの得意をもちよって、幸せな時間が流れる場所。
私はギターもひけないし、声も低いし、料理も得意じゃないし、カメラも買ったばかりで、何も持ち合わせていなかったけれど、私が提供したこの小さい空間があることで、この幸せが生まれることに、とても幸せに感じた瞬間でした。

何の強制も一切なくて、
ここにいたいからいる。というだけの場所。

無理する必要も、我慢する必要もなくて、
「自分が好きなこと」「自分が得意なこと」をもちよることで、笑顔がうまれる場所。

大学卒業と同時にその無料ゲストハウスは終わりを告げましたが、あの時の原体験が、「住み開きがしたい」という今の想いに繋がっています。

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