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【19】恋を知らない小鳥~幼馴染の愛に包まれて~

第19話 遠慮するのは、もうやめる

 程よく温まった体に、冷たいお茶を流し込む。それから、詩陽はほうっと息を吐いた。

「お風呂、最高……」

 一人の時も入浴時間は大切にしていたが、詩陽の自宅よりも広い浴室のお蔭か、伶弥のマンションで入る湯船の方が疲れは取れる気がする。

 カフェを出た後、二人は昼食をとると、ウィンドウショッピングをして、公園を散策し、夕飯の材料を仕入れて帰ってきた。夕飯は今年初の鍋だった。

 きのこたっぷりの鍋はヘルシーで、出汁のきいた風味は詩陽の体と心を満たしてくれた。

 食後はのんびりとバラエティ番組を観ながら、梨を食べ、時間に追われることなく入浴を終えた。なんて最高な休日だろうか。

「二人だからかな」

 詩陽はソファーに座り、ぼんやりと呟いた。一人で過ごす休日は気楽で、どれだけだらけていてもいいから、嫌いではなかった。

 だが、二人で過ごす休日の方が休まって、心も体も充電できる気がするから、とても不思議だ。

 買い物はそれほど服に興味がないから、頻繁には行かなかったし、行っても疲れるだけだったのに、伶弥となら楽しいと思える。疲れはするが、嫌な疲れではなく、充実感が得られる。

「今までだって、伶弥と出かけることはあったけど」

 これまでだって、二人で過ごすのは楽しいと思っていたが、最近、何かが変わってきた気がする。それが何であるか、明確な答えを見つけられないが、自分の中に起こった変化が原因であることは薄々気付いている。

「なあに? 独り言?」

 背後からのんびりとした伶弥の声が聞こえ、詩陽は膝を抱えて座ったまま、ことんとソファーの背もたれに頭を置いた。そのまま見上げると、伶弥が近くで髪を拭きながら、口元を緩めている姿が目に入った。

「モデルのオフショット」
「え?」
「何でもない」

 最近、すぐに思考が声になってしまう。気が緩みすぎかもしれない。仕事でキリッとしている伶弥もかっこいいが、こうして気を抜いた伶弥も違ったかっこよさがある。どちらも知っているなんて、もしかしたら贅沢なのかもしれない。

「眠い?」

 伶弥が隣に座り、親指で詩陽の頬をスッと撫でる。頬を覆われて、無意識に目を閉じ、すり寄っていた。

「なかなか懐かない小鳥が甘えた貴重な瞬間みたいだわ」

 クスクスと笑う伶弥を、詩陽は上目遣いで睨んだ。

「甘えてないし」
「はいはい。ほら、眠くなってきたなら、先に寝る?」
「ううん。待ってる」
「じゃあ、急いで髪を乾かしてくるわ」

 伶弥は詩陽の頬にキスをすると、詩陽に笑顔を見せて洗面所へ向かった。

 詩陽はキスされた場所を押さえて、ソファーに転がる。キスが当たり前になってきている。伶弥にとってだけでなく、詩陽にとっても。

「嫌じゃない時は、受け入れたらいいのかな。拒否するのは嫌だけど、こんな風に受け入れていていいのかな」

 恋愛に疎いせいで、交わし方も受け入れ方も、さっぱりわからない。誰かに相談した方が良いかもしれない。そう思ったものの、恋愛、それもキスのことを誰かに話すことを想像して、それだけで心臓が痛くなってきてしまった。

「みんな、どうして恋バナなんてできるの⁉」

 恥ずかしがることなく、楽しそうに話している女子を思い出し、詩陽はソファーの上でジタバタと暴れる。

 それにしても、入浴後は心地よい気怠さがある。考えることを放棄したくなった詩陽は、寝る前の瞑想だと言い訳をしながら、少しだけのつもりで目を閉じた。



揺れているのは、体か脳か。

 詩陽ははっきりしない意識で体を動かし、見つけた枕に抱き着いた。温かくて、少し硬い。詩陽は頬を押し付け、いい場所を見つけるためにぐりぐりと擦ってみる。

「……試練なのか?」

 近くから聞こえた低い囁き声に、詩陽の意識がふわりと浮上した。視界よりも先に意識に割り込んできたのは、心地良いシャボンの香り。

「……ん」
「可愛くて死ぬ」
「伶ちゃん?」
「やっぱり殺す気だな」

 その言葉で、詩陽の意識はようやく完全に覚醒した。目の前にあるのはモスグリーン色をしたパジャマ。少し視線を上げれば、綺麗な鎖骨とすっきりしたフェイスラインが現れる。

「起きた?」
「な、何で……⁉」

 詩陽の顔を覗き込む伶弥と目が合って、零れんばかりに目を見開く。

 腕が伶弥の体に巻き付いていることに気付き、慌てて引っ込めようとした。それをわかっていたかのように、伶弥は詩陽の体を抱き寄せ、腰を密着させる。隙間のなくなった体同士に、腕を離しても意味がないことを悟った。

「距離を無くそうと思って」
「物理的に⁉」
「何もかもの距離。遠慮するのはやめる。そうしないと掻っ攫われそうだから」

 伶弥はわざとらしく溜息を吐き、こつんと額を合わせる。長い睫毛が触れてしまいそうなほどの距離に、詩陽は体を硬くした。

「何のことを言ってるの?」
「わかっていないから、余計に危険」
「じゃあ、教えてくれたら、気を付ける」

 真っ赤な顔をして、首を振る詩陽の額に唇が押し当てられた。

「詩陽が気を付けて、解決するといいんだけど……」

 そう言って、伶弥は苦笑した。その様子に、詩陽は自分では手に負えないことだと受け入れざるを得なかった。詩陽よりも詩陽のことをよく知る人が、難しいというのだから。

「ところで、今日は覚悟してって言ったこと、忘れた?」

 そういえば、何か言っていた気がするが、何を覚悟すればいいのかわからなくて、すっかり忘れていた。詩陽はどう返事をするのが正解かわからず、ただ首を振る。

 すると、伶弥は眉を下げて笑い、詩陽の肩に顔を埋めて囁いた。

「起きなかったら、我慢するつもりだったんだけど……こうして触れるのは怖い?」
「前も言ったけど、怖くない。ただ恥ずかしいから、やめて欲しいだけ」
「嫌じゃない?」
「嫌、でもない」

 嫌じゃないから困っている。伶弥以外の男性が怖くて、そのせいで恋愛に対しても、あまりいいイメージがない。

 それなのに、キスなんて恋愛のど真ん中のものが、伶弥とは怖いとも嫌だと思わないから、最近、自分がわからなくなる。

「じゃあ、もっと触れていい?」

 先程から、首筋に伶弥の吐息がかかって熱い。そこに意識が集中しそうになる度、大きな手が背中を宥めるように滑って、胸が痛いくらいに締め付けられる。

「も、もっと……?」
「そう。もっと、もっと。詩陽を独り占めしたい。男が怖いなら、オネエのままでいるから。詩陽の全部が欲しい」

 伶弥は少しだけ顔を離し、ジッと見つめてきた。真っ直ぐな瞳がかつてない程、詩陽に懇願している。

 甘えている時とも、ふざけている時とも、優しくしてくれている時とも違う。詩陽の本能を求めて、切に願っているのだ。

「詩陽に、私の全部をあげるから。とっくに詩陽のものだけど……本当の意味で、全部あげる」
「伶弥……」

 詩陽だって、全く知識がないわけではない。始めは何を求めているのかわからなかったが、流石にここまで来ると、伶弥の求めているものを理解した。

「私のこと、いらない?」

 不意に、伶弥の目が泣きそうに歪み、詩陽は我に返った。

「欲しい」

 反射的に出てきた言葉は、とてもシンプルでストレートなものだった。目を大きくした伶弥よりも、詩陽の方が驚き、呼吸が止まる。

「嬉しい」

 目元を赤らめた伶弥は、ホッとした表情を見せ、詩陽の柔らかい唇に優しいキスをした。

 すぐに離れた伶弥の目を見て、詩陽は僅かに後悔した。見たことがない程の視線の熱さに、全身を燃やされ、溶けてしまうように思えた。

「まだ余裕があるのね」

 伶弥はそう言って、不敵な笑みを浮かべる。

 詩陽がゴクッと唾を飲み込んだのを合図に、キスの雨が降り始めた。覆いかぶさるように体勢を変えた伶弥の大きな手が詩陽の頬を挟み、完全に逃げ場を奪う。

 少しの間、啄むような軽いキスが続いたが、詩陽が吐息を零した次の瞬間に襲ってきたキスは、詩陽の全てを食い尽くすような荒々しいものだった。

 下唇を食まれ、歯列を舌が這う。初めての感触に、詩陽は伶弥の袖を握った。そうしないと、どこか知らない場所へ攫われ、二度と戻ってくることができなくなりそうだったから。

 強引に割り込んできた熱い舌が咥内を弄《まさぐ》り、そこに存在し得る全ての官能のスイッチを押していく。体の力も思考も何もかもが伶弥に奪われていく。

 キスの合間に、息の切れた詩陽は覆いかぶさっている伶弥の首に腕を回した。詩陽は理屈じゃなく願うことがある。

「男の伶弥で、いいよ」

 もしオネエ言葉が演技なのなら、素のままの伶弥になってもらいたい。伶弥なら男を見せられても怖くない。

 むしろドキドキして、体が熱くなるから、きっと詩陽はそんな伶弥を求めているのだろう。

「我慢、しなくていい。遠慮も、やめるんでしょ?」

 詩陽は荒れている呼吸の合間に、必死に言葉を紡ぐ。詩陽のことばかり優先してきた伶弥が我慢をやめて、初めて欲求をぶつけてきた。

 食べられてしまいそうだが、もしそうであっても、伶弥のすることなら恐怖を感じない。そんな根拠のない自信があった。

「詩陽、好きだ。ずっと、お前だけを見てきた」
「……うん、知ってる」

 伶弥はいつも詩陽に愛情を向けてくれていた。恋愛がわからない詩陽でも、そのくらいはなんとなく気付いていた。

 ただ、本気の度合いが計りかねていた。

 だから、こうして真剣な表情で真っ直ぐに見つめられ、仮面を取り払った伶弥から聞いた言葉が、ようやく確信を与えてくれた。

「いつか……」

 伶弥の呟きは途中で止まったが、詩陽はそれを聞き返すことはできなかった。

 再び、熱い舌が咥内で暴れ始める。それはまるで生き物のように詩陽の舌に絡まり、息つく暇もない。詩陽はしがみつくように、伶弥の背中に手を回した。

 キスの荒々しさに反し、伶弥の大きな手が髪を優しく撫でる。体の中で熾火が激しく燃え上がり、凄まじい勢いで全身を焦がしていく。

 必死に理性を手繰り寄せていたが、舌を吸われた瞬間、その勢いに負けた。トロンとしている目元に火照った伶弥の唇が触れる。

「その顔、ずっと見たかった」
「は、激し……」
「まだ始まってもいない。まずは全身にキスしてやるよ」

 伶弥が舌なめずりをしたのを見て、詩陽はじわじわと不穏さを感じ取り、慌てて伶弥の頬を両手で挟んだ。

「まま、待って」
「全部、俺のものにするって言っただろ。次はここだ」

 そう言うと、伶弥は詩陽の手をすり抜けて、白い首筋に舌を這わせた。その感覚に全身が震える。

 気付けば、詩陽の両手は伶弥の手に捕まり、顔の横に縫い留められていた。何度もキスをし、舐め上げ、吸い付く。チリッと軽い痛みを感じ、詩陽は思わず声を漏らした。

「もう、やだぁ」
「可愛すぎて、壊すかも」

 いつもより低い声が危険を告げる。抗議しようとしたが、伶弥の手が詩陽の体を滑り降りて、腰を撫でたことに意識を持っていかれた。すぐに深いキスが始まって、詩陽の思考が霧散する。

「素肌に触れたら、詩陽、蕩けそう。ほら、俺の手がわかるか?」

 詩陽の返事は期待していなかったのだろう。伶弥の熱い手がパジャマを潜り抜け、くびれに触れた。

「や、熱い」
「お前が俺を熱くしてるんだよ。責任取れよ」

 いつも女性のように綺麗だと思っていた手は、意外とゴツゴツして、やはり伶弥は男性なのだと突き付けてくる。

 ゆっくり滑る手は擽ったいはずなのに、今はゾクゾクとした感覚が何度も背筋を走っていく。

「俺の独占欲を甘く見すぎなんだよ」

 さっきから知らない伶弥ばかり見せつけられる。優しくて、穏やかで、かっこよさと可愛さを併せ持つ、最高の紳士時々オネエだと思っていたのに、こんなドSなところがあったなんて。

「余計なことを考える隙を与えるなんて、俺もまだまだだな」

 全然そんなことないから、と叫びたいのに口が思うように動かない。

 余裕なんて、宇宙のゴミと化したし、余計なことも考えていない。

「伶弥の、ことしか、考えてないっ」
「っ、ああ、くそ……! 余裕がないのは、俺か」

 伶弥が顔を背けて呟いたが、詩陽もしっかり聞いてしまった。いつも余裕があって、泰然としていて、どんな時でも取り乱さない伶弥が余裕を無くしているらしい。そうさせているのは、もちろん詩陽だ。

「嬉しい。伶弥、私でいっぱい?」
「ああ、そうだよ。もうずっと、詩陽でいっぱいだよ! だから、これからお前の中も、俺でいっぱいにしてやるからな!」

 最後に言われた言葉が聞き取れず、詩陽は首を傾げたが、伶弥の鋭い視線に意識を奪われた。

「かっこいい」
「綺麗だ」

 思わず漏れた独り言に、伶弥の言葉が重なった。その瞬間、ふっと柔らかい雰囲気に包まれ、二人は見つめ合って微笑んだ。

「詩陽は、もっと綺麗になる」

 伶弥がそう言うのなら、もっと綺麗になれるのかもしれない。自分を綺麗だと思ったことはないが、伶弥の言うことは絶対だ。

「伶弥が、綺麗にしてくれるんでしょ?」

 詩陽の言葉に大きく目を見開いた伶弥だったが、すぐに破顔し、汗ばんだ詩陽の額にキスした。

「無敵にしてやる」


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