【短編小説】私の日①
────ポン、ピンポン
「うっ、いってぇ」
頭にガンと響く玄関のチャイムに起こされて、枕元に置いてあった携帯で時間を見る。
「十時か」
土曜日の朝。
昨夜は飲み過ぎたらしい。小さいはずのチャイムの音すら頭に響くとは、少々許容量を超えすぎた。
『ピンポン』
「はいはい」
温かくて心地いい布団から身体を起こすと、その途端、体温が急速に奪われていく。ぶるりと身体を震わせ、パジャマの上からその辺に置きっぱなしになっていたパーカーを羽織って、玄関へ向かった。
髪を撫でつけて、寝癖が酷くないか確かめるが、どうやら爆発まではしていないらしい。まあ、多少乱れていたとしても、男の寝癖なんてあまり気にされないだろう。
そんなことをしている間にも、また一度チャイムが鳴らされる。
「はい、どちら様ですか」
なかなかしつこいな、と思いながらも、玄関を開けると、ひゅっと冷たい空気が入り込んできた。
「おはよう」
玄関の向こうには、パッと見ただけでご機嫌なことが分かる、笑顔の雪乃が立っていた。
「……雪乃」
「寝坊助、やっと起きたね!」
そう言いながら、雪乃は返事の出来ない俺など気にせず、玄関の中へ勝手に入ってきた。
「なんで……」
「今日は私の日やよ。外、見て」
ぼうっとしている俺の言葉など無視するかのように、雪乃は窓の方を指さす。
ワンルームマンションだから、玄関脇にあるドアから部屋の窓が見えるのだが、当然起きたばかりだから、未だカーテンが閉められたままで、外は見えない。
脚が床に縫い付けられたように動かすことが出来ないでいると、先に部屋に入っていた雪乃が顔を出して、くすりと笑った。
「どうせ二日酔いなんやろ。目、覚めるから、窓開けて、景色を見てみたら。冷えた空気が頭スッキリさせてくれるんやない?」
上京しても抜けることのなかった雪乃の方言が、耳にしっとりと届き、麻痺していた脳がのろのろと機能し始めた。
「二日酔いってよく分かったな」
「いつからの仲やと思っとるの」
再び部屋の中へ入っていった雪乃を追いかけ、そのままカーテンを開ける。外はチラチラと雪が降っていて、この寒さも納得の景色が広がっていた。
まだ積もってはいない。小さめの雪が景色を彩るためだけに降っているようで、見慣れた風景が不思議と清らかなものへと変貌を遂げる。
「出かけよ。早う準備して」
その声に振り向くと、ちゃっかりソファーに腰を下ろした雪乃が、相変わらずニコニコと機嫌良さそうに笑っている。
「分かった。ちょっと待ってろよ」
マイペースな雪乃に苦笑しつつ、洗面所へ向かう。言い出したら絶対に折れないことを知っているから、例え俺が状況に着いていけなくても、頭が痛くても、従うしか道はない。
それに、確かに今日は雪乃の日だ。
きゅっと上がった口角に、両頬にできる笑窪。肩の少し下で揺れる黒髪に光が反射して、天辺には天使の輪が出来ている。
あの髪が艶々で触り心地がいいことを、俺はよく知っている。その感触が心地よくて、癖のように撫でていたことを思い出すと、とくんと心臓が反応した。
首を竦めて、照れながら笑う雪乃が可愛いのだ。
それから顔を洗って、髭を剃り、襟足の寝癖を直して、適当にワックスで髪型を作り、セーターとジーパンに着替えた。
「出来たぞ」
「相変わらず準備が早くて感心するわ。じゃあ、時間が勿体無いから出発!」
ぴょんっと軽く飛んでソファーから立ち上がった雪乃が、スキップでもしそうな勢いで玄関へと向かう。昔から変わらない雪乃の様子に、笑いながら着いて行った。
「どっか行きたいところがあるのか?」
一本の傘に入って並んで歩きながら、隣を歩く雪乃を見る。雪乃は少しだけこちらを見て、すぐに正面へと向きを変えた。
「まず映画観るやろ。ウィンドウショッピングして、ずっと行きたかったカフェでパンケーキ食べて、イルミネーション見て、夜は行きつけの居酒屋!」
細い指を折りながら、雪乃は一気に言った。まるで休みの日を楽しみにしていた子供のようで、ついククッと笑ってしまった。
「なんで笑うん」
「いや、楽しみだな」
「やろ? あ、電車来るみたい。ほら、早く!」
小走りになった雪乃に合わせて、歩幅を広くする。走っている隣で歩いている俺を見て、雪乃はムッとした顔をした。嫌味やな、とでも思っているのだろう。
雪乃は考えていることがすぐに顔に出る。でも、そういうところが雪乃のいいところだ。
(つづく)
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