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大河ドラマ「光る君へ」前半への裏所感 〜ちょっとひと言宜しいですか?〜

久々に、警報です。

 今回、これまであまり触れてこなかった「光る君へ」の「ここがイヤ」まで含めて書こうと思います。「お前がどう思おうと知らんがな。偉そうに言うな」と思われる方、どうぞこのままページをお閉じください。ここまで読んでいただきありがとうございました。「ま、ちっと暇やし七日の大河ないし読んでやろうし」と言う方、先へお進みください。ありがとうございます。あ、ちなみに、二十六話「いけにえの姫」までのネタバレと、ネット上で囁かれている今後の展開に言及します。ご承知ください。

この記事書こうか、迷いました。

 大変烏滸がましい(これを「おこがましい」と読むのだと、今タブレットの変換機能で初めて知りました。へぇ〜)かと思います。私みたいな素人に、ねぇ。原作・脚本は大物ですよ。イヤ、でも、人間100%完璧に「好みに合う」なんてあり得ない。合わないところもありますよ。
 一応、大学は文学の出ですが、古典は素人同然です。歴史はガチで素人です。ちょっと演劇を齧ったことがありますが、舞台です。
 本来、好みに合わない部分はスルーして残りを楽しむ派ですが、今回ちょっとひと言言わせていただきたいことは、スルーしきれるかわかりません。なぜなら、それが主人公まひろに関することだからです。

まずは「それでも良いんじゃない?」と思えるところから

 ネット上には歴史に詳しい方の、もっと辛辣なご意見も見られますが、個人的に今回の大河ドラマでそんな描写があっても良いかもと思えました。むしろ、もっとやってくれ(こら)と思うことさえありました。
 「道兼がらみ」ーー第一回の最後でちやはママを衝動的に殺すという衝撃展開。そこからどうなったかはみなさんご存知の通りだと思いますが、花山天皇の退位事件と、その後の七日関白病死につながる、上手い脚色だと思いました。演じた玉置さんがまた良かったし。初回でそれだけのことをしたから、だんだん哀れになっていく道兼に100%同情しきれないんだと思わせてくれました。ただ、源氏物語には刀でブッ刺された主要キャラはいなかったと思いますが。そして、大風呂敷広げたのですから、道兼には最後もちっと報いを受けて欲しかった気もします。それか、あの病の時に晴明が「昔、命を奪った報いを受けておられるかと」って言うとか。
 「中宮定子がらみ」ーー可哀想とおっしゃる優しい方がいます。ただ、ドラマの構成上「中宮彰子側」のドラマになることは最初から分かっています。私も普段の「所感」で定子さまに対して批判的な感じを書いていますが、あくまで「中宮としてこれではね」ということを書いています。キャラ作りとしては正解ではないのかと。中の関白家の人として、実家や自分のことを一番に考えて動くところ「本当に帝を愛してるの?」と思えるような。表面上だけでも「お上のためにご遠慮します」というところあってもいいかと思いますが、それだと中宮らしいムーブになっちゃって、道長に火をつけられないんですよね。そして、後宮ドラマとして「皇后のやってはいけない」ムーブにちゃんとハマっていて、むしろ敵陣営ならこうでなくっちゃと言わしめてくれます。そして「皇后としてふさわしくない」女性でありながらも、定子さんがどこまでも美しい。ウイカ納言さんが惚れ抜くのも、枕草子ができるのも、よっっっく分かります。ちゃんと史実と整合性取れる。
 ここで、個人的なポイントが見えてきます。史実と違っていても、史実と整合性が取れれば良いですし、ドラマとして「どちらの側から描くか」もその一つですよね。ですから「一条帝の扱いが酷い」とか「道長がクリーンすぎる」とかは、アリなんです、個人的に。一条帝が「世紀の賢帝」として名を残していないのは、ドラマで本人が「唯一のわがまま」と言っていた「断髪後定子の内裏入りand妊娠出産×2」が帝としての権勢をぶっ飛ばしかねないNGポイントだからですよね。道長がクリーンすぎるのは、今後の政治的闇落ちに期待です。これは北条義時の例から許される……どころか、兼家パパのことが思い出されてまた楽しいので、闇堕ちして元カノでも使えるものは使うって道長にまひろががっかりするけれど「お前が政治で上に行けって言うたやないかい」って冷たく言い放ってほしいな。まひろの性格も、発達系に難があるのかな、見たいな感じで見ると全然不自然ではございません。空気読めない感もいいし、そういうのが疑われる人は、特殊な才能を持っている人が多く、その凸凹が普通の人より激しいだけで、才能生かせば1000年名前が(良いことで)残るといういい例です。かく言う私も、(時代的に)診断こそ受けていませんが自分が空気読めているか自信がないタイプだし、ものの感じ方は人とかなり違う方です。紫式部のような特殊な才能、早くカモン。

ここからいよいよ「まひろのココはイヤだ」です。ちょっとひと言宜しいですか?

 ズバリ「道長との恋愛、半分くらいいらない」です。裾はいつも短くて引き摺っていないのに、グダグダ虚構の恋をずるずる引き摺るまひろがイヤなのです。
 そもそもまひろと道長は「ソウルメイト」なのではなかったのですかい?公式HPの「リリース」→「物語」には「(越前へ行った後)まひろは(道長への)思いを断ち切って、今日へ戻り藤原宣孝との結婚を決意する」と書いてありますよ!
 幼い頃や、若い頃のまひろと道長の淡い恋はアリだと思います。大河あるあるで「歴史的な大物と主人公が昔繋がっていた」な展開は予想できます。恋愛小説を書く紫式部の物語ですし、宮中に出仕した後、お遊び程度で「かまってくれるだのくれないだの」という内容の恋の歌が交わされているのもありますし、何より、道長が結構惚れ込んでいたけれど世間知らずのまひろが「北の方じゃないとイヤ」と言ってオープンな関係に出来なかったとして、道長に未練を残し、それが為時パパの越前赴任のトリガーになるというピタゴラスイッチは超アリでした。
 ただ、その後のまひろのグダグダがイヤです。この恋の、物語上の役割はこれで終わって良いのです。少なくともまひろはもうこの恋に見切りをつけなくてはいけません。なんでって、史実越前では宣孝さまのお手紙にちゃんと恋も嫉妬もしてその結果嫁いだということが分かっているから。だから、、、、
1ーー体の関係は要らんかった。このドラマ、性描写が多すぎます。日曜の夕方に、家族で見ていて気まずくなるのはやめてほしい。若かった二人のあの場面、物語上も要らないでしょ。ハグだけ(まキスは許容か?)でも十分だったのです。二人の思いが通じ合っていながら、まひろのこだわりがマイナスに作用してタイミングを逃し、妾にさえなれなかった、で良いじゃない。
2ーー越前へ行く前の日の逢瀬、要らなかった。それまで10年会わずにいたのに、なぜ急に?しかもその時に「命を救ってくれた看病の礼」ではなく「父の越前赴任贔屓してくれた礼」かよ!キスもいらんし、伊周たちを貶めてないかなんて確認しなくていい。
3ーー「忘れえぬ人」「不実」「誰を思って都へ帰るのか」要らない。ここからの思い人は宣孝さまでしょ。そこは史実曲げないで。もっと言うなら、リリース時の物語設定なら、ここではもう道長への思いを断ち切っているから、当初設定とも合わない。何より「宣孝さまの死を悲しんで物語を描き始めた」という源氏物語始まりの有力説と合わない。
4ーー「石山寺での再会」要らない。次回ですが。もう源氏物語書いて宮中からスカウトに来るまで会う必要ないです。

ネットの恐ろしい情報

 これ、ずっとあるんですよね。「実は道長とまひろの間に子どもがいた」というストーリーになる説。やめてけれ。最初は「彰子」、今は「賢子」がそうだというもの。次回(本来は七月七日放送になるはずだった二十七話で)二人はもう一度体を重ねて、その結果賢子が、というもの。イヤ、もうそうなったら視聴続けるか検討するレベル。宮中編楽しみにしているのに。
 まず、上のイチャモンも含めて何がそんなにいけないのか。
1ーー「NHK大河ドラマ」だからですよ!民放の恋愛ドラマじゃないんです。「月9」「火サス」「金ロー」、それぞれに合った内容があるんですよ。
 大変失礼なことを承知で申し上げるなら、同じ脚本の朝ドラ「オードリー」も、主人公の恋愛がらみだけがイライラするほどイヤです。NHKの朝ドラとして要らんポイント。今BSで再放送しているのを、家族が録画して夕食時に流すもんですから、見ざるを得ないのです。「オードリー」も、主人公の恋愛以外は突拍子もない設定も含めてほぼ面白いのに、台無しになりつつあります。「虎に翼」と連続で観るから、また目立ってきつい……。恋愛至上主義ドラマは、他でやってください。
2ーー紫式部と道長に失礼。前回までの展開は、ぎりまだ許しましょう。ギリギリ、次回石山寺で、ゆっくり話して過去の恋愛に区切りをつけてまで許します。けれど、ここまで政治的にクリーン道長描いてきて、史実にない「人妻に手を出す」という汚点は要らない。紫式部も、ちゃんと宣孝さまを思って結婚したはずです。本当に為時パパの言うように「生真面目」なら、宣孝さまと離婚してから道長の妾になるはず。宣孝さまの妻のまま道長と何かあったり云々は、宣孝さまにも失礼。
3ーーこのままでは「源氏物語」を書くにならないまひろ=もはやそれは紫式部ではない。上記にも、前回の記事にも描きましたが、愛した宣孝さまが結婚して5年も経たずに死んでしまった悲しみから、源氏物語が書かれたという説が有力なので、道長に思いがあるままだと「旦那死んだ」→「じゃあ道長に」となって源氏物語は生まれません。また、それとは別に最近「源氏物語は紫式部の男性批判だ」という説があり、結構有力だそうです。確かに「源氏物語」は「ダメンズが顔の美しさにかまけてやらかす話」だと思っていましたから、この説は納得。思いに思った道長と不倫の末不義の子までできたとしたら、宣孝さまに相当失礼だし、女としては批判されることでしょう。男性批判の物語「どの口が(いや筆か?)いうねん!」とばかりに、書く資格はないのですよ。大河の主人公張る資格もないよ。
 もしも、越前を境にまひろが道長への思いをちゃんと断ち切っていたとしたら、源氏物語は書けます。幼い頃、ちやはママに「どうして父上は、こんなに尽くしている母上ではなくて、他の女の人のところへ行くの?」と聞き、若い頃、男に泣かされながらも物語に昇華した道綱母から話を聞いたことがあり、恋しい人と思いが通じた頃、身分を気にしない風で「心はお前だけだ」と言いながら、北の方にはしてくれない道長と決別したまひろなら。男に振り回された女をたくさん見て、そのうちの一人になったまひろなら。
 恋愛は別にあってもいいですが、大河も朝ドラも歴史に残っている史実と合わなさすぎるのはダメだし、こんなだと「女はずっと色恋のことばかり」と言われてしまいます。女の人生で、そんなに色恋ばかりにうつつを抜かし続けている人いないですから。ずっと恋愛していたとしても、仕事もあれば他のプライベートもある。「女は俺だけをずっと思って生きてくれ」と妄想する男が書いた話みたいになっているまひろの恋愛が、もういい加減終わってほしいですし、賢子は宣孝さまの子でなくては、と切に願います。

 だんだんヒートアップしてしまい、結構突っ込んだことまで言っていまいましたが、あくまで私個人の主観による所感であることも、また最後に繰り返しておきたいと思います。私がイヤだと思うまひろと道長の引き摺り恋が好きだという方も、私がいいんじゃないかと思う定子さまや一条帝への扱いなどが酷すぎてイヤだという方も、それぞれいらしていいと思います。私はいろんな方がいろんな風に感じた記事やコメントをnoteで拝読して「ヘェ〜面白い!」と思っております。それぞれの知識や状況によって感じ方は様々だし、それでいいと思います。また始めに書きましたように、100%好みに合うなんてもの、世の中にない気もします。ただ、今回はちょっと以前からモヤモヤがイライラに変わりつつあるものを一旦吐き出させていただきました。ここまで読んでくださった方、お気に障ったら申し訳ありませんが、ほざいて解消している一視聴者を温かく見守って頂けましたら幸いです。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
失礼しましたm(_ _)m

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