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つみき助産院のまつふじです

今すごいことに気がついたので、忘れないうちに書きます。
乱文になりますがご了承ください。

最近居酒屋で出会った方(70代の男性)が子ども食堂に興味を持ってくれたので、お話をしました。

子ども食堂だけではなく、助産師としての活動や主任児童員、読み聞かせやテルミーのことを話すとその方は、

「なんでそんなことができるの?あなたをそうさせた物(出来事)はなんなの?」って言われました。

私も以前からそのことは考えていて、私のこのバイタリティーはどこから来るのかな?と思っていました。

私的には「子どもを産んだ経験」だと思っていたのですが、
その方曰く「違うよ。それじゃない。もっと何か大きなものがあなたを動かしたんよ。それはなんなの?」と。

いや本当に今!
今!
それがなんなのかわかりました。

子どもを産んだ経験の中で、
私は助産師さんや旦那氏、母に

大事に扱ってもらえたこと

だと気がつきました。

幼い頃から「なんで生まれてきたんだろう。」
「早く死にたい」と希死念慮があり辛い時期を過ごしたことがあります。
子どもを授かり、自分で産むまで「私には価値がない」と思ってました。
でも、子どもを自分で生み出すことができた経験が
「私にでもできる。私を必要としてくれている人がいる」という
自信にかわり、その活力からこのバイタリティーが生み出されたと思っていました。

でも違ったんです。
いや100%違ったわけではないんだけど、もっと深い理由に気がつきました。

このことに気づくことができたきっかけが
「サトウさん」です。

そう。あのInstagramでよく見かけるサトウさん。

今日。いや今初めて動画を見たんです。
「残酷な育児」という題名の動画の中で、

「命を軽く見られている気分」
「母親の命は軽く見られている」

そう。
私は母親になる過程で「軽く見られたことがない」
助産院で出産しましたが、妊婦健診も産後健診も1~2時間かけてゆっくり診てくれる。
ゆっくりゆっくり時間をかけて。
話を聞いてくれたし、私の身体に触ってくれたし、
私の身体を通して私を理解し、受け止めてくれ、
その触れる手の指一本一本が私を大事に扱ってくれました。

言葉ではなく、
助産師さんから大事に扱われた感覚が私の皮膚の中に染み込み、
私の中の心の隙間を埋め
私の中で安心感をもたらしてくれました

この経験こそが、私のバイタリティーの大元なんだと気がつくことがきました。

今現在、お産を取り扱っていない助産院をやっており、保健指導がメインです。

その中で助産院のように時間をかけ、ゆっくり出産準備をし産後も養生しながら母を労う。9割が産婦人科やクリニックで出産しても、私の助産院では「丁寧に大事にお母さんになる人をサポートしたい」と思って開業しました。

助産院のモットーは
一人一人にわかりやすく。
一人一人にあった方法で育児をサポートする。
お母さんを笑顔にしたい。

でも本当にできているかな・・?

大事にできているかな・・?

私はできているつもりでも、お母さんはそう感じていないかもしれない。
でも、私は自分の100%をしっかり出して、
「丁寧に大事にして行こう」とさらに強く感じています。

丁寧とか大事にとか当たり前だと思っているかもしれないけど、
今のお産の現状を見ると本当にひどいです。

○陰切開や○2分娩、剃○などの処置
母乳育児・沐浴指導の放棄・・

訪問の時お母さんたちから話を聞くたびに涙が出そうになる。
「よくがんばったね」と本当に心の底から思っています。

私がテルミーをしていますが、飽き性の私でも続けられた理由がやっとわかりました。
テルミーをする時って、
「よくなれ〜よくなれ〜」って念を送るんです。
(心の中で)

丁寧に身体を触り、なで回しテルミーをかけることで、
私の中でその人を丁寧に大事に扱っているんだなと。

私が今まで経験したことを、テルミーを通して
誰かに循環させているんだなと。
幸せの循環ってやつかな。

私のMY助産師、MY産婆の元で自宅出産のサポートをさせてもらっています。
先日長男が17歳になり妊娠・出産を振り返っていました。

私は本当に恵まれていたなと。
今も産婆のもとで働けることにも恵まれているなと。

助産院を選んだ理由も、助産院にこだわったわけではなく
「自分で産んでみたい」と直感で思ったから選びました。

授かり婚で、不安しかなかったけど、18年経った今。
長男を授かった理由がわかり、
私の人生を大きく左右した出来事だったんだなと
実感しています。

さて、今日はこの辺で・・・

良いことに気がついたな〜
これからもお母さんたちのために一肌脱ぎたいと思います。

乱文失礼しました。


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