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往復五千円のサイコロきっぷに一万円足して聖地を巡る。

 広島発、サイコロ(ガチャ)を振って出た行き先への往復きっぷが5,000円になるという太っ腹商品が10/29まで販売されております。

 出目は福岡・松江・姫路・金沢で、もし金沢が出たらそりゃあもうものすごいお得。ただし確率は決まっていて、ソシャゲ的に言うと福岡と松江がR、姫路がSR、金沢はSSR。

 まあ確かに金沢は行きたいし、こんな格安な機会は今後もう無さそう。でも泊まりになるしな〜長旅しんどいし、近場でサクッと済ませたいな〜〜と思いながら引いたところ、ちょうどいい感じに博多が出たので、突発単独週末日帰り博多旅を計画したわけです。

 それが水曜の話、きっぷの発着は3日後の土曜日に設定。思い立ったら即行動!している時にしか得られないドーパミンがあるんだよなあ〜!

 よし、行くぜ博多!!
 ……と、拳を突き上げた3日後、私はここに立っていました。

熊本県八代市 遥拝堰。

 これは一人のオタクが広島ー博多往復5,000円のお得きっぷに10,000円を足して、推しが泊まった熊本の宿などを見に行くお話です。

【計画】博多行きま〜す言うてた人間が、当日いきなり熊本の写真上げたらおもろいやろ

 いや皆様にはさしてオモロでもないかもしれませんが、私にとってはワッハッハwくらいのノリだったのでやりました。

 というかシンプルに松濱軒(松浜軒)に行きたかったんですよ。内田百閒先生が何度も泊まったお気に入りの旅館、松濱軒……初めは昭和26年「鹿児島阿房列車」(『阿房列車』収録)で宿泊、その後たびたび熊本・八代に足を運んでは、「阿房列車」シリーズが終わってからも、総計二桁回数は泊まったお宿……。

 元々、松井家のお殿様が建てたお茶室で、百閒先生の時代には旅館として営業していました。現在は八代の名所として一般公開されています。

 もうね、一度行ってみたかったんですよね。写真ぎらいな百閒先生には珍しく、松濱軒で撮ったものが結構たくさん残っているし……実際にその場に立ちたい。そして真似っこ写真とか撮りたい。

 しかし八代は熊本のもうちょっと先(広島視点)。熊本に旅行に行くと、どうしても熊本市内や小天温泉(夏目漱石「草枕」の舞台)を回るだけで日程が埋まりがちで、なかなか足を伸ばす機会がなかったわけです。

 じゃあ、もののついでに八代だけ行ってサッと帰ればいいんじゃない?
 博多から八代まで一時間と少し。新幹線代を追加すると往復10,000円ちょっとかかる。でも、そもそもの博多往復が5,000円で済むんだから……。
せっかくの機会だし、振って沸いた旅行なんだからやりたい放題やったれ!と、八代行きを決めたのでした。

 それで八代のこと調べてたら、新潮文庫版の『第三阿房列車』表紙にもなっている、河原に立つ百閒先生の写真も八代で撮ったものだとわかったんですよ。

 そんなのもうさあ、行って再現写真撮るしかないじゃん??

 なんなら博多からの旅程も、できる限りその写真を撮った「千丁の柳」(内田百閒『ノラや』収録)をたどって行こう!
 というわけで、ひとりニヤニヤと遥拝堰までのバスの時間などを調べつつ、当日を待ったのです。

【実行1】博多で「かしは飯」を買って千丁を横目に八代に向かう

 百閒先生が八代に行った話は「鹿児島阿房列車」(『阿房列車』/本によっては『第一阿房列車』表記)、「春光山陽特別阿房列車」「雷九州阿房列車」(共に『第二阿房列車』)「長崎の烏 長崎阿房列車」「列車寝台の猿 不知火阿房列車」(共に『第三阿房列車』)で、阿房列車シリーズならどの本にも松濱軒滞在の話が載っていますし、その後も「千丁の柳」(中公文庫『ノラや』ちくま文庫『立腹帖』)、「八代紀行」「九州のゆかり」「臨時停車」(『立腹帖』)等に松濱軒に行った話を書いています。

 なので旅のモデルにする話はいろいろあるのですが、今回は写真の多く残っている「千丁の柳」を確かめながら、なんとなーく真似をすることに。

 というわけで、まずはサクッと博多駅に到着後、熊本行きの新幹線までの待ち時間で「かしは飯」を購入。

 私はかしは飯が食ひたいと云つた。とり飯の事である。いつか豊肥線の山の中の駅で買つたかしは飯が大変うまかつたので、九州へ来るとよく車中でかしは飯を食べるが、初めの時ほどおいしくはない。しかし何か食べようかと思ふと、先づかしは飯を思ひつく。
 次の停車駅で山系君が買つてくれた。

内田百閒「千丁の柳」(『ノラや』中公文庫より)

 行程の都合上、「次の停車駅」で買うのは難しいので、とりあえずこの世の全てが揃っているかのような博多駅でかしわ飯弁当を購入。ヒマラヤ山系君が買ってきたのがこちらのお店のものかはわかりませんが、百閒先生が旅した当時にもあったであろう復刻版です。レトロな包み紙がかわいい。

中央軒の「復刻かしわめし」
新幹線の車窓(撮りにくい)とかしは飯。

 九州新幹線つばめの車内で実食。ただ肉を乗せただけではなくて、ご飯も鶏の出汁で炊き込んでいるんですね。味がしみていてとても美味しい。

 百閒先生の時代は、博多から熊本まで「凡そ二時間半」だったそうですが、今は新幹線で30分弱。つばめに乗ったのでこの度は50分くらいでしたが、途中の駅で「STATION STAMP」を押すためスマホに張り付いていたら、あっという間でした。車窓を楽しむ余裕があんまりなかった(「推し」呼びといい、百閒先生に叱られそうなことしかしてないオタク)。

 そうこうしているうちに、いつ見ても緑が鮮やかな熊本駅に到着。巨大くまモンの頭やベンチに当たり前に座っているくまモンなどを横目に、在来線に乗り換えて八代に向います。

 博多から新幹線に乗るなら、新八代まで行ってしまって、そこから在来線で八代に行ったほうが早いんですよね。だけどオタクにはやりたいことがあったのです。

余り熊本寄りでなく、八代に近かつたと思はれる田圃の中に柳の大木が一本あつた。進行方向の右側の窓に近く、走つて行く汽車の響きが伝はるぐらゐの所にあつた様に思ふ。その柳を見る為ではないが、不思議にその側の窓際にゐた事が多いので、八代へ行く時はいつもその柳を見て過ぎた様な気がする。

内田百閒「千丁の柳」(『ノラや』中公文庫より)

 せっかくなので、百閒先生が八代に行く時に眺めていた「千丁の柳」を見たい。……とはいえ現在は柳の木は残っていないらしいのですが(ネット情報)、なんとなくの風情はある気がするし……こういうのは思い込みと幻覚が大事なんだよ!と、とにかく「熊本から在来線に乗って、何回も来てるから百閒先生がすっかり覚えてしまった六つの駅(現在は増えて10駅)をなぞりつつ、千丁の柳があったあたりを眺めながら八代に向かう」をやるのだ!

千丁の車窓(柳抜き)

 やりました。
 車窓に流れる千丁の柳を背後にした百閒先生の写真がありまして、それは古き良きボックスタイプの座席なんですよね。あの向き合っているやつ。
 その光景ばかり頭に入れて在来線に乗り換えたら、ピッッカピカの真新しくてつやつやしててやたら座り心地のいいロング(ベンチ)シートの電車が来て、アッッッそうか!!!!!となりました。思考を昭和に飛ばしすぎていた。

 しかし窓が大きくて、眺めるのにはとてもいい……あと座席のクッションが低反発素材ぽさあって、やたらと座り心地がいい。「チョットチガッタ」感はありつつも、人の少ない車内で存分に景色を楽しめました。

 千丁駅から先、ずっとそれっぽいところがないか張り付いてたんですが、いまいちよくわかりませんでしたね(上の写真はその間の適当なところです)。後で調べたら、Googleマップに「千丁の柳跡」を登録されてる方がいました。先人の知恵ありがたい……。

 今も祠だけ残っているらしい。新八代駅の線路脇に祠があったので「これか!?」と凝視していたんですが、それとは違ったようですね。

八代駅の駅標

 というわけで八代到着。真夏のごとき日差しの中、日本製紙の工場を横目に、まずはバスで「遥拝」に向います(駅のバス停で30分待ち)。

【実行2】遥拝堰で「あの鉄橋」の写真を撮る。

白島から車を廻らして球磨川の下流の遥拝ノ瀬へ来た。磧の上に鹿児島本線の鉄橋が架かつてゐる。私はこの鉄橋を渡る汽車の中から、遥拝ノ瀬の白波と繁吹きを見た事がある。今その磧に降り、ごろごろした小石を踏んで水際に出た。小石君が何枚も撮つた様であつた。

内田百閒「千丁の柳」(『ノラや』中公文庫より)

 「千丁の柳」で、これまで一度も気にしたことのなかったくだりです。新潮文庫『第三阿房列車』の表紙だって、なんとなく関東のどっかの河原なんだろうな〜くらいに思ってた。でも熊本・八代で撮ったものだったんですね。しかも八代市内からふつうに近い。

書影:版元ドットコムより

 というわけで、「これ」を撮りに行きます。

こちらが「遥拝の堰」(多分)

 来ました。(八代駅からバスで10分)
 ほんとに来ちゃったよ……。いや〜こんな山の中(※まだまだ入り口です)、そりゃこれまで百閒先生のゆかりを求めてやってきたファンは何人もいるだろうけど、別に意味のある日付でもないし、今日ここにわざわざ足を運んでるのは私くらいしかおらんやろ〜〜と、思っていたんですよ。

 いきなり一人で、「何もない」山の入り口で降りて行くなんて、むしろバスの運転手さんに不審がられるんじゃないか?……とすら危ぶんでいたんです。実際、バスの客は私一人でしたし。誰もいない山の中で、ひとりぽつねんと聖地巡りをする……そんなさみしい光景を思い描いていたのです。

 そしたらさあ!!

 遥拝堰、いま出来立てホヤホヤの一大キャンプサイトになってたんですよ!!!!!

 誰もいないことすら想定していたのに、着いたらそこはレジャーを楽しむ家族連れやキャンパーたちで大にぎわいだったのです。ま、まままじで!?!?!?

 いやほんと、今回一番の想定外だった。
 駐車場にどんどん集まってくるファミリーカー……今日は何かのお祭りですか?と聞きたくなるくらいそこらじゅうを埋め尽くすテントたち……楽しげな語らいの場もあり、ソロキャンプを楽しむ人の、ビール片手に世界観を完成させた「大人の休日」ゾーンもあり……。

 こ、こんなまっとうな人たちを前に、オタクの写真撮影を……!!??

 と、心底動揺していたのですが、その賑わいゾーンの奥には紛うことなき「あの鉄橋」が見えているのです。

球磨川橋梁(遥拝堰)

 あ、ある〜〜!!
 いやすごい、想像の100倍感激してしまった。
 下準備としてGoogleストリートビューで現地の光景を見ていたし(ちなみにキャンプサイトはまだ工事中の画像だった)、はいはいそういう感じね〜と、既に「わかった」ものを一応確かめる……くらいの気持ちで足を運んだのですが、実物を前にすると、全然違う気持ちになりますね……。

 すこんと抜けた空の開放感がこんなに気持ちいいなんて、思ってもみませんでした。360度広い……抜け感どころか何もかも筒抜けの底にちんまりと私が存在している……。

 そんな見はるかす山の緑と水の向こうに、繰り返し当たり前のように目にしてきた表紙と同じ橋がある。えっ……いやほんと……ものすごくいいところですね……? びっくりした。

 想像の上では「まあ何もないところだろうし、サクッと写真撮ったら早足で隣の肥後高田駅まで行って(徒歩30分予測)、そこからおれんじ鉄道で八代駅まで戻ろっかな〜おれんじ鉄道のルートは元は百閒先生が別の旅で通った鹿児島本線だったところだし(にわか知識)、そしたら今度は鉄橋の上から、百閒先生が見た遥拝堰の景色が見られるし〜」などと算段していたのですが、あんまり気持ちがいい場所なので、戻りのバスの時間までの50分をここで過ごすことにしました。歩くには暑かったし……(10月なのに最高気温31度)。

 七月くらいの日差しの暑さがありますが、風はさすがに初秋の涼しさで心地いい。そのへんに腰かけて、ぼーーっと水辺を眺めていたい……座るとこないけど……(でっっかい石が盛り盛りの河原)(ゆるい坂の芝生に座りました)

 百閒先生も、このあたりを歩いたんだなぁ……。
 もちろん川辺の整備状況は違っているわけですが、見える山の形や鉄橋は変わらないものがあるでしょう。鉄橋も、Googleマップの写真だとまともな赤色に見えたけど、実際に目にすると、経年劣化の凄みがあってとても良かったです。

 別ショットの写真で、百閒先生とヒマラヤ山系君、八代軒の仲居さんたちが遥拝の河原を歩いている一枚があります。それを見ても、そもそものきっかけの表紙に使われてる写真を見ても、普通の河原くらいに細かい石で整備されて歩きやすそうですね。今の遥拝は違うぞ。めちゃくちゃでかい石がごろっごろしてて、一瞬でもながらスマホで歩いたら惨事になるぞ。

 さながら平地でボルダリングをするかのような注意深さで、できるだけ近くに寄り、きらきらまぶしいレジャー勢の方々を遠く背にしながら(結構離れてて助かった)、日傘に隠れつつ本を出したりして記念撮影をしたのでした。

新潮文庫『第三阿房列車』表紙をイメージ。

 これ以上は近寄れなかった(私には)。
 パドリングやカヤック(?)の人たちが、川のそこここを気持ちよさそうに滑っていました。よく見たらこの写真でも写っていますね。
 サーファーのごとしな装備の方々が、私が必死にバランス取ってそろそろと近寄っている河原をスタスタ歩いて川に入っていくのを見て、己の体幹の弱さを思い知りました。

 実はちょうど到着したあたりで肥薩おれんじ鉄道の車両が鉄橋を渡っていったのですが、もたもたしている間に通り過ぎてしまいました……惜しかった。

【実行3】松濱軒でさらに再現写真を撮る

 さて、戻りのバスで駅を通過してそのまま八代市内中心部へ。とうとう、ずっと行きたかった松濱軒(松浜軒)に向います。

 そしてこの写真を撮るのだ。

 2019年の岡山・吉備路文学館での内田百閒展でポスターに使われていた時の印象が強いこの写真、いかにも百間先生らしい一枚で好きなんですよね……。代表的な写真なので、新潮日本文学アルバム内田百閒巻の表紙などにも使われていますが、近年はとりあえずこの本の表紙を出せば伝わるので助かっています(版元ドットコムでは書影が何故か出ない……)。

 市役所前でバスを下りたので、八代城址の中を通っていくことにしました。出た道向こうにある松井神社に寄り、百間先生も見た「臥龍梅」を眺めてから、お隣の松濱軒へ。

 このへんは、百間先生が朝に庭下駄のままぶらついてみた場所なんだよなあ……当時とは景色も変わってるだろうけど、立地とかは同じだもんなあ……と感慨をかみしめながら歩いていると、角を曲がったとたんに見えました。

松浜軒(しょうひんけん)の門前

 こ、これだ~~~~!!!!!!!!!

 遥拝と同じく、ストリートビューでさんざん眺めていたのですが、やっぱ実物を前にしたときの感激と情報量に替えられるものはありませんね……。

 というわけで、もろもろトリミング等あとから寄せた写真を一枚。
 いや~~すご 本物だあ…………。

 ここに百間先生が立ち……ポーズを取って……。
 それでなくとも十数回も通った門…………。

 ハア~~~~となりながら、「乳鋲を打った」門扉をしっかり確かめて中へ。現在は拝観料大人500円でお庭をめぐることができ、他に二つの資料室にも入れます。残念ながら百間先生が泊まった建物の中には普段は入ることができませんが、肥後菖蒲の時期の茶会など、一般開放される日もあるようです(新型コロナの影響でここ三年は開かれてないものの、そろそろ……来年こそは……というお話でした)。

 まずは入り口の資料室でお話を伺った後、いよいよお庭へ。

 っは~~~~~~~~~~~~~~~~

 ハア~~~~~~~~~~~~~~~~
 おあ~~~~~~~~~~~~~~~~(言語能力の霧散)

 いやもうね、どこもかしこも「見たことある…………」なんですよ。この旅にそなえて『百鬼園写真帖』(ちくま文庫)と『百鬼園寫眞帖』(旺文社単行本)と『別冊太陽 内田百閒』の松濱軒での写真をじっくり確かめてきたので……。
 というか再現写真を撮りたくて、別冊太陽の該当ページを撮ってスマホに収めてきたので、

 こういう再現写真も撮れちゃうわけですよ。
 これは百間先生が浴衣でこちらに向かって一枚石の橋を渡っている写真の再現!(トリミングは別冊太陽準拠)

 これは百間先生とヒマラヤ山系君が煙草を吸いながら座っていた縁側!!
 畏れ多くも、この石のはじっこにちょっと座らせて頂いて、そこから見えるお庭の景色を撮りました。

 これが、百間先生と山系君が見ていた景色…………。
 
元の写真には写っていないところまで見られるのが現地の良さですね。

 他にも飛び石の睡蓮だとか、いろいろなものを撮りました。あとでいろいろな随筆に書かれた松濱軒の記述を読み返すたび、「わ、わかる……」「それ見た、あった!」となって楽しいです。

 百間先生が行くたびに満ち満ちていたり、涸れかけていたり、ちょっと少なかったり、大雨であふれたりした池の水は、とてもちょうどいい満水具合でした。水鏡になってとてもきれい。百間先生が水の入りを気にしたのがわかります、満ちているとお庭の力が100%発揮されている。
 食用蛙はいませんが、池のヌシみたいにでっかい鯉が水面をさざめかせていきました。

 そして本当に蚊が多かった。
 こ、これが八代蚊……! 資料室での解説でも蚊の話が出ましたし、受付には虫よけスプレーや虫刺され薬が。見事に刺されて笑ってたら、係の方が薬を出してくださった上にスプレーも振ってくださいました。あ、ありがとうございます……(旅先のふれあいエピソード)。

 係の方が「八代蚊(やっちろが)」と仰っていて、ほ、ほんとに今でもそう言うんだ~~!!と、ここでも感激しました。「か」だと思ってたけど「が」の発音でしたね。

 すぐ近くにある図書館の駐輪場には「カラスに注意!」の張り紙があったりして、「本当に、あの話の舞台に来てるんだなあ……」という感慨がすごかったです。

 八代、とてもいいところでした……今回は突貫でまた博多に戻りましたが、今度はゆっくり楽しみたいです。また行くぞ!(できれば建物の一般開放日に!)

【おまけ】もっと寄せてみた&参考資料など。

 せっかくそれっぽい写真を撮ったので、帰ってから白黒に加工してみました。

 こちらは表紙にはなっていませんが、トリミングなども『別冊太陽』掲載のものをもとに加工しています。

 他、写真多めの本には「千丁の柳」での他のショットもいろいろ載っています。

 以下、参考資料の列挙

 ナラベルで百閒先生関連本のリストなども作っています。

 よろしければ、あわせてご参考にどうぞ。

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