見出し画像

恋するお相撲さん【BL】(1,943字)

 おもむろに目の前に腕を突き出す。それだけで常人程度であれば軽く吹き飛ばすことができる。

 腕は成人男性の胴ほども太い。太ももは小型の冷蔵庫。腹周りに至っては軽トラと見間違えるほどデカイ。

 部屋の中でもとりわけ身体の大きな若太郎わかたろうは「ふぅー」と大きく息を吐く。目の前のテーブルが一寸ほど前進する。

(なぜ)

(なぜ、オレの身体はこんなにも大きいのに)

(身体はこんなにも大きいのに心はこんなにもっちゃいんだろう)

 向こうのテーブルでちゃんこを頬張る兄弟子の力三郎りきさぶろうを見つめる。今日のメニューは豆乳チゲ。

(あの日のメニューも豆乳チゲだった)

 きっかけは些細なこと。

「若太郎って鉱山で地ならしするブルトーザーみたいに食べるよな」と笑いながら力三郎が話しかけてきた。

「……ごっつぁんです」と答えたはいいが意味がわからない。

 少し経って理解できた瞬間は怒りを覚えた。しかし、嫌味な存在から目で追ってしまう存在になるのに時間はかからなかった。

 兄弟子への気持ちに気づいてからというもの食欲が湧かない若太郎。以前だったら五鍋はペロリと平らげたものであったが、今は三鍋ほどしか食べることができない。

 体重も百三十貫を切った。その分俊敏さは上がったようで親方からは褒められている。

(褒められるならあにさんからがいい)

 若太郎はキャッチャーミットほどの頬をブルんっと揺らした。

 ちゃんこの後はお昼寝の時間。

兄弟子とはいえ、いまだ幕内に上がることができない力三郎も若太郎たちと一緒。

(これがドキドキせずにいられるもんか)

 厚さ三寸のマットレスも力士たちが寝転ぶとオブラートみたいに薄っぺらくなる。思い思いに鼻からメロディを奏でる兄弟弟子たち。

 その中でも力三郎から流れ出るテノールのアリアは若太郎にとって特別な愛の歌。若太郎は自分だけに贈られたように感じるアリアを子守唄に、夢の世界へ旅立つ支度をする。

 若太郎が自慢のコントラバスで力三郎とデュエットしている頃、向こうの世界では束の間の逢瀬おうせを楽しむことができる。

 森の中に開けた草原。

「わかたろう~!」力士にしては高めの声で力三郎が呼ぶ。

「あにさん!」それに力士らしい低音ボイスで若太郎が答える。

 二人はすり足で近づいていく。

 お互いに両手を突き出し恋人つなぎ。二人の手が結ばれた瞬間、衝撃で周囲の草木がなぎ倒される。

 力三郎が左手を下方に引く。バランスを崩された若太郎は前のめりに崩れた。受け身を取り仰向けに寝転ぶ。

 手と手が触れ合った喜びと恥じらいを感じる間もなくひっくり返された若太郎。

 下から見上げるソップ型の力士はいつもより大きく見える。

 覚めつつある頭で若太郎は自分をわらった。

(夢でも取り組みなんてオレらしいや)

 夜。

 若太郎たち幕下力士は幕内力士の入浴の手伝いをする。

 最近の若太郎にとって苦痛の時間である。

 別に先輩たちのタンスのような背中や大型トラックのタイヤサイズの尻を洗うのが嫌なわけではない。

(力三郎兄さんも……)

 力三郎が自分以外の男と裸の時間を過ごしている……こう考えるだけでヤキモキする。

「イダイッ!」つい背中を洗う手に力が入り、タワシで先輩の左脇下をえぐってしまう。すぐに張り手をくらうが、若太郎の心の痛みを紛らわすのには少々物足りなかった。

 吹っ飛ばされた衝撃で浴室を潰す。瓦礫を枕にしながら大の字になった若太郎は夜空に輝くものを見た。

「明日の朝稽古で気持ちをぶつけよう」若太郎は星に向かって呟いた。声が届くはずないことはわかっている。

 翌朝。

 フォークダンスの要領で相手を替え替えぶつかり稽古。燃える若太郎は、兄弟子だろうが弟弟子だろうがお構いなし。抜いた鼻毛を飛ばすかのごとくぶん投げていく。

 いよいよ待ちに待った、でも来ないで欲しかった力三郎との一番。

 若太郎の激しい鼻息が小さな竜巻を起こす。鼻息が荒いのは息が上がっているからではない。

 練習中の私語は厳禁。気持ちは身体でぶつける。

 十五尺の若太郎とその半分以下の力三郎ががっつり組み合う。紙屑のごとく投げ飛ばしてしまうのは容易たやすい。

 だが、一秒でも長くこうしていたいと、力三郎を抱く両手に力がこもる。

 土俵の上の竜巻は大きくなり、いつしか二人を周りから隔離していた。

 二人だけの世界で若太郎は力三郎をさらに抱きしめる。それに答えるように力三郎の口からは吐息や声が漏れる。竜巻の轟音にかき消され、愛の叫喚きょうかんは若太郎だけのものになった。

 ぶつかり稽古では禁止されている鯖折さばおりで若太郎は力三郎との一番に決着を付けた。敢えて禁止技を行うことで、自身の中にある禁断の気持ちを力三郎に伝えたかったのである。

 逆くの字に曲がった力三郎の背はいつまでも戻らなかった。それは二人の愛が永遠とわに続くことを意味している。

 一世一代の勝負を終えた若太郎は小さく小さく手刀てがたなを切った。


***


2020年11月

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!