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スカイロケットマン【小説】3,050字

 わずかばかり空を飛んでいるように感じたことはまちがいありません。ただし、それはあまりに短く、そして「空を飛ぶ」とは正反対の行為でした。この身の奥底にある見えない重り、私のイメージでは腹の中に底なし沼があり、そこからのびる鎖が私の全てを下に下に引き付けているのです。私は鎖の先にはいかりのような重りがあると信じているのですが、実際は鎖は何にもつながっていないのかもしれません。

 しかし、そう考えてしまうと、もうどうにもこうにもいたたまれない様になってしまうので、鎖の先にはいくつものサビついたいかりが束になってつながれていると信じているのです。そのうちの1つでも2つでも外すことができたらと、高い金を払って鎖を引きずり引きずり橋の上までやって来たのです。

 列に並ぶ者たちは、恐れや不安の感情を一切隠すことなく、そしてそれを楽しんでいるように見えました。それはそうでしょう。彼らは金を払いその恐れや不安を体験しに来たのです。しかし、それは私も同じです。私は「空を飛ぶ」ことで重りの1つや2つにつながる鎖を引きちぎれたらいいと考えて、この体験に金を払い参加したわけです。実際、私も連れの女と談笑をしていました。決して私は純粋に楽しむために来たわけではありません。このような場所に男1人で来ることははばかられたので女を共だって訪れたのです。

 家族連れや男女の彼らは皆浮かれているように見えました。飛ぶ必要などないように見えましたが、そもそもの目的が違うでしょうし、私だって傍から見たら浮かれる男女の1人でしょう。腹の底に何が繋がれているかなど他人にはわからないのです。自分自身でさえ見えないそれをどうやって他人が知ることができるでしょうか。

 そうして、いよいよ私の順番がやってきました。器具を装着した後、係員が飛んだ後のあれこれを説明しています。係員の大げさなカウントダウンにあわせて飛び出します。その後のことは冒頭で書いた通りです。そもそもが間違っていたのです。バンジージャンプは飛ぶのではなく落ちる行為です。まったく愚かでした。こんなことにも気付かないなんて。飛んだように感じたのはただの錯覚で実際は落ちていただけなのです。

 私は誰よりもはやく落ちていったでしょう。いえ、重いから単純にはやく落ちるわけではないことは知っています。あの瞬間は腹の底からではなく水面みなもから鎖が伸びているように感じたのです。何本も伸びる鎖に引かれるように水面に近づいていきました。それを私は一瞬でも飛んだなどと錯覚してしまったのです。実際はより深く沈んでいっただけだというのに。

 だから、私は打ち上げ花火になることにしました。今度は実際に空に上がるのです。鎖が何本あろうが、その先に重いいかりがいくつもついていようが、もしくは重りなどなかったのだとしても関係ありません。空にあがってしまえば私が重りと形容して自分を慰めていたことはどうでもよくなってしまうでしょう。

 打ち上げ花火になるには厳しい審査があるかと思っていましたが、すんなり今年の打ち上げ花火に選ばれました。聞けば私のような志願者はあまりいないのだそうです。私が打ち上げ花火になることを職場の者たちに話すと、別に話さなくてもよかったのですが、職場を辞めることになるのですから何らかの理由を話さなければいけません。私が理由を説明すると、入社してから初めての類の眼差しを向けられました。そして、仕事を辞め去っていく私を花束とともに笑顔で送り出してくれました。数年ぶりに鎖の1つが外れたような感覚になり、その分身体が軽やかになった気がします。

 味を占めた私は数少ない親交のあった人間たちにも伝えていくことにしました。アパートの大家は2ヶ月分の家賃をタダにしてくれました。定食屋の親父は「えらい、えらい」と肩を叩いてきました。その度に重りが外れていく気がします。親交のあった女たちにも伝えていこうと思いましたが、バンジーを一緒に飛んだ女は口では「おめでとう」と言いながら涙を流していました。それが至極不快に感じた私はもう誰にも言わずに支度を済ませ研修宿舎に向かいました。

 宿舎では3ヶ月ほどの研修を住み込みで行います。私以外は皆、20歳前後の若者たちでした。彼らは全国から選ばれてきた者たちであり、使命感に燃えているように見えます。5歳以上も年の離れた彼らと共同生活していけるか不安ではありましたが、皆気のいい連中でした。私が志願者であり彼らよりも年長だと知ると、小坂こさかさん、小坂さんと何かにつけて立ててくれます。

 研修の6割以上は打ち上げ花火を行う意義や心構えについて、3割が体力強化の運動、打ち上げ前後にすべきことについては1割にも満たない時間しかかれません。それもそのはずです。花火師がうまくやってくれるので打ち上げ花火自身がするべきことなどほとんどないのです。

 宿舎での生活は悪くないものでした。目的を同じくする仲間、厳しくも我々に敬意を持って接してくれる教官たち。規則正しい生活の中では欝々とした気分になることはほとんどありません。まるで鎖や重りなど存在しないのではないかと錯覚させてくれます。

 7月に入りました。仲間の中から菊田きくたをはじめ約20名が旅立っていきました。第1週の週末に開催される花火大会で打ち上げられるのです。旅立ち前には菊田らを囲みラムネで乾杯しました。菊田は宿舎に来た当初はいつも便所で泣いていた男です。それが今や堂々たる面構え。場所と日時が決まり送り出されるときには私もこんな顔をしていたいと思わせてくれます。

 7月も20日過ぎ。この頃になると仲間の5分の1は打ち上げられています。寂しさを感じないことはないですが、皆これを目的にしてきたのです。風呂をあがり、就寝時間まで間があったので談話室に向かうことにしました。大類おおるい戸川とがわといった仲がいい連中でもいないかと期待したのです。談話室に向かう途中で気付きました。彼らは先週旅立っていったことを失念していました。

 談話室には根本ねもとが1人いるだけでした。根本は手紙を書いているようです。私に気付くと彼は顔を上げました。彼は来週末に打ち上げられます。打ち上げ直前だから手紙を残しておくのかと聞くと、家族にあてて毎週書いているのだと彼は言いました。私も1通家族あてに手紙を書いて送ることにしました。

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 拝啓

 

 小坂家の皆さん。暑熱しょねつ耐えがたきこの頃いかがお過ごしでしょうか。

 10年近く音信不通であったことをお許しください。皆さん元気ですか。犬のチェンも元気ですか。妹の絵里えりは結婚しましたか。

 小坂家の皆さんにとって私はもはやいない人間と認識されているかもしれません。このように今更連絡したのはただ報告したかっただけでございます。

 来月、8月13日金曜日樺澤かばざわ市で行われる花火大会のメインの打ち上げ花火を務めることになりました。志願者であること、そして研修の成績がよかったことで優遇していただき、名誉あるメインの打ち上げ花火に選ばれることができました。もしも、気が向きましたら私の晴れ舞台を見に来てほしいと思います。

 今まで不孝な息子で申し訳ありませんでした。今までをチャラにできるとは思っていませんが、ようやく親孝行といえる報告をできたのではないかと思っております。

 誰よりも誰よりも高く高く飛んで見せます。私につながる鎖と重りを全部全部断ち切って飛び上がります。それを私はとても楽しみにしております。

 それでは、末永くお元気で。敬具

 7月22日 小坂晴久はるひさ


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2021年7月

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!