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サイトウ統一計画【掌編】3,402字

 伊藤と伊東、庄司と東海林。

 このように世の中には読みが同じでありながら異なる漢字の名字が存在する。

 電話口で名乗る、名乗られた時に面倒に思ったことはあるだろう。

 しかし、だいたいは「東の方のイトウです」「ひがし、うみ、はやしでショウジです」と一言添えれば問題はない。

 あの名字を除いては……。

~Music 『Veldi : Messa da Requiem』~

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 20XX年、タイムマシン(TM)が発明され歴史は改変可能となった。これまでも文書上の改変は行われていたが、TMにより文字通り歴史を変えることが可能になったのである。

 政府主導で古代の栗栖くりす一族や三木長秀みきながひでの天下統一、安政変革あんせいのへんかく等の歴史的事実が改変され消去された。一部の人間以外は栗栖一族や三木長秀と聞いてもピンと来ないだろう。それまで教科書にも載っている誰もが知る歴史だったのに、だ。これがTMによる歴史改変である。

 改変の事実は政府の人間しか知らない。一般国民はいまだTMの存在すら都市伝説だと思っているようである。

 歴史改変の理由は様々。対外的な問題、残虐過ぎる、国家レベルの不利益として現在に影響している等。特定の個人や団体に利益があるような改変はできないことになっているが、実際は分からない。私たち下っ端職員は上の決定に従うだけである。

 歴史を改変しても後の世に大きな影響が出ないように代替の人物、出来事が発生する。代替案をこちらで用意または誘導することも可能だ。タイムパラドックス的なことは起こらないようにうまく調整されている。

 そして、今回のプロジェクトで私は初めて責任者を任された。革命や維新のような大きな出来事の改変ではないものの個人的に重大だと思っている。

 成功すれば出世の糸口になるかもしれない。

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 名字関連の改変は前例がある。

 以前「礼布れいぷ」の名字が抹消された。これは英単語の「rape(強姦の意)」と発音が似ているからという理由である。改変前は1万人ほどがこの名字を使用していた。

 この件は特例であった。本来であれば個人の名字程度の問題に国が関与することはない。しかし、礼布氏が経団連で次期会長に選出される可能性が出てきたのである。国は礼布氏に改名を促したが受け入れてもらえず、急遽TM改変を実行。礼布の名字の由来となった地名を変えることで改変は成功した。

 TMによる改変は失敗が許されない。同じ対象に対して2度以上の改変をしてしまうとタイムパラドックスが発生してしまうためである。

 今回は礼布氏の件よりも大がかりである。1万人ほどの礼布に対して、今回の名字の使用者は合計すれば100倍。合計というのが今回のミソである。

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 サイトウ(後ろに「藤」)の名字はおよそ100万人が使用している。もっとも多いのが斎藤、次に斉藤、そして齋藤、齊藤と続く。4つだけではなくサイの字が異なるサイトウの名字数は10以上。

 このサイトウを統一させるのが私のミッションである。

 サイトウが一つになれば役所、民間、学校などの書類、電話口での仕事が楽になることは言うまでもない。とはいえ、国益に関わるほど重要な改変ではない。これは私が使い物になるかどうかを測る意味合いが強いと推測する。この仕事を成功させれば私は更なる重要な仕事を任せてもらえるようになるだろう。

 サイトウが今日のように多くの種類になったのは、明治初頭に制定された「平民苗字許可令」「平民苗字必称義務令」で、庶民階級も名字を名乗る必要が生まれたからである。

 当時、ワープロやパソコンはもちろんない。登録は全て手書きで行われた。住人役人の書き間違いや聞き間違いで、多パターンのサイトウが生まれてしまったのである。

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 「現在10以上あるサイトウを斎藤・斉藤に統一する」これが今回のプロジェクトの目標である。2つなのに統一とは?と思うかもしれない。

 上からは画数の少ない斉藤に統一せよと指示があったが、私は斎藤にすべきと断固主張。その結果、上層部が折れてどちらかであればよいという形に落ち着いた。

 責任者を外される覚悟までしても私が考えを譲らなかったのは、私自身が斎藤だからだけではない。歴史に根拠がある。

 サイトウの名字は元々、齋藤であった。これは斎藤の旧字である。斉藤は何らかの手違いで使われただけで本来は「サイ」とは読まないのである。本来であれば、斎藤か齋藤に統一するのが筋であることがお分かりいただけただろう。サイトウの端くれとしてこれは譲れない。ちなみに、齊藤は斉藤の旧字である。

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 当時のサイトウ氏の総数は現地に行くまで不明であるが、人口比から計算して30万人弱と仮定した。多くを占める斎藤・斉藤は変更する必要はない。残り3万人強のマイノリティ・サイトウを斎藤または斉藤に変更する。

 窓口で対応するのがパラドックス的に一番ではあるが、数が数である。すでに登録された戸籍を最新技術で改変することになった。

 最新技術と言っても、バレないように上から手書きしていくだけ。この「バレない」が最新なだけで結局は人手を使っていくしかない。

 プロジェクトと言っても下っ端役人をかき集めた弱小プロジェクト。メンバーはわずか30人である。TMで明治初期に移動後、全国各地に散って名前を書き換えていった。

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 最初の頃は使命に燃えていた。難解なサイトウを斎藤に変えるのだ。うっかりした振りをして、変える必要のない斉藤を斎藤に変える余裕もあった。

 だが、我々はこのプロジェクトを甘く見ていた。1人当たり1,000人の名字を書き換えなければいけない。書き換える必要はないとはいえ、その10倍の斎藤と斉藤がある。正しいか正しくないかの間違い探しである。

 サイトウは画数が多い。しかも手書き文字である。癖の強い字、下手な字は何が何やら分からなくなる。何度もゲシュタルト崩壊を経験した。

 全国に散った部下からも不満が出てくる。それに、本来は正しいオリジナルの齋藤を変更する際は心苦しい。

 上に掛け合って齋藤もOKということに途中変更してもらった。斎藤・斉藤に加えて齋藤も変更なしとする。

 我々が齊藤も可にしてくださいと上に泣きつくのに時間はかからなかった。こうして4大サイトウは残されることになった。

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 メンバーをサイトウ姓中心に集めたのは間違いだった。歴史改変の影響で作業中に齋藤が斎藤に変わり済藤が斉藤に変わる。チームの中に同じ名字がいるだけでも面倒なのに。書類やメールの宛名がややこしいことこの上ない。これはメンバーを招集した私の完全なるミスなので上に報告はできなかった。

 そんなこんなでプロジェクトメンバーは血のにじむ思いをして(実際に指には血豆ができた)、「サイトウ統一計画」を完遂させた。

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 結論から申し上げれば、このプロジェクトは大大失敗に終わった。我々がしたことは全くの無駄であった。いや、無駄で何も変わらなかったのならばまだいい。結果、事態をより複雑にしてしまった。

 プロジェクト前に4大サイトウ含め、およそ10のサイトウが存在していた。我々はそれを4大のみにする(当初は2つ)計画であった。しかし、現在、10どころか30以上に改変されてしまった。

 タイムパラドックスの恐れからもう2度とサイトウ姓にまつわる改変はできない。私はこの試験的なプロジェクトを失敗したことにより、永久的に下っ端でいることが決定づけられた。

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 しかし、なぜプロジェクトは失敗してしまったのだろうか。

 答えは簡単。我々の書いた字が明瞭ではなくいろんなサイトウに変換されてしまったのだ。その結果、20以上の新しいサイトウを生み出してしまった。

 プロジェクトメンバーである我々現代人は字を書く機会が少ない。パソコンやスマホ等の電子機器で入力するばかりで、実際に筆記用具を手にして字を書く機会はほとんどない。一部の書類やサインぐらいである。そのため字が汚い者が多い。しかも、当時は筆文字である。

 当時の識字率はおよそ5割であるが、字を書けるものはそれなりに修練を積んでいたので字は綺麗であった。表向きの識字率がほぼ100%でありながら、字を書かない極めて特殊な現代とは事情が違う。

 こんなことなら、メンバーに1ヶ月の書道教室参加を課しておくべきであった。

 もう、斎藤だろうが斉藤だろうが書くのも見るのも嫌になった。現在、私はカタカナのサイトウに改名申請をしている。


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2021年4月

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!