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トイレの紙様【掌編】2,598字

むかしばなしをしてやろう。

ある田舎町にヤスノリ君っていう少年がいたんだ。ヤスノリ少年は訳あって祖母と2人暮らしをしていた。

祖母と2人暮らしだと服装や弁当のオカズなんかが親のいる子たちと少しズレてくるんだ。

そりゃそうだ。ひと世代違うわけだからな。

ヤスノリ君はいつもババっ子、ババっ子と同級生たちにからかわれていた。

それで、家に呼べるような友だちなんて1人もいなかったわけだ。

実際、ヤスノリ君は祖母と2人暮らしのその古い日本家屋に誰も呼んだことはなかった。古い日本家屋なんてのはいい言い方だ。悪く言えばボロ小屋。

仮にヤスノリ君に友だちができたとしても家には呼ばなかったと思うぜ。まあ、招待したとしても誰も気味悪がって来なかっただろうけどな。

ヤスノリ君はそのボロ家全体もそうだが、特にある場所を誰にも見せたくなかった。ヤスノリ君がその家の中で一番嫌いな場所だ。

どこだと思う?

うん、それはな、便所だよ。

敢えて便所という呼び方をさせてもらう。あれはトイレなんてハイカラなもんじゃない。便所という呼び方がしっくりくる。

今風の洋式じゃなく、しゃがんで用を足すタイプの和式さ。

現代人にはしゃがむ力がなくて和式で用を足せない奴もいるようだがな。えっ、お婆さんは使えたのかって?

年寄りは足腰が弱いイメージがあるかもしれないが、しゃがむ力には長けてるのさ。現代人よりもよっぽどしっかりしてるよ。

話が逸れたな。

和式でしかもトイレットペーパーなんて洒落たもんはない。じゃあ、何で拭くと思う? は? ウォッシュレット? バカ言っちゃいけない。

紙なんだけどな、木箱に入っているゴワゴワした質の悪い紙で拭くのよ。見たことないだろうな。

しかも、水洗じゃなくてボットンだぜ。え、ボットンが分からねぇときたか。説明するのが面倒くせえ。まあ、くせえ便所だと思ってくれればいいよ。

そんな便所をヤスノリ君は嫌っていてな。でもな、ヤスノリ君がその便所を嫌いな理由は他にもあったのよ。

出るんだよ。その便所には。

そう、幽霊だよ。物分かりがいいじゃないか。ウ○チが出るなんて言おうもんならひっぱたいていたけどな。……冗談だよ。

その幽霊だけど、出るっていっても声だけなんだよ。

ヤスノリ君が用を足しているとな。声が聞こえてくるんだ、便壺の奥底から。

「こっちへおいで~、こっちへおいで~」って。

初めてそれに遭遇した時のヤスノリ君の驚きっぷりったらそりゃね。出るものも出したものも構わず飛び出してってね。

しばらくは便所に寄り付かなかったんだよ。そりゃ便所からそんな得体の知れない声が聞こえて来たら大人だって怖いよ。

ヤスノリ君の祖母に聞いても要領を得ない。半分ほうけたような婆様だったからな。もしくは本気にしていなかったのかもしれない。

ヤスノリ君は学校や近くの商店で用を足すようになった。しかし、ずっとそうしているわけにはいかないだろ。

夜は特にな。

小の方は庭にしてしまえばいいんだが、大はそういうわけにはいかないよな。

ある夜、どうにも我慢できなくてな。ヤスノリ君は真夜中の便所に向かったわけだ。

そうすると、案の定、あの声がしてきた。

「こっちへおいで~、こっちへおいで~」

そりゃ、怖かったさ。怖かったが覚悟していた分、最初ほどではない。肝っ玉が据《す》わってんのよ、ヤスノリ君はさ。

声は繰り返す。自分の股の下から。よくもまあ用を足していられるよな。大物だよ、ヤスノリ君は。

「こっちへおいで~、こっちへおいで~」とあんまり言うもんだからヤスノリ君はつい答えてしまったのさ。

「い、い、い、いかないっ!」ってね。

そうすると声は止まったんだよ。ちょうど用も終わったのでヤスノリ君は便所を出て寝室に戻って行ったのさ。

次の日の朝、もう大丈夫だろうと便所に入ると……またしても声がする。そこでまた、どもりながらも「い、い、い、いかない」と答える。

便所を使うたびにこうだ。ヤスノリ君は慣れてしまってね。声がするだけで何の害もないわけだからな。

「こっちへおいで~」「い、い、い、いかない」これが便所でのヤスノリ君の日課になっていったのさ。

もちろん、慣れただけで決して好きにはならない。友だちに見せたくないと思うのも当然だろ。まあ、ヤスノリ君以外にこの声が聞こえるのかは分からないがね。

しばらく経って、ようやくヤスノリ君の両親が迎えに来た。

えっ? 誰が死んだって言ったよ。ヤスノリ君の両親は仕事の都合で外国に行っていてな、ある期間だけ祖母の元で暮らしていただけなんだよ。

両親と暮らせる喜びだけではなく、あの忌まわしい便所とおさらばできるのが何より嬉しかった。

両親の稼ぎはよかったからな。新しい家は都内で新築だよ。

便所は……おっと、便所なんてもう言わないぜ。新しい洋式トイレだ。白を基調とした明るい空間。トイレットペーパー。もちろん水洗だ。そして極め付きにウォッシュレットときたもんだ。

これなら友だちを呼んでもちっとも恥ずかしくない。でもな、ヤスノリ君は結局この家にも友だちを呼べなかったんだよ。

なぜか。

出たんだよ。その新しいトイレットにもな。

ヤスノリ君たちが越して来た日だった。ヤスノリ君はもよおしてトイレに向かった。もう、あの声に悩まされることはない。足取りは軽かったはずだぜ。

扉を開け、便器のフタを開け、白い便器に腰掛ける。もうひたいに汗してしゃがむ必要はない。

そうして満ち足りた気分で用を足そうとした瞬間、またしても忌まわしい声がピカピカの便壺の奥から聞こえてきたんだ。

でも、祖母の家のそれとは違ったんだ。何が違ったと思う? 実は……英語だったんだよ。

「Come here! Come here!」ってな。洋式トイレだからだろう。

ヤスノリ君は驚いたものの、祖母の家で鍛えられていたからな。どもりながらもちゃんと答えたさ。

「い、い、い、いえすっ!」

つい、Yesって言っちゃったんだよなぁ。日本人は英語に弱いからな。Noとは言えない日本人ってよく聞くだろう? まあそんな感じよ。

その後はヤスノリ君の「おーまいがー!」の声が家中に響き渡ったとか、渡らなかったとか。トイレに引き込まれたのかもな。知らんけど。

だからさ、お前も英語だけは勉強しておけよ。


2021年4月


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見出し画像にイラストをお借りしました。


爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!