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見守ってくれているおじいちゃん【ほっこりホラー?】2437字

娘が保育園で家族の絵を描いてきたんです。
うちは娘と、私、夫の三人家族。
ですが、その絵には四人いるんです。

幼子の拙い絵ですから正直、誰が誰かはわかりません。
目や口や手足のようなものが描かれているのでかろうじて人かなとわかるレベルです。
ペットの犬のココを擬人化して描いているのかなとも考えました。

しかし、気になったので娘に一人一人、「これ、だあれ?」と聞いていったのです。
「これ、だあれ?」
「これはねぇ、ゆうちゃん」
ゆうちゃんというのは娘の名です。真ん中の小さい人の絵は自分でした。
「じゃあ、この人は?」
「これはパパ」
「こっちはだあれ?」
「これは、みさ」
「みさじゃなくてママでしょ」と私は訂正しました。
みさというのは私のことなのですが、最近こんな風に呼ぶようになったのです。教育上よくないと思い、娘が呼ぶたびに注意するようにしています。

「じゃあ、これはココちゃんかな?」と少し離れた位置に描かれた人物を差しました。
「ううん、ココちゃんはこれ」と娘が示したのは自身の横に描かれたぐるぐるしたもの。

「じゃあ、これは?」と再び四人目の人物について聞きました。
「これは、おじいちゃん」
ゾッとしました。
夫の父も、私の父も既に他界しているからです。
聞くと、たまに家の中にいるのだそうです。

「どんなおじいちゃん?」
「あたまあかいの」
あっ、私の祖父だ、と思いました。
祖父は生前、贔屓にしているプロ野球チームの赤い帽子をよく被っていたからです。
祖父だと思ったら怖い気持ちは全くなくなりました。

私が高校生の頃に亡くなった祖父。私は大のおじいちゃん子でした。
亡くなって随分経つのに、まだ私や娘を見守ってくれていると思うと、とても温かい気持ちになります。

小学生の頃、近所によく吠える大型犬を飼っている家がありました。私はその犬が怖くてその家の前を一人で通ることができませんでした。
登下校時は近所の子や友達と一緒に帰るので平気でした。しかし、たまに一人の時があり、その時は犬が見えないことを確認し走って通っていたのです。

ある日の夕暮れ、その日は友達の家に寄っていたので、もうすぐ日が落ちる時間になっていました。私は一人、犬がいませんようにと祈りながら帰り道を急ぎます。

しかし、大型犬は門の前でうろうろうろうろ。当然、門の内側にいるものの私の姿を見つけたら大きな口を開けて吠えてくるでしょう。幼い日の私はそれが怖くて怖くて仕方がなかったのです。
どうしても犬の前を通ることができずに立ち往生していました。どんどん日は落ちて暗くなっていきます。心細くなり泣きそうになっていました。

その時です。帰りの遅い私を迎えに来た祖父が現れました。祖父がいれば怖くありません。こうして無事に帰ることができたのでした。祖父は私に教えてくれました。
「美里、吠えられたら、犬があいさつしてくれていると思え。こんにちはー、こんにちはーって」
そう考えるようになってから私は犬に吠えられても怖くなくなりました。今、こうしてココを飼うことができているのは祖父の教えのおかげかもしれません。

また、中学生の頃、私は変質者に悩まされていたこともありました。近所に住む五、六十代の男性が私に執着するようになったのです。

挙動の不審さから周りからは敬遠されていたようでしたが、私はそれが可哀そうだと思っていました。そのため、見かけるたびに挨拶をしていたのです。

それが原因だったのかはわかりません。男性は私を待ち伏せするようになったのです。挨拶してくれるだけなら構いません。しかし、私を見つけると追いかけてくるようになりました。男性は片方の足が悪いようで、追いつかれる心配はありませんでしたが、とても恐ろしかったです。ただ、それでも男性を可哀そうと思う気持ちもあり、誰にも相談しませんでした。

ある日の帰宅途中、物陰から出てきた腕に服を掴まれました。その男性でした。いつもは眉間にしわを寄せて難しそうな顔をしているのに、その時は見たこともない笑顔。
「ミサー、ミサー」とどこで知ったのか、友人たちしか呼ばない私のあだ名を愉快そうに繰り返しています。気付くと私は悲鳴を上げていました。

すると、そこに祖父が現れて助けてくれました。当時、様子のおかしかった私を心配して登下校時に見守ってくれていたそうなのです。
祖父が一喝すると男性は去って行きました。男性が可哀そうで誰にも相談できなかったと言うと、
「美里、優しいのは結構だが、自分の身は自分で守らなければいけない。そのバランスを考えなければいけないよ」と少し厳しめに諭してくれました。
私も娘ができてこの時の祖父の考えがよくわかるようになりました。

その後、祖父や他の大人がどういう対処をしてくれたのかわかりませんが、男性に会うことはなくなりました。別の場所に移り、しばらくして不幸な事故で亡くなったという話を大人になってから聞きました。

ピンチの時に駆けつけてくれた祖父。そして「美里、これはこうだよ」と時に優しく、時に厳しく教えてくれたことは、私の生きる上での指針となっています。

「みさ~」と娘が呼ぶ声で現実に戻りました。今度は娘ともども見守っていてくださいね、と私は心の中で手を合わせました。

娘に「そのおじいちゃんは、私のおじいちゃんだから優しくしてね」と言って聞かせました。

「みさ、わかった~」と娘が言います。
「みさって言わない。ママでしょ」と再度注意しました。

しかし、「ちがう」と娘。
「何が違うの?」と聞くと
「おじいちゃんがみさってゆってる」と娘は言います。
「おじいちゃん、今そこにいるの?」
 
驚きつつも、嬉しくなりました。やんちゃな娘ですがよろしくお願いしますね、と再び祈りました。
すると「いたいのいたいのとんでけー」と言い出します。

えっ、と思い「おじいちゃん、どこか痛いの?」と聞くと、
「あたま、ちたくさんでてあかくなってる。あしもずるずるしてあるくの。でも、わらってるよ。『ミサー、ミサー』ってゆってる」

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!